体育祭の熱気も過ぎ去り、校内はいつもの様子を取り戻していた。
 だが、違う熱気は密かに渦巻いているらしい。
 太陽と昼食をとりに教室を出たはずの月也が思ったよりも早く帰ってきたのを見て、星良はまたかと心の中で嘆息した。一緒に昼食をとっていた笑美と千歳も気づいたのか、微苦笑を浮かべる。
「これで何人目だろうね?」
「体育祭の後に気づいただけで、5人目?」
 千歳と笑美の会話を聞きながら、星良は溜飲を下げるためにデザートのプリンをまるで飲むかのような勢いでかきこんだ。甘く、とろけるような舌触りに、ほんの少しストレスが解消される。
「モテるってのも大変そうだね」
「うん。太陽も困ってる」
 太陽が以前から時々誰かに告白されているのは知っていたが、体育祭の後になってそれはさらに頻繁になっていた。そのほとんどがよく知らない相手のようで、太陽は嬉しさよりも困惑の方が強いらしい。好意を持たれるのは嬉しいことだが、断って悲しい顔をされることが相当負担になるらしく、誰かに告白された後は気を落としていた。
 早めに月也が戻ってきたということは、今日も誰かに呼び出されたのだろう。笑美が体育祭の時に言っていた通り、体育祭で太陽に落ちた女子が多かったようだ。
 太陽に告白する女子がいることに、以前よりも心がざわつくが、それでも心配はしていなかった。太陽がOKするとは思わないからだ。
 OKしてもらえると思うたった一人の人物は、今のところ告白する予定はないらしい。今の距離がちょうどいいと、つい先日話を聞いたばかりだ。
 それに、そのひかり自身も、体育祭の後に相次いで告白されているようで、自分から告白するどころではないらしい。ひかりも、気持ちは嬉しいが困っているとのことだった。
 そんなひかりと、ここのところちょっと距離があいていた。意識して避けているわけではないが、用もなく自分からひかりに会いに行くことはなくなっていた。それは、笑美や千歳と距離が縮まったからだと、自分自身に言い訳していた。


