思い立ったら即行動。
 浮上した気持ちが再びずぶずぶと暗い思考の海に沈んでいく前に、星良はひかりにメールを送り、翌日会う約束を取り付けた。
 場所はひかりの家にしてもらった。神崎家だと道場に太陽がいて互いに気になってしまうだろうし、外だと落ち着かないからだ。
 後ろめたさを残したまま、全力で太陽にぶつかることはできない。ひかりとも、友達でいたい。
 素直な胸の内を人にさらけ出すのは勇気がいるが、ひかりに全て正直に話そうと思った。

 ひかりの部屋で、ラグマットの上の小さなテーブルを挟み、二人は向かい合って座っていた。テーブルの上には、ひかりの母が淹れてくれた紅茶と、星良が手土産に買ってきた和栗のモンブランが並べられている。
「よかった、星良ちゃんが元気そうで」
「心配かけてごめんね」
 ホッとしたように笑んだひかりに、星良は紅茶のカップを置いてからぎこちない笑みを返した。緊張しているからか、のどが渇いてしょうがない。
「今まで風邪ひとつひいたことないのにって、朝宮くんと高城くんが話してたから、よっぽど具合悪いんだなって思って」
 太陽の名前がひかりの口から出て、星良の心臓がどくんと跳ね上がる。膝の上にある手を、我知らずぎゅっと握る。
 星良の様子を知ってか知らずか、ひかりは僅かに顔を曇らせた。少しためらうように口を固く結んでから、星良を見つめ、ゆっくりと口を開く。
「……それなのに、自分のことでいっぱいいっぱいで、星良ちゃんの様子に気づかずに自分勝手な相談しちゃってごめんね」
 先に謝られ、星良はうろたえた。
 ひかりだって、好きな人に自分の気持ちをあんな形で知られ、星良と同じように思い悩んだだろう。太陽とは同じクラスで、顔を合わせないわけにはいかない。どんな顔をして教室に行けばいいのか、わからなかったに違いない。誰かに相談したくなるのは当たり前で、事前に自分の気持ちを正直に伝えた星良に相談するのも当然だ。
 ひかりは悪くない。自分の気持ちを正直に伝えなかった自分が悪い。
 すぐには言葉がでなかった星良に、ひかりは両の口角をあげた。笑みを浮かべたつもりのようだが、心から笑えていないのが目を見ればわかる。
「それとね、聞かれちゃったと思ったのは、思い過ごしかもしれないの。金曜日、朝宮くん私にはいつも通りだったから。星良ちゃんのことが心配でしょうがなかったみたいだし」
 ホッとしたような、寂しげなような、ひかりの微笑。
 星良はテーブルから身体一つ分下がると、両の手を床につき、その手の上に額をつけた。
「ゴメン!!」
「星良ちゃん!?」
 突然の土下座と謝罪に、ひかりが動揺の声をあげた。すぐに腰をあげ、顔をあげない星良の隣に座り、背中にそっと触れる。
「違うの、星良ちゃん! ごめんなさい! 星良ちゃんの具合が悪くなったせいで私のことを考えてくれてないって聞こえた? そんなことないよ。ゴメンね。だから、そんな事しないで」
 星良の謝罪を、自分の言葉のせいだと勘違いしたらしい。狼狽えながら、必死に謝ってくれる。
 そんなひかりに、星良は頭を下げたまま首を振った。
「違うの。あたしが、悪いの」
「星良ちゃん?」
 罪の意識で顔があげられぬままの星良の横顔を、身をかがめたひかりが覗き込んだ。星良を落ち着かせるように、背中を優しく撫でてくれている。
「星良ちゃんの何が悪いのか私にはわからないけど、顔あげて。ちゃんとお互いの顔見て話しよ。ね?」
 穏やかな声音。真摯な想いが伝わってくる。
 星良は意を決して、ゆるりと身を起こした。恐る恐るひかりの顔を見ると、大きな焦げ茶色の瞳が心配げに自分を見つめている。
「どうしたの?」
「…………」
 優しく促してくれるひかりに、星良は言葉がうまく出てこない。話したいことはたくさんあるのに、昨日、どう話すか考えてきたのに、実際にひかりを目の前にするとどう話したらいいのかわからなくなる。
