――聞こえていなくてよかった。
 教室の机に突っ伏しながら、星良は昨日のことを思い出し、小さく息を吐いた。
 思わずこぼれおちた太陽への問いは、聞かずとも答えはわかっている。
 そもそも、もう気軽に触れないという約束をすっかりわすれているから昨日のような状況になったわけで、それはつまり、年頃の女子として扱っていないということだ。他の女子よりも親しい間柄ではあるが、異性として意識してはいない。そんな相手が、恋愛対象であるわけがない。
 少なくとも、今は……。
 そう付け加えることで、星良は自分を少し慰めた。
 自分の気持ちが突然変わったように、太陽だって変わるかもしれない。何かのきっかけで、自分を一人の女の子として見てくれるかもしれない。
 でも、どうやって……?
 星良は自分の短い黒髪を指先でつまんだ。
 過去一度も長く伸ばした事のない髪。たとえば、これをひかりのように伸ばしたらどうだろうか。髪を伸ばし、メークをして、女の子らしくワンピースなど着て……。
「――無理」
 想像の途中で、思わず呟く星良。
 いくら太陽に意識してもらうためだったとしても、自分にはできそうにない。考えただけで鳥肌がたってしまった。
「何が無理なの、星良さん」
「っ!?」
 突然目の前に月也の顔が現れ、星良は驚いて机から身体を起こした。いつの間にか授業が終わっていたらしい。昼食をとるために出ていったのか、教室に残っている生徒はすでにまばらだった。
「星良さんくらいだよね。横を通るたびに睨んでく教師をガン無視して、何やら一人で百面相したあげく、授業終わったのも気づかないとか」
「悪かったわね」
 ふいっと顔をそむけた星良の横顔を、月也は目を細めて見つめた。
「星良さんは、星良さんのままでいいと思うよ」
「え? 今、なんて……」
 囁くような柔らかな声が先程までの自分の思考を見透かしていたようで、星良は思わず聞きかえした。だが、目を合わせた月也は僅かに笑んだだけで、何も答えはしなかった。
 代わりに、何かを促す様に視線を教室の入り口に向けた。星良もつられてそちらを見ると、ようやく気づいてもらえたとほっとしたように微笑んだひかりが立っていた。
「いってらっしゃい、星良さん」
 一瞬顔が強張りかけた星良の背中を、ぽんっと優しく叩く月也。それで、星良の肩の力が抜ける。
「言われなくても行くわよ」
 クラスの違うひかりとは、毎日ではないがよく一緒に昼食を食べる。何曜日と決めているわけではなく、お互いなんとなくだ。
 星良は鞄から母の手作り弁当を取り出し、月也に見送られているのを感じながらひかりにかけよった。
「ごめん、待たせちゃった?」
「ううん。それより星良ちゃん、寝不足だったりする?」
 授業が終わってからも突っ伏していたからか、小首を傾げ、少し心配そうに尋ねるひかり。星良はいやいやと小さく手を振った。
「大丈夫。ボーっとしてたらいつのまにか授業が終わってただけだから」
「それは大丈夫って言うのかな?」
 微苦笑を浮かべたひかりと肩を並べ、星良たちは中庭に出た。木陰にあるベンチが星良たちのお気に入りの場所の一つだ。場所取りに出遅れたものの、幸運にも一つ空いていた。
 二人で並んで座り、弁当を開く。食べながら、他愛もない話で盛り上がる。ひかりも昨日の告白を気にしているのか、太陽に関する話題は一切でなかったので、星良はいつも通りでいられた。太陽のことさえ考えなければ、気兼ねなく笑いあえる相手なのはかわりない。
 だが、弁当を食べ終えて少したったころ、微妙な沈黙が訪れた。いつもなら、ひかりとであれば沈黙も気まずい時間にはならない。何も話さなくても、互いに落ち着く相手だ。
 しかし、今は違った。ひかりが何かをためらっているのが伝わってくる。その緊張が伝わったかのように、星良の心も揺れた。今、ひかりが迷うことなど、太陽の事以外考えられないからだ。
 二人の間では珍しい、気まずい沈黙の時間。
 おそらく、時間にしたら数十秒だっただろう。だが、嫌な時間は長く感じるもので、星良には数分に感じた。
 意を決したように、先に口を開いたのはひかりだった。
「あの、ごめんね、星良ちゃん」
 膝の上に置いた手をきゅっと握り、ひかりは星良の黒い瞳を見つめながらそう言った。星良の心が、不安でどくんと跳ねる。
「ごめんって、何が?」
 顔には不安を出さず、微笑を浮かべて尋ねる星良。ひかりは落ち着きなく大きな瞳をぱちぱちと瞬く。
 答えが返ってくる数秒の間に、星良の頭の中は色々な想像がめぐらされていた。
 自分の気持ちに気がついたのだろうか? それとも、実はすでに太陽と付き合っているのを隠していたとか?
