「星良さーん、帰るよ?」
 ぼうっと窓から見える青空を見つめていた星良の前に、月也がひょこっと顔をのぞかせたのをみて、星良ははっと我に返った。太陽やひかりの事を考えているうちに、ホームルームが終わっていたらしい。
「星良、大丈夫か?」
 柔らかな声とともに背後からくしゃっと頭を撫でられ、ドクンと心臓が飛び跳ねる星良。振り返ると、帰り支度を終えた太陽が立っていた。
「今日一日ぼーっとしてたよね、星良さん」
「熱とかないよな?」
 今までは悩みがあっても数時間もすれば気持ちを切り替えていた星良を知っているからか、太陽は心配そうに星良を見つめた。そして、自分の額と星良の額をあてようと顔を近付ける。星良は反射的に椅子ごと後ろに退いた。避けられた太陽は一瞬キョトンとし、それから微苦笑を浮かべた。
「ごめん。ついクセで」
 星良がお年頃だと思い出したのか、謝った太陽はそっと手を伸ばして星良の額に触れた。そして、ホッとした様に微笑む。
「熱はなさそうだな」
「大丈夫。ちょっと考え事してただけだから」
 太陽の熱を感じた額の感触を誤魔化す様に、前髪をいじりながら答える星良。目線を合わせずに答えた星良に、太陽は寂しげに笑んだ。
「悩みがあるなら、相談しろよ」
 ぽんっと大きな手を星良の頭にのせる太陽。その気持ちが嬉しくて、星良はようやく笑みを見せた。
「うん。でも、大丈夫」
「……わかった。星良が元気ならいいんだ」
 ほんの少し間のあいた太陽の返事に、星良の胸がちくりと痛む。
 久しぶりに甘えてくれたと嬉しそうに言っていた太陽を思い出す。今も、頼りにされていないと寂しい思いをさせてしまったのだろう。
 今まで、色んな悩み事を太陽に話してきた。他の人には話せない事も、太陽には素直に言えた。だけど、悩みの種の本人に相談できるわけがない。
 太陽ともっと距離を縮めたくなって悩んでいるのに、それが原因で距離ができている。
 それが、切ない。
「さっ、元気ならさっさと行こうよ、星良さん。今日は師匠にお使い頼まれてたでしょ? さすがに、それまで忘れてないよね?」
 月也の明るい声に、沈みかけていた心がふと軽くなり、自分を取り戻す星良。また助けられたという気持ちと裏腹に、軽く月也を睨む。
「さすがにそこまでボケてないわよ。稽古始まる前に、予約してた品物うけとって持ってかなきゃいけないんでしょ」
「そうそう。だから、さっさと行かないとね。稽古前に帰れなかったら、稽古の量が倍増されちゃうから」
「それはあり得るな」
 月也の発言に、太陽が神妙に頷く。それから、二人同時に星良を見つめた。
「だから、帰ろ、星良さん」
「ほら、行くぞ」
 二人の笑顔につられ、星良も自然と笑みを浮かべた。
「そうだね、さっさと用時済ませちゃおう」
 鞄を持って立ち上がった星良は、二人の間に挟まれて、軽くなった足取りで学校を後にした。


用事を終えて荷物を抱えた帰り道、いつもと違う道を通っていた時の事だった。
「あれ? 今、何か聞こえなかった?」
 何か甲高い音が聞こえた気がして、星良はふと足をとめた。太陽と月也も、つられて足をとめ、耳を澄ませる。
「確かに、あっちから聞こえるな」
 太陽が視線を向けたのは、夕方となり閑散とした公園の生け垣の向こうだった。
 三人は顔を見合わせると、公園の中に入っていく。
「犬の鳴き声だねぇ」
 月也の言うとおり、聞こえてきたのは犬の鳴き声だった。哀しげに聞こえる鳴き声に、星良は眉をひそめる。
「どこにいるんだろ」
 辺りを見回すと、公園の隅に置かれている段ボールが目に入った。その縁に、小さな足がかけられているのが見え、三人は小走りにそこに向かう。
 中を覗くと、下に柔らかい布をひき、水と餌が入った皿が置かれた段ボール箱に、子犬が二匹入っていた。どうやら柴犬らしい。ペットショップで見かけるくらいの大きさなので、三か月前後といったところだろうか。
「どうしたの?」
 荷物を置き、しゃがみ込んで子犬に声をかける。頭を撫でようと手を伸ばしたが、子犬が噛みつこうとしたので、星良はその手を慌ててひっこめた。
「捨てられちゃったのかな?」
 太陽も膝をかがめ、子犬二匹を心配そうに見つめる。
「たぶんそうだろうね。でも、これだけ元気なら、まだ置いてかれたばっかりなんだろうね」