 ひかりを見つめたまま固まった星良を解きほどくように、ひかりは星良の膝の上で固く握りしめられた拳に暖かな手を乗せた。星良の揺れる漆黒の瞳をまっすぐに見つめる。
「どんなことでも、ちゃんと聞くよ。ゆっくりでいい。星良ちゃんの話したいこと、聞かせて」
「……うん」
 のどに引っかかるような声で頷いた星良に、ひかりは柔らかに笑んだ。
「じゃ、まずは落ち着くために深呼吸でもしようか。はい、吸ってー」
 自ら率先して深呼吸するひかりに、星良はつられるように深く息を吸う。そして長く息を吐くと、息とともに強張った想いが少しずつほぐれてくるのを感じた。肩の力が抜け、話そうと思っていたことが頭の中で整理されていく。
 星良の瞳に落ち着きが戻ったのを見て取ったのか、ひかりは再びテーブルの向こう側に腰をおろした。テーブルを挟み、二人で見つめあう。
「――あのね」
 意を決し、星良はひかりに話はじめた。
 自分の本当の気持ち。それをひかりに正直に話せなかったこと、その理由。ひかりの気持ちを知ったかもしれない太陽に、自分の気持ちをぶつけたこと。それに対した、太陽の答え。
 太陽がひかりのことを好きかもしれないことは、太陽が言うべきことなので言わなかった。そして、勢い余ってキスしてしまったことは、言えなかった。
 ひかりは星良の告白に時おり大きく目を見開いたが、目を逸らさず、黙って耳を傾けてくれた。
 全て話し終えてから、星良は長く深く息を吐いた。それから、頭を垂れる。
「だから、ゴメン」
「どうして星良ちゃんが謝るの?」
 ひかりの声に顔をあげると、大きな焦げ茶色の瞳は潤んでいた。花びらのような唇を、きゅっと噛んでいる。
「謝るのは、私の方だよ。星良ちゃんの気持ち、ちゃんと見てたら気づけたはずなのに、自分の気持ちにとらわれて自分の都合のいいようにしか見れなかった。恋愛感情がないって、知ってホッとしたもん。そう思いたかったんだと思う。星良ちゃんが本当のこと言いづらかったのは、私のせいだよ。それなのに、そんなに苦しんでたの気づけなくて、ゴメンなさい。本当に……ゴメンなさい」
「ひかり……」
 自分の気持ちを隠して、抜け駆けのように太陽に気持ちを告げたことを責められてもおかしくないと思っていた。そのせいで、太陽のひかりに対する想いを、無理に覆い隠してしまったのだから。
 それなのに、ひかりの瞳には責めるような剣呑な光も、呆れるような眼差しもない。思い悩んだ自分の傷を、すべてその身に引き受けた様に痛みを覚えたような表情。自分が一人苦しんでいたことを、そんな風にさせてしまったことを、何よりも悔いているのがわかる。
「謝らないで、ひかりのせいじゃない。あたしが……」
「違うよ、星良ちゃんは何も悪くない。私の方が悪い」
 星良の言葉に重ねるように言い張るひかりに、星良は小さなテーブルに身を乗り出した。
「違うってば! あたしが!!」
「私の方だってば!!」
 つられるように身を乗り出して言い張るひかりと、間近で目が合う。自分のせいだと頑固な光を灯した、大きなこげ茶色の瞳とつり目気味の漆黒の瞳。
 しばし意固地に見つめあっていたが、どちらからともなく苦笑がこぼれた。
「何を主張しあってるんだろうね?」
「お互い様……ってことにしておく?」
 座りなおしたひかりにおずおずと提案すると、ひかりはふわりと微笑んだ。
「うん。お互いに悪いところもあった。お互いに謝った。それで、この謝罪合戦は終りにしよう」
 そう言って、気を落ち着かせるように紅茶を口に運ぶひかり。星良も喉がからからになっていたので、同じようにティーカップを口に運んだ。冷めてしまった紅茶が、のどを潤してくれる。