 自分の想像で緊張を増しながら、ひかりの言葉を待つこと数秒。ひかりはわずかに頬を赤らめ、でも不安げに星良を見つめた。
「昨日の話で、星良ちゃんを困らせちゃったみたいだから……」
「え?」
 言葉の意味をどうとっていいのかわからず、戸惑うように声をもらした。ひかりは思いきったように言葉を続ける。
「今朝、朝宮くんが高城くんに、昨日星良ちゃんの様子がおかしかったって話してたの聞いちゃったの。確かに、朝あいさつした時もいつもと違ったなって思って、休み時間に様子見に行ったらずっと机に突っ伏してるし、さっきも授業終わったの気づいてなかったでしょ。それって、私のせいかなって」
 答えに困る星良。確かにひかりの告白のせいだが、ひかりがどんな意味で言っているのかわからなければ、余計なことを言いかねない。
 星良が何も言わずに見つめ返していると、ひかりは先を続けた。
「あのね、違うの」
 何が違うのかわからずキョトンとすると、ひかりは慌てたようにぱたぱたと手を振る。
「いや、あの、違うっていうか……あのね、星良ちゃんを困らせるつもりはなかったの。ただ、自分でもびっくりするくらい、気がつくと朝宮くんを見つめてることに気がついたから、朝宮くんの一番傍にいる星良ちゃんにはすぐに私の気持ち気づかれちゃうと思ったの。好きな人ができたら星良ちゃんに伝えるって言ってたのに、報告する前に気づかれちゃったら嘘ついたことになるって、その事が一番気になって、他のことまで気が回らなかったの。ごめんね。余計な気をつかわせちゃうなら、昨日の話は忘れて。星良ちゃんに何かしてほしくて伝えたわけじゃないの。星良ちゃんは何も気にせず、今まで通りでいて」
「ひかり……」
 星良は少しほっとした。ひかりは、星良の気持ちに気がついたわけではないらしい。ひかりの告白をきき、二人の友人としてどうしたらいいのか悩んでいると思っているようだ。
「今まで通りって、協力してほしいとか思わないの?」
 星良を利用して太陽に近づこうとする女子を山ほど見てきた。ひかりはそんなタイプではないとわかっているが、それでも好きな人と距離を縮める為に協力してほしいと思うのは普通のことではないだろうか。
 だが、ひかりは照れくさそうに首を振った。綺麗な髪が、サラサラと揺れる。
「まだ自分の気持ちに気づいたばかりだし、今のままでいいの。それより、星良ちゃんが気を使って朝宮くんとぎくしゃくしちゃう方が嫌だよ」
「……あたしと太陽が仲良しのほうがいい?」
「もちろん」
 屈託のないひかりの笑み。それは、星良には眩しく感じた。
 それは自分をライバルとして見ていないから? と思ってしまう自分が嫌になる。ひかりにそんな意図はない。ただ、仲の良い幼馴染二人を、自分のせいで困らせたくないだけだ。
「星良ちゃんと朝宮くんのやりとり見てるの、好きだよ。いい関係だなって、羨ましくなる。私には、そんなに強い絆で結ばれている人いないから。だから、今まで通りでいいの。星良ちゃんには本当の事を伝えたかっただけ。本当に、何かしてほしくて言ったわけじゃないの。気にしないで」
 ひかりの真摯な瞳に嘘はない。その真っ直ぐさが胸に刺さる。
「……じゃあ、太陽と遊ぶ時、誘わなくてもいいの?」
 少し意地悪な質問だと思いながら口にすると、ひかりはぱちぱちと大きな瞳を数度またたいた。
「えっと、それは……協力するために無理に呼んだりとかはしなくていいけど……」
 困り顔のひかりを見て、星良は自然と微笑んだ。
 誘ってくれたら嬉しいと、ひかりの顔にわかりやすく書いてある。それでも、星良を悩ませるなら我慢するとも書いてあった。
 太陽への気持ちと同じくらい、自分の事を大切に思ってくれている。それが、心配そうなひかりからひしひしと伝わってくる。
 ひかりのことを、嫌いにはなれない。やっぱり好きだと思う。
 それと同時に、自分を嫌いになる。ひかりの為より、自分の事を考えてしまう自分が嫌になる。
「嘘だよ。ひかりの告白抜きにして、今まで通りみんなで遊ぶ時は誘うって」
「ありがと。でも、本当に気を使わないでね。星良ちゃんを困らせたくないから」
「わかった」
 ひかりとずっと友達でいたい。でも、太陽をとられたくない。
 どうしたらいいのかわからぬまま、二人は残りの休み時間を他愛ない話で笑いあったのだった。

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