体育祭が近付くと、校内はだんだんと熱気に満ちていった。
 体育祭の目玉は、三学年合同・男女別・色別対抗の応援合戦を兼ねた群舞。そして、各学年ごとに行われる全員参加のクラス対抗の競技。男子は騎馬戦、女子は棒倒しだ。
 学校が練習時間として与えてくれる時間は、主に群舞に用いられる。事前に、受験を控えた三年ではなく、二年が中心となり踊りを考え、それを各学年代表と相談し、ブラッシュアップした後、学年ごとに練習。体育祭が目前となる頃、ようやく三学年揃って練習する時間が与えられる。誰かの技量が優れていれば良いわけでなく、全員が揃ってこそ美しく見える群舞。自分のクラスだけの問題ではないので、合同練習までにきちんと踊れるよう、休み時間なども教室内で振りの確認をするなど、練習に余念がない。
 もう一つの目玉、騎馬戦や棒倒しについては、体育の時間に一度演習があるのみで、後は自分たちで練習時間を捻出するしかない。だが、だいたいのクラスは群舞に練習時間をとられ、余裕がない。その為、実戦練習よりも入念な戦略をたてることを主とするクラスが多かった。主だった頭脳派が休み時間などに話し合いを重ね、戦略を磨きあげている。
 その為、体育祭が近付くと、休み時間に他クラスの生徒と交流することは暗黙の了解でなんとなく憚られた。他のクラスに行くと、まるでスパイのような扱いを受ける。実際、他クラスの情報を収集しようとスパイまがいの行動をする生徒もいるくらいだ。
 おかげで、星良は太陽と過ごす時間が減っていた。互いに部活に所属しない身軽な身の上に加え、抜群の運動神経を誇る。体育祭で中心にならないわけがない。
 クラスメイトの時間のとれる者で集まり、休み時間や朝練、放課後の練習はもちろん、ランチしながらの作戦会議に中心人物として勤しむ日々。クラスの結束はどんどん強くなっていく反面、他クラスに対する対抗意識がどんどん強まり、熱気の中にぴりぴりとした空気が混じる。この間ばかりは、他クラスに彼氏彼女がいる生徒はデートを控えるくらいだ。そんな中、星良も太陽と過ごす時間を作り辛かった。その代り、嬉しくもない月也との時間が増える。策士として、月也はクラスの中で一番優秀だったからだ。
「ま、騎馬戦と棒倒しはもらったも同然だよな」
 弁当をつつきながら、大下がニヤリと笑う。目の前に座る月也も、同意するように小さく頷いた。
「女子は100パーセント勝ちだね。星良さんがいるだけでほぼ無敵なのに加え、アドバンデージまでもらってるし」
「負ける気しないよねー」
 月也の言葉につなげるようにして星良に笑顔を向けたのは、クラスメイトの水原笑美。その隣で、笑美の親友である川辺千歳もパックジュースをのみながらこくこくと頷いている。二人はチアリーディング部に所属している。月也の戦略で、棒倒しの攻撃要因はこの二人と星良のみだ。
 普通は攻撃と防御の人員は半々だ。攻撃と防御のパワーバランスがとれた人員の振り分けが戦局を大いに左右する。女子の場合、競技に集中すると冷静な戦術よりも感情が優先されることが多いので、競技中の細かい戦略はあまり役立たない。戦いに夢中になるあまり、男子が「女子って怖ぇ」と思わず漏らすほどの争いがちらほら見られるほど、周囲の敵ともみくちゃになって押し引きするのが関の山だ。男子ならばスクラムを組んだり、仲間の背に乗って相手のガードの上を飛び越えるなどあるのだろうが、女子にそれを求めるのは通常無理だ。
 だが、星良は別だ。チア部の二人の協力があれば、人の壁の上をいくことは容易い。二人に飛ばせてもらい、棒の上部を掴み、飛んだ勢いと体重を生かしてそのまま棒を倒す作戦だ。防御には他クラスの倍近くの人数が割ける上、文化祭で得たアドバンテージにより、星良たちのクラスは一度棒を倒されても、もう一度復活できる。
 アドバンテージを持ったクラスから狙うのが常套手段だが、他の4クラスから集中的に狙われたとしても、おそらく星良が各個撃破していく方が早い。星良やチア部の二人が狙われたとしても、星良が威嚇の回し蹴りでも披露したら、近付ける女子はいないだろう。
 正直、星良も負ける気はしなかった。
「で、男子はどんな感じ?」
 最後のおにぎりを胃袋に収めた所で、星良は食べ終えた弁当をしまっている月也に尋ねた。
「アドバンテージのぶん有利、って感じかなぁ。各クラス、結構いい感じに騎馬の組み合わせ作ってるからねぇ」
 騎馬戦のアドバンテージは、一騎のみ希望のタイミングで復活可だ。この復活のタイミングが戦いを大きく左右する。