 同時にカップを置いてから、二人は再び見つめあった。互いに少し逡巡し、先に星良が口をひらく。
「それでね、これからのこと考えたの」
「うん」
 少し緊張した面持ちで、ひかりは真っ直ぐに星良を見つめている。
「あたし、ひかりとこれからも友達でいたい。でも、太陽にも全力でぶつかりたい。やれるだけやらないと、どっちに転んでも気持ちがすっきりしないと思うから。だから、ひかりもあたしに遠慮なく太陽にぶつかってほしい。互いに、後悔しないために」
 ひかりは迷いない星良の瞳をじっと見つめた後、力強く頷いた。
「うん、わかった。私ももう、諦めろって言われて簡単に諦められるほど軽い気持ちじゃなくなってる。そんなの初めてだから、この気持ち、大事にしたい。だから、星良ちゃんに遠慮しない。正々堂々、自分の想いをつらぬくよ」
 ひかりの揺るぎない瞳に、星良は笑むと手を差し出した。
「じゃ、約束の握手。正々堂々戦います! 的な」
「体育祭の選手宣誓みたいだね」
 くすっと笑いつつ、ひかりは星良の手をぎゅっと握ってくれた。
 そんなひかりが、星良はやっぱり好きだと思う。
 だが、もう一つ星良は言わねばならぬことがあった。自分の弱さをさんざん思い知った後だからこそ、考えてきた提案がある。
「あと、ね」
「うん?」
 言いづらそうな星良に、ひかりはさらりと髪を揺らして小首をかしげた。
 星良はごくりと唾を飲み込んでから、口を開く。
「ひかりと友達でいたいからこそ、なんだけど……、しばらく距離を置きたいの。あたし、恋愛になるとどうも弱くて。ひかりと太陽が一緒にいるのを見たりしたら、やっぱり普通じゃいられないと思う」
「……うん」
「ひかりのこと邪魔したくない。でも、あたしの表情だけできっとひかりを躊躇わせちゃうと思う。だからしばらくの間、一緒に遊びに行ったりできない。もちろん、ひかりが太陽誘って遊びに行くのはいいんだよ。でも、今までみたいに一緒に遊びに行ったりはできないというか……。あ、でも、それも自分が優位になりたいとかじゃなくて」
「大丈夫。わかってるよ」
 言い訳がましくなってきた星良に、ひかりは落ち着かせるように穏やかに笑んだ。
「星良ちゃんの言いたいこと、わかる。だから、寂しいけどそこは我慢する。でも、挨拶したりとか、そういうのはしていいんだよね?」
「もちろん! ただ、放課後遊びに行ったりとか、お昼一緒に食べたりとかは、しばらくないほうが全力で行けるかなって……」
「わかった」
 返事をしてから、ひかりは寂しげな微笑を浮かべた。
「でも、しばらくってどれくらいかな……」
「うーん……」
 これからどんなふうにそれぞれの気持ちが変わっていくのか、落ち着くまでにどれくらいの時間がかかるのかわからない。下手したら、高校を卒業するくらいかかるかもしれないし、もっとかかる可能性もなくはない。
 その間、あいさつ程度の付き合いしかなかったら、それはもはや友達とは言い難いのではないか……。
「じゃあ、気持ちに決着がついてなくても、とりあえず年末年始は遊ぼう!」
 年末年始ならあと数か月。そんなに長い期間ではない。
「うん。約束ね」
 星良の提案に、ひかりは嬉しそうに目を細めた。その表情で、ひかりが自分のことも大切に思ってくれていることを感じ取る。その気持ちが、素直に嬉しい。
「じゃ、今日はいっぱいおしゃべりしよ。しばらくライバルだもんね」
 ふふっと笑ったひかりに星良は満面の笑みを返し、二人はモンブランをようやく食べ始めた。
 心の内をすべてさらけ出し、すっきりとした気持ちでのひかりとのおしゃべり。
 また、互いの行動で胸を痛めることはあるだろう。だけど、今ならそれも乗り切れる気がした。

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