 言いながら、子犬たちの背中を撫で始める月也。嫌がられることなく撫でている月也に、星良は少し唇を尖らせる。
「なんで月也はよくて、あたしはダメなの」
 子犬の可愛さに触れてみたくてたまらない星良だが、抱っこしようとしても嫌がられ、ちょっと拗ねていた。
「動物は本能で破壊神だってわかるんじゃない?」
「動物には優しいつもりなんですけどっ」
 子犬を怯えさせないように声を荒げないように気をつけて言いかえす星良。月也はククッと楽しげに笑う。
「もちろん冗談だよ、星良さん」
「月也、犬飼ってるから慣れてるんだよ」
 星良に説明しながら、太陽も月也にならって子犬の背中を撫でる。
「月也、犬飼ってるんだ」
 知りあって丸3年は経つが、月也の家に遊びに行った事はまだない星良。よく知っているつもりでいたが、彼女の事といい、実は月也のことをあまり知らないのだと気づく。
「うん。この子たちと同じくらいの時に、同じように捨てられてたの拾ってきたんだ」
 懐かしむように子犬を見つめている月也の瞳は優しい。子犬もそれがわかったのか、少しすると月也にすんなりと抱きあげられた。尻尾まで振っている。
「月也だけずるい」
「人に慣れれば、そのうち星良さんにも抱っこできると思うけど……どうしようね、この子たち」
 三人は顔を見合わせる。子犬は可愛い。だが、飼えるかどうかは別の話だ。
「うちは無理。母さんが犬とか猫のアレルギーあるんだよね」
 残念そうに子犬の背中をそっと撫でる星良。太陽は小さく溜息をつく。
「うちもダメだな。マンションペット禁止だし」
 そして、二人で最後の望みの月也に視線を向ける。
「月也の家は? 一匹飼ってるってことは、犬飼えるんでしょ?」
「確か月也の家も同じ犬種だったよな」
 二人の希望の眼差しに、月也は困ったような苦笑を浮かべた。
「うちも無理だよ。もともと動物嫌いの両親だし、凛を飼う時に『最初で最後の一生のお願い』使っちゃったから、次はないって言われてるんだよね」
 思わぬ可愛らしい理由に、星良はキョトンとする。
「一生のお願いって、そんなに犬好きだったとは知らなかったよ」
 くすっと笑った太陽をちらりと見てから、月也は抱いている子犬の背を優しく撫でた。
「凛だけは、どうしても自分で飼いたかったんだよ」
 本当に大事な存在なのだと、その声の柔らかさでわかる。愛しむ眼差しの月也を、星良は黙って見つめた。
 少しして、月也は抱いていた子犬を段ボール箱に戻した。そして、もう一匹の子犬も優しく撫でてやる。
「ってことは、全員飼えないってことだよね」
 残念そうに呟くと、太陽と星良を見つめた。
「時間もないし、どうする?」
「どうすると言われても……」
 星良は眉根を寄せる。子犬たちを家には連れて帰れない。稽古が始まるまでにもうあまり時間もないので、あまり悩んでいる暇もない。
「月也の家で一時的に保護してもらうのも無理そうか?」
 星良の家と太陽の家は連れ帰ることすら無理なのでそう提案した太陽だが、月也は首を振った。
「うちの両親を説得する自信はないね」
「そっか……」
 困った様に子犬を見つめる三人。しかし、どうしたらいいのかわからず、揃って深々と溜息をついた。
「したないけど、とりあえず元気そうだし、他の誰かが保護してくれるのを祈って今日は帰るしかなさそうだね」
 月也の提案に、太陽が仕方なさそうに頷く。
「そうだな。また明日様子見にこようか」
「その間に、誰か飼えそうな人がいないか当たってみよう。道場にもいるかもしれないし」
 男二人はそれで無理やり自分を納得させたのか、荷物を持つと立ち上がった。
 星良だけがしょぼくれた顔でまだ子犬を見つめている。その背中を、二人は微苦笑を浮かべて見つめた。
「ほら、星良さん、行くよ」
「気持ちはわかるけど、今日は行こう。きっと、大丈夫だよ」
「……うん」
 星良は唇を噛んだ。何も出来ない自分が悔しい。こんな愛らしい小さい命を守る術を知らない自分が、情けない。
 後ろ髪をひかれつつ、星良は二人に促されてその場を去った。そんな星良を優しく見守る二人の眼差しに見守られている事さえ気づかずに……。

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