ひかりの告白を聞いた後のことを、星良はあまり覚えていなかった。どんな風に会話を終え、どうやって帰ってきたのか、よくわからない。気がついたら、自分の部屋のベッドの上で横になっていた。
「何やってんだろ……」
 独り言と溜息が自然と漏れた。
 何故、自分の気持ちを隠したのだろう。ひかりは、ちゃんと聞いてくれたのに……。
 星良は天井をぼんやりと見つめた。そして、思う。
 最初に自分の気持ちを隠したからだ、と。その小さな嘘が、素直になることを妨げた。
 ひかりのように、自分の気持ちに気がついた時に言えばよかったのだ。
 余計なことを考えずに、素直に話すべきだった。
 それでも、ひかりは太陽を好きになったかもしれない。
 だが、自分の気持ちを話せているのと話せていないのとでは、心の重さが違う。
 嘘を隠す為に、また嘘をついてしまい、心におりがたまっていく。嘘をついた分だけ、苦しさが増していく。

 ――自業自得だ。

 星良は枕をぎゅっと抱きしめて、ごろりと身体の向きを横に変えた。
 目を閉じると、ひかりの恥ずかしげで、でも幸せそうな笑みが瞼の裏に浮かぶ。
 ちくりと、胸が痛んだ。
 あんな笑みを向けられて、好きにならない男がいるだろうか。
 ただでさえ好意を持っている相手にあんな瞳で見つめられたら、さすがの太陽も己の気持ちを自覚しないはずがない。
 気づいてしまったら、二人を遮るものなどない。きっと二人は付き合ってしまう。
 そうしたら、自分は……。
 涙の代わりに、吐き気が込み上げた。身体の全てが、これ以上考えることを拒否している。息をするのも苦しくて、星良は自分の心から逃げるかのように部屋を出た。
 浴室に駆け込んで、シャワーを浴びる。
 汗と共に全てを流してしまいたかったが、そう簡単に消えるものではない。吐き気はなくなったが、心の重さは変わらなかった。

 星良は服ではなく道着に着替え、道場に向かった。
 誰もいない道場はしんとしていて、少し心が落ち着いた。稽古が休みの日でよかったと、心から思う。
 星良は無心で掃除から始め、一人で稽古を始めた。
 すぐに飛び散る程の汗をかく。道着のすれる音、拳や蹴りが空を切る音だけが、道場に響く。それがとても心地いい。
 何も考えず、ただひたすらに身体を動かしていた。
「星良」
 聞きなれたその声に、一人の世界に入っていた星良は現実に引き戻される。
 急に空気が薄くなったかのように息苦しくなったが、それを隠してゆっくりと声のした方向に顔を向けた。
 そこには、道着を着た太陽が笑みを湛えて立っていた。
「稽古、俺も混ぜて」
「……どうしたの?」
 太陽が現れて、星良は動揺していた。
 太陽はそんな星良の様子に気づいた感じはなく、傍まで来ると手にしていたタオルとスポーツドリンクを星良に手渡した。
「文化祭で運動不足だからさ、汗流しに来た」
 太陽のかしてくれたタオルで汗を拭きながら、星良は胸の鼓動をおさえるのに必死だった。
 太陽が休みの日に稽古に現れるのは、そんなに珍しいことではない。それなのに、こんなに動揺していると知られたら、不審に思われてしまう。
「星良も運動不足解消してるかと思ったら、やっぱりいた」
 無邪気に笑う太陽が、眩しい。
 痛みと安らぎという矛盾した気持ちが同時に心に現れる。どうしたらいいのか、わからなくなる。
「身体動かさないと、ストレスたまるからね」
 そう答えてから、スポーツドリンクを一気にあおった。冷静になるための時間稼ぎだ。
 そんな星良を見て、太陽が苦笑を浮かべる。
「そんなに喉乾いてたなら、ちゃんと休憩はさまなきゃ。まだ熱中症になる時期だぞ。気をつけないと」
 飲み終えた星良の頭を、くしゃっと撫でる太陽。
 時間稼ぎの意味がないほど、星良の心臓が跳ねる。
 この当たり前のように置かれる温かな手を、失うかもしれない恐怖。
 見上げた星良の瞳を見て、太陽は怪訝そうに星良を見つめた。
「どうした? 何かあった?」
「え? いや、何もないよ!」
 慌てて笑顔を浮かべた星良だったが、太陽は真顔でじっと星良を見つめた。星良は自分の気持ちを隠すかのように、視線を逸らす。
 しばしそれが続いたが、ふっと太陽が苦笑を浮かべたのを感じて星良は太陽に視線を戻した。
「久遠さんの心配してるんだろ」
「え……」
 うっかり顔色を変えてしまったが、太陽は別の意味でとってくれたらしかった。
 安心させるような笑みを、星良に向ける。
「俺にも詳しく教えてくれないんだけどさ、月也がついてるから大丈夫だよ。ちゃんと考えてくれてるみたいだからさ」
 どうやら、文化祭でひかりが狙われたことを心配していると思ってくれたらしい。
 ほっとしつつも、やはり胸が痛い。
 太陽が最初に思いついたのが、ひかりの事だったというのが心に波風をたてた。
「うん。月也を信用してみる。じゃ、稽古しよっか」
 そう言って、星良はタオルと空のペットボトルを道場の隅に置きに行った。
 ふぅっと息を吐き、気持ちを稽古モードに無理やり切り替える。
 太陽のもとに戻った時には、なんとかいつもの自分に戻せていた。
 稽古中は、普段通りでいられた。稽古で太陽を相手に余計なことを考えていたら、すぐに一本とられてしまう。強い相手を目の前にしたら、恋心よりも戦う本能が勝つのが自分らしくて少しおかしかった。

