「やっぱり降りる!」
「ダーメ」
もう何度目かの星良の懇願も、太陽は耳をかすつもりはないようだった。
星良は太陽の背中の上で、小さく溜息をつく。
月也に手当てをしてもらい、太陽にロープを引っ張ってもらって山道に戻ったのは十分ほど前。テーピングをしてもらい、歩くのに支障はなかったのだが、太陽がキャンプ場まで星良を背負っていくと言い張り、断り切れずに今に至る。
太陽の荷物は月也が持ち、星良は自分の荷物を背負ったまま太陽におんぶされていた。
「だって、危ないでしょ」
「星良が暴れなければ大丈夫だよ。捻挫を甘く見る方が危ない」
「重いし、暑いし!」
「平気だよ」
「うーーー」
星良を降ろす気がまったくない太陽に、星良は嬉しさと恥ずかしさが入り混じりながら唸った。心配してくれるのは嬉しい。だが、太陽の広い背中に自分の身体を預けている事で、この胸の鼓動が太陽に伝わってしまわないか心配だった。
「星良をおんぶするのって、久しぶりだよな」
星良の気持ちに全く気付かぬ様子で、太陽は楽しそうに話し始めた。
「小学生の頃以来?」
「……うん」
その頃を思い出し、星良は少し微笑んだ。
そういえば、あの頃はよく太陽に背負われていた。
「それって、やっぱり怪我したとき?」
少し後ろを歩いているひかりの問いかけに、太陽は振り返らずに答える。
「そうだよ。星良って昔から無謀だったから、勝てないケンカして、よく怪我してたよな」
「だって、ほっとけなかったんだもん」
むぅっとむくれたのが気配で伝わったのか、太陽はくすっと笑った。
「うん。わかってる。星良がケンカするときは、今も昔も誰かのタメだって」
「そうなの?」
星良の横に並んで見上げたひかりから、星良は照れて視線をそらした。代わりに、太陽が口を開く。
「誰かがからまれたりして困ってると、たとえ相手がかなり年上の男の集団でも、星良はほっとけなかったんだ。自分が怪我してでも、その人を逃がすまで頑張ってたよな」
「正義感の強い星良ちゃんらしいね」
「小学生が高校生の集団相手にして、怪我しないわけないのに、昔から無茶するよねぇ、星良さん」
温かい眼差しを向けたひかりとは対照的に、からかうような口調の月也。
太陽は優しく微笑む。
「そ、一人で無茶ばっかして、俺はいつも後でかけつけるだけでさ。だから、せめて怪我した星良をおぶって帰ろうとするんだけど、最初は嫌がってたよな」
「だって、恥ずかしかったんだもん」
ふて腐れて答えながら、星良はふと思い出した。
最初は、嫌がって歩いて帰っていたのだ。だがある日、足を捻挫をしていたのに痛みをこらえて歩いて帰り、祖父に二人でこっぴどく叱られたのだ。怪我を甘くみるんじゃないと……。
その後から、足を怪我したときは太陽に背負われて帰っていた。
あの頃はまだ身長差もあまりなかったから、背負っている太陽も長い距離歩くのは容易ではなかったと思う。でも、いつも文句一つ言わずに家まで背負っていってくれた。
中学に入る頃には身体も成長し、大人にもひけをとらないくらい強くなっていたので、いつの日か太陽に背負われて帰ることはなくなっていた。
だから、星良はすっかり忘れていたのだが、太陽は覚えていたのだろう。あの時の祖父の叱責を。
「恥ずかしくても、おろさないけどね」
「……うん」
あの頃からずっと自分の事を気遣ってくれている太陽を感じて、星良は素直にうなずいた。そして、太陽の肩においていた手をすべらせ、首の前にまわした。先ほどよりも身体が密着し、太陽の熱をより感じる。
だが、ドキドキするよりも、心が落ち着いた。
昔もそうだった。怪我の痛みも、太陽の温もりが和らげてくれた。
恥ずかしかったけど、大好きでもあったあの時間。
気づかなかっただけで、きっとあの頃から太陽の事が好きだったのだ。
「そうやって、ちゃんとつかまってて」
「はーい」
素直に返事をすると、あと少しでつくキャンプ場まで、星良は太陽の背でおとなしくしていた。
キャンプ場につき、予約していた道具と材料を受け取ると同時に山道の一部が崩れやすくなっていることを報告すると、星良たちは自分たちに与えられたスペースに移動した。
男子二人が炭を用意している間に、女子二人で食材の準備をはじめる。
とは言っても、用意されていた食材なので、そんなにやることはない。
食べたり焼いたりしやすいようにテーブルに並べ、ただ焼く以外の材料をすこし刻むだけだ。
だが、それだけのことなのに、ひかりと差が出てしまう。
「久遠さん、手際いいなぁ」
火をおこしながら、太陽が感心しながら微笑んだ。
「そんなことないよ」
「そんなこと、あるでしょ」
謙遜したひかりに、月也がつっこむ。星良も、声には出さなかったが内心でつっこんだ。
いつも料理していなければできない、手つきと手際の良さ。
どこに何を置くかでさえ、適当な星良と違って考えて配置していているのがよくわかる。
バーベキューはあまり行ったことがないと言っていたひかりだが、そのセンスの良さで経験不足はカバーできるようだった。
めったに家事を手伝わない星良とは雲泥の差だ。
「女の子って、こういう時頼りになるよね」
焼きそば用の具材を食べやすいように刻んでいるひかりに笑顔をむける太陽をみて、先ほどまでの幸せな気持ちがしぼんでいくのが、星良にはわかった。
ふわふわと飛んでいきそうな風船だったのに、しなびて、地面に落ちてしまったような感じ。
太陽の自分に対する好意と、ひかりに対する好意の違いが、ひしひしと感じられる。
まぶしそうにひかりを見つめる眼差しが、心に痛い。
星良にはない、家庭的で女の子らしいひかりに、太陽が惹かれているのがわかる。
お米をとぎながら、星良はだんだんとうつむいていった。
楽しいはずの場所で、こんな事で落ち込む自分が嫌になる。
太陽もひかりも何も悪いことはしていないのだし、深く考えすぎずにこの場を楽しめばいいのに……。
「っひゃっ!?」
突然首筋に冷たいものが当てられ、星良は驚いて声をあげた。
ふりむくと、月也がにやっと笑って立っていた。
「食材と一緒に保冷剤はいってたから、これで足冷やしたら、星良さん」
「ありがと……って、首に当てなくてもいいでしょ!」
「隙だらけだったから、つい」
「あのねぇ!」
怒る星良を見て、太陽もひかりも微笑ましいものを見るように笑顔を浮かべている。
月也は三日月のように目を細めると、星良の足下に跪き、怪我をした足首に保冷剤を当て、ネット包帯で固定した。そして、その姿勢のまま星良を見上げる。
「せっかく来たんだから、楽しもう、星良さん」
「……わかってるわよ」
月也は微笑みを返すと、再び太陽と一緒に火力の調整をはじめた。
その背中を見ながら、沈みかけた気持ちを、月也に助けられたことに気づく。
ふざけたふりをしながらも、星良の気持ちをフォローしてくれる月也。
こっそり感謝しながら、星良はバーベキューを楽しむことに気持ちを切り替えたのだった。