太陽が照れてくれたことで、星良の心には小さな希望の灯火が灯った。
 初めて見る反応に、もしかしたら太陽の心を動かせるのではと僅かな期待が生まれる。頑張れば、二人は友達以上の関係に変われるかもしれない。
 太陽にもっと意識してもらうには、笑美と千歳の作戦も効力がありそうに思えてきた。
 ギャップが大事ということで、道場では余計なことを考えずに真面目に稽古をした。学校からの帰路も、今まで通りの自分でいる。
 学校では、笑美や千歳にデートの計画を相談していた。太陽のもとへは、自分からは行かないようにしていた。学校にいる間は、太陽と同じクラスのひかりの為の時間だと思っているからだ。放課後は、部活があるひかりより一緒に道場で稽古する自分のほうが過ごす時間が多い。休日も、太陽に特別予定がなければ道場で会うし、その後母屋にもよってくれる。何もしなくても一緒の時間が多い自分が、太陽のクラスにまでおしかけるのはフェアじゃない気がするのだ。

 そうやって、約二週間が過ぎた週末――。

 星良は朝から笑美の家に来ていた。星良の前には真剣な顔をした笑美と千歳と、女子大生の笑美の姉。三人は星良を変身させようと、髪を巻いたりメイクを施してくれている。
 今日は、太陽とデートに行く約束だ。駅で待ち合わせをしている。
 約束の時間までに星良を少しでも可愛くさせようと、三人はあーだこーだと意見を言い合いつつ手を動かしてくれていた。服は結局、二人のアドバイスに従って自分で購入した。
 裾にフリルのついた黒のショートパンツにベージュのレースチュニック、その上にお尻が隠れる丈のサーモンピンクのカーディガンを羽織っている。足元はキャラメル色のヒールのあるショートブーツだ。
 スカートは無理、あまり可愛すぎるのも無理。という星良の主張も取り入れられた結果だった。アクセサリーも購入し、胸元にも耳にも、星を模ったものが飾られている。
「よし、完成!」
 笑美の声に、目の前の三人が満足げに頷く。
「我ながらいい出来」
 主にメイクを担当した笑美の姉が不敵に微笑みつつ、星良に鏡を渡した。
 鏡を見た星良は、数度ぱちぱちと瞬いた。鏡の中には、見慣れない自分がいる。
 綺麗に整えられた肌、ほんのり色づきふっくらツヤッとした唇、二割増ぐらいに大きく見える目とそれを縁取る長い睫……。
「誰これ」
 思わず突っ込む星良。どうやったらこんな目が大きく見えるのか、星良には皆目謎だ。
 つけマツゲを付けられた目が何だか重くて違和感があるが、せっかく変身させてくれたのにそんな不平は口にできなかった。
 なにせ、普段は少年っぽさがある星良が、誰が見てもちゃんと女の子に見えるのだ。見事なメイクといっていい。髪もふんわりとまかれ、前髪を飾りピンで止めてくれて可愛らしい。
「誰って星良ちゃん、女はみんな可愛く変身できるってことよ!」
 何故か勝ち誇ったような笑美と、嬉しそうに微笑む千歳。
「じゃ、今日はひたすら女の子らしくね! ギャップよ、ギャップ!!」
 そんな応援の言葉とともに三人に見送られ、星良は慣れぬヒールに苦戦しながら太陽との待ち合わせ場所に向かった。

 約束の時間より少し先についたが、太陽はすでに待っていた。
 ネイビーのテーラードジャケットの中は白シャツと黒シャツの重ね着、下は黒のデニムパンツに黒シューズ。落ち着いた色合いなのに、ただ立っているだけで目立つのはスタイルがいいからだ。前を通り過ぎる女子たちが、ちらちらと太陽を見ている。
「お待たせ」
 声をかけると、太陽は見ていた携帯電話の画面から顔をあげ、声のした方向に視線を移した。そして、一瞬固まる。
「ごめん、待った?」
「いや……」
 いつもより身長差の少ない星良を見つめ、何度か瞬きを繰り返す太陽は、なかなか言葉が出てこないようだ。
 じっと見つめられ、だんだんとやっぱり似合わないのではと不安になってくる星良。短いパンツを少しでも伸ばして足を隠そうと、裾のフリルを引っ張る。
「へ、変……だったかな?」
 おずおずと尋ねた星良の言葉で、はっと我にかえる太陽。星良を見てはにかむ。
「そんなことない、似合ってるよ。すごく可愛い。いつもの星良と違うから、ちょっとびっくりして」
 眩しそうに目を細める太陽に嘘はないようで、星良はほっとして笑みを浮かべた。