「ちょっと休憩!」
 先に音をあげた太陽だったが、もう一本やる気で踏み込んでいた星良はすぐに動きを止められなかった。突っ込んできた星良を太陽はかわし切れず、抱きとめると、その勢いに負けて星良ごと後ろに倒れ込んだ。
「星良、体力あるなぁ」
 自分の上に乗っかっている星良の頭をくしゃっと撫でながら、息の上がった太陽は感心したように呟いた。のほほんとした太陽だが、星良はそれどころではない。
 稽古モードの時はよかったが、休憩に入られてこの体勢は心臓に悪い。
 自分より一回りは大きい太陽の体にすっぽり包まれて、稽古で火照った身体の熱さが全身から伝わってくる。
 運動で早まった鼓動が、これではいつまでたってもおさまらない。休憩どころか、稽古中よりも疲れるに違いない。
 すぐに上からどこうと思ったが、太陽がいつまでもくしゃくしゃと頭を撫でてくれているので、動くことができなかった。
 太陽はペットを撫でているような感覚なのだろうが、以前の星良ならともかく、今の星良には心臓に悪かった。
 だんだんと、思考回路がショートしはじめる。
「太陽にとって、あたしは恋愛対象になる?」
「ん?」
 ぽつりとこぼれた言葉は、無意識に近い感覚で発せられていた。太陽が聞きかえした事で、はっと我に返り、慌てて太陽から離れた。
「ごめん。聞えなかったけど、何?」
 ゆっくり起き上がって尋ねた太陽に、星良は慌てて手を振った。
「え、いや、大したことじゃないよ! 喉乾いたから、飲み物取ってくるって!!」
 星良の妙なテンションにきょとんとした太陽だったが、星良が取り繕った笑顔を浮かべていると、柔らかに微笑んだ。
「じゃ、俺のぶんもお願いしていい?」
「もちろん。あたしが太陽の分飲んじゃったわけだし。ちょっと待ってて!」
 そう言い残し、星良はダッシュで母屋にもどると、飲み物をとる前に洗面所に駆け込むと、頭を冷やすべく蛇口の下に頭を突っ込んで水を浴びたのだった。
 


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