「いやいや、他のクラスの騎馬の組み方知った上で自分らの騎馬を考えられるのも相当有利だろ。そんなリアルスパイみたいな情報収集力持ったの、他のクラスにいないと思うぞ」
「そうかなぁ?」
「そうだよ! だいたい、どうやったんだよ、高城。盗聴器でもしかけてんのか?」
「それは、企業秘密ってことで」
 大下の追及を、月也は肩をすくめ、悪戯な笑みを浮かべてさらりとかわす。押しても無駄だと悟ったのか、大下は小さく息を吐くと、残り少なくなったペットボトルのジュースをぐいっとあおって飲みほした。
「んじゃ、次は明日のリレーの練習時間でも決めるか!」
 空のペットボトルをゴミ箱に向かって投げ捨てた大下を中心に、次の話を進める。
 そうやって、星良は残り少ない体育祭までの時間を過ごしていた。

 クラス一丸となって一つの目標に向かって努力することは、充実した楽しい日々ではある。余計なことを考える暇も少ない。
 だが、十日以上太陽とろくに話していない日々が続くと、さすがに寂しくなってきた。学校が違った中学の時でさえ、道場で毎日のように顔を合わせ、夏休みだって長いこと会わない日などなかったのだ。そろそろ禁断症状がでてきても、おかしくない。
 ベッドの上でごろごろしながら、星良は携帯電話とにらめっこをしていた。
 現在時刻は21時。体育祭の練習の後、皆でご飯を食べに行ったとしても、そろそろ家に帰っている時間だろうか、と太陽の電話番号を見つめながら考える。いや、もしかしたらシャワーを浴びている頃かもしれない。だったらもう少し待った方がいいのでは? でも、遅くなったら疲れて寝てしまうかもしれないし、話せる時間も短くなってしまう。近頃挨拶くらいしかしていないから、ゆっくり話したい。あーでも、話したら余計会いたくなるかもしれないから、電話すらしないほうがいいのかも?
 一人で自問自答し、それに疲れ果てて携帯電話をベッドの上に置いた。以前なら何も考えずに電話していたのに、電話をかけることすらこんなに迷ってしまう恋の恐ろしさに溜息が出る。
「お風呂でもはいるかなー」
 気分を変えた方がいいかと、ぼそりと独り言ちる。
 その時、トントンっと星良の部屋のドアがノックされた。普段なら、ノックの仕方で誰が来たかわかる。だが、太陽のことで頭がいっぱいの星良は、深く考えることなく母だと思い、ベッドから降りるとためらいなくドアを開けた。
「なー……っ!?」
 何? と言いかけた言葉が、驚きで喉に引っかかり、ただ口をぱくぱくしてしまう。そんな星良を見て、部屋の外に立っていた太陽は可笑しそうにくすっと笑った。
「こんばんは。ひょっとして、寝てた?」
「えっ? いや、ごろごろしてただけっ!」
 髪が乱れているのに気づき、慌てて手で直す。その間も、幻が立っているのではないかと目は太陽を凝視してしまう。でも、いくら見つめても目の前の太陽が消える気配はなく、本物がそこにいると実感し、星良の心臓は太陽に聞こえてしまうのではと心配になるくらいバクバクと鳴っている。
「ど、どうしたの?」
 必死に平静を装いつつ、星良はなんとか尋ねた。だが、動揺は隠し切れていなかったようで、太陽は微苦笑を浮かべる。
「皆でご飯食べた後にここ通りかかったら、星良の部屋の灯りが見えてさ。最近話せてないなーって思って見上げてたら、ちょうどおじさんが帰ってきて、ちょっと寄っていけばって。で、おばさんが、部屋にいるから行ってみたらって言うので来てみたけど……やっぱり迷惑だった?」
「いや、別に、迷惑とか、そんなことはないけどっ。ただ、びっくりしただけで!」
 こんな時間に年頃の娘の部屋に男子を差し向ける両親もどうかと思いつつ、グッジョブ! と感謝もする。電話なんかより、会えて話せるのが一番嬉しい。
「た、立ち話もなんだから入っていいよ」
「じゃ、ちょっとだけ。こんな時間にあまり長居するのも悪いし」
 お邪魔しますとぺこりと頭を下げ、星良の部屋に入る太陽。カーペットの上に座り、クッションを手にした太陽を見て、星良の心音は落ち着かない。普段は居間で話すことが多いので、自分の部屋で二人きりなのが、なんだかくすぐったくてしょうがなかった。
 話していたのは、おそらく10分程度。互いのクラスの様子や、他愛もない会話。
 でもそれだけで、寂しかった星良の心は満たされていた。
 おやすみ、と言って太陽が撫でてくれた頭を、太陽が帰った後も何度も触れる。その度に、顔がにやける。
 幸せってこんな気持ちをいうのかな、と柄にもないことを考えながら、星良は眠りについた。
 

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