 ひとり音楽室に残された太陽は、元気のない足音が遠ざかったのを確認してから深々とため息をついた。
 何度経験しても、慣れるものではない。
 精いっぱいの勇気を振り絞り、自分の気持ちを伝えてくれることは嬉しいが、自分の返事がその気持ちを悲しみの色に染めてしまう様子を見るのは、胸が痛かった。かといって、自分が好きだと自覚していない相手と付き合おうという気持ちにもなれない。
 結局、嬉しい気持ちよりも傷つけてしまった申し訳なさが勝ってしまい、告白されることが憂鬱とさえ感じてしまう今日この頃だ。だが、呼び出しの時点で断るのも失礼かと思い、それもできない。結局今のように一人で嘆息することになるのだ。
 名前も知らなかった同学年の彼女が立ち去って十分な時間をあけてから、太陽は音楽室を出た。
 南棟の最上階の一番端にあるこの教室は、休み時間はあまり人がいない。各学年の教室は北棟あり、次に授業があるか何か用がない限り、ここまでくる必要がないからだ。同じ階にある多目的室も同じでなので、昼休みとは思えないほど辺りは静かだった。
 だからこそ、告白などの秘め事にはもってこいなのだろう。
 自分の教室に帰ろうと重い足取りで歩いていると、屋上に続く階段の方から声が聞こえてきた。どうやら、階段の踊り場に誰かいるらしい。
「そう……だよな。うん。わかってたんだ。でも、気持ち伝えたかったから」
 明るく振る舞っているようだが、気落ちを隠しきれていない、知らない男の声。相手の声は聞こえないが、状況から察すると、男子が誰かに告白して、断られたようだ。
 これ以上聞くのは失礼だと思い、太陽は気づかれぬようにそっと踵を返した。もといた音楽室でもう少し時間を潰そうと考える。
 その背中に、彼の声が再び聞こえてきた。
「やっぱり、朝宮のことが好きなの?」
 自分の名前を出され、太陽は息をのんだ。そして、顔をしかめた。
 相手が誰だかは知らないが、こんな形で聞いていい話ではない。
 足音をたてないように気を付けながら、声の届かないところまで急ごうとする。が、告白を断られた動揺を隠すためか、大きくなった彼の声が響いてくる方が先だった。
「その反応は、当たりかぁ。あー、やっぱりなー。それじゃ、仕方ないよな」
 聞いてはいけないことを聞いてしまい、太陽は心の中で盛大に嘆息する。こんな形で自分に対する気持ちを聞いてしまうのは、告白されるよりも気が滅入った。ただ、相手の声は届かないほど小さいのか、表情を見ただけで彼が話しているのか、誰だか特定する情報は全くないのがせめてもの救いだ。
 彼らに自分の存在が気づかれぬうちにと、太陽が音をたてぬように音楽室の扉をあけ、その身を滑り込ませようとした時だった。ポケットの中の携帯電話が音を奏で、静かな廊下に響いた。
 太陽は慌てて教室の中に入ると、すぐに音を切る。そして、音をたてぬように教室の扉を閉め、息をつめ辺りの様子をうかがった。
 位置的に、今の音が階段の踊り場まで聞こえなかったということはないだろう。だが、どこから聞こえたか特定できるとは限らない。
 しばらく気配を探っていたが、踊り場にいた人間がこちらに向かってくる様子はないようだった。
 ほっとして、太陽は携電の画面を見る。音を奏でた犯人は、月也からのメール。答えなど聞かなくてもわかっているくせに、わざわざ告白の結果を尋ねてきている。
 太陽は小さく嘆息すると、音楽室の扉に背をもたせかけながら、月也に返信のメールを打ち始める。どうせ、もう少し時間を置いてからでないと、落ち着いてあの階段を降りることができないので、いい時間つぶしだ。
 星良にもメールを打つ。今日、神崎道場は休みだが、ここのところなんだか元気のない星良の為に、気持ちがすっきりするまで稽古に付き合おうと考えていたからだ。
 星良からの返事はすぐに返ってきて、二人で稽古をする約束が成立する。
 これで星良が元気になれば嬉しいと微笑んだ時、予鈴が静かな教室にも鳴り響いた。さすがにもう教室を出なければ、次の授業に遅刻してしまう。
 そろりと音楽室を出て、太陽は階段に向かう。話し声はもう聞こえない。
 安堵してそのまま歩を進め、階段に差し掛かろうとした時、タタッと軽やかな足音が上から聞こえた。ひょっとして先ほどのどちらかも自分と同じように、相手が遠くに立ち去るまで時間を潰していたのかとハッとした瞬間には、豊かな髪を揺らした女生徒が、階段を降りて目の前に立っていた。
 向こうも、そこに人がいるとは思わなかったのか、驚いたように振り返った。
「あ……」
 短い声をあげ、大きな目をこれ以上ないくらいに見開いて太陽を見つめたのは、ひかりだった。いつもは落ち着きのあるひかりの瞳が、うろたえた様に揺れる。
 その反応に、太陽は思考が追いつく前にカァッと顔を赤らめた。
 つられたように、ひかりの顔の頬が朱に染まる。大きな瞳を潤ませ、ふっくらとした愛らしい唇をきゅっと噛んだ。
 太陽がしまったと思った時には、ひかりは背を向けると脱兎のごとく階段を降りて走り去っていった。転ぶのではないかと心配するほどの勢いだったが、どうやら無事に降りて行ったらしい。
 太陽はその場にしゃがみ込んだ。両手で混乱した頭を抱え込む。今頃になってバクバクと脈打つ鼓動を落ち着かせようと大きく息を吸うが、気持ちも心臓もまったく落ち着かない。
 ひかりが、用もなく一人で南棟の屋上にいるわけがない。あの男子の告白の後にやってきたとも思えない。となると、告白の相手がひかりだったということになる。
 自分の顔をみて動揺したのは、彼の言葉を聞かれたのかと不安になったから。赤くなった自分の反応を見て、聞かれてしまったと悟り、どうしていいのかわからずに立ち去った。
 そう考えると、辻褄が合う。
 合う……が…………
「どうしよう」
 今更後悔しても遅いが、完全に反応を間違った。今のは何も聞いていなかったと思わせるために、いつも通りの態度をとらなければいけなかった。
 あんな形で自分の気持ちを知られたと思ったら、相手を困らせるだけだ。
 でも……。

 嬉しい

 申し訳ないという気持ち以上に、相手がひかりだったということが、素直に嬉しかった。どんなに抑えようとしても、口元が自然に微笑みの形を浮かべてしまう。こんなことははじめてだ。
 心の中に甘やかで暖かな気持ちがじんわりと広がる。
 世の中で一番大切だと思っている星良への気持ちとは違う、甘酸っぱいようなくすぐったいような、不思議と心地よい感覚。
 これが恋なのかもしれないと、遅い初恋を初めて自覚する。
 だが、その感情に長く浸っている暇はなかった。
 授業の開始を告げるチャイムが鳴り響き、太陽は慌てて北棟の教室まで走って行ったのだった。

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