 それから二人で電車に乗り、いつもはあまり行かない街で食事や映画を楽しんだ。
 ヒールに慣れない星良を気遣い、ゆっくりと歩いてくれる太陽。人込みでは手もつないでくれた。いつもはアクション映画しか見ない星良だが、はじめて恋愛映画を二人で見て、ラブシーンでドキドキしてみたりもした。
 いつもと違う格好だからか、太陽とデートしているからか、しぐさもいつもよりも少し女の子らしくなっていると自分でも思う。太陽も、いつもより女の子として見てくれている気がする。
 これがデートなんだな、と、いつもと違う二人のお出かけに幸せな気分になる星良。
 こんな風にデートを重ねたら、自分も少し女の子らしくなって、太陽ももっと恋愛対象として見てくれるかもしれない。そんな期待も膨らみ始めていた。

 日が暮れはじめ、デート記念にゲームセンターでプリクラをとり、そろそろ地元に戻ろうと駅への道を手をつないで歩いていた時だった。
 数人の男に囲まれた少年二人が、人気のない路地に誘導されているのが目に入った。別に乱暴されているわけではないが、少年たちの顔色は青い。好きこのんでついて行っているわけではないのがわかる。
「星良?」
 星良の異変に気付いた太陽が、星良の視線を追う。そして、立ち止まった。
「星良、ここでちょっと待っててもらっていい?」
 柔らかだった声に、硬さが混じる。目には鋭い光が宿っている。
「あたしも行く」
 少年たちを助けに行くつもりの太陽にそう言ったが、太陽は困ったような笑みを星良に向けた。
「穏便にすませてくるから、ひとりで大丈夫だよ。それに、せっかく可愛い格好してるのに、汚されたら嫌だろ。ヒールで動きづらそうで、危ないし」
「……でも」
 唇を尖らせる星良の頭をふわりと撫で、有無を言わせぬ笑顔を向ける太陽。
「待ってて」
「……はい」
 女の子扱いされるのが嬉しくて、つい頷いてしまう星良。小走りに少年たちを追う太陽を、唇をかみしめて見つめる。
 今日はいつもと違う自分を見てもらいたかった。一人の女として意識してほしかった。その為に、今日は女の子らしくしたつもりだし、太陽もそう扱ってくれた。
 だけど、ものすごくもやもやする。胃のあたりが重い感じがする。

 これでいいのか?

 疑問がよぎる。
 太陽に好きになってもらいたい。だから、恋愛対象として意識されるように、自分も今までより女の子らしくありたい。
 でも、ここで大人しく待っている自分は、本当の自分だろうか。こんな自分を好きになってもらって、本当に嬉しいだろうか。
 ふぅっと息を吐く星良。デートに浮かれていた頭が、すぅっと冷めてくる。
 自分の信念を曲げてまで女の子らしくするのは意味がない。自分に誇れる自分でなければ、好きになってもらっても意味がない。
 狼藉者を他人任せにして待っているのは、本当の自分じゃない。
 星良は意を決すると、太陽の後を追った。
 彼らが入っていった路地に入ると、男たちの脅すような低音の声と、太陽の落ち着いた声が聞こえてきた。威嚇するように話す男たちを、太陽は冷静に対処しているようだ。
 路地に入ってすぐの角を曲がると、少年たちをかばう様に立つ太陽と、その前にずらりと並んだ男たちが目に入った。その男たちの手にキラリと光るナイフが見え、星良は目を見開いた。
「おっと、彼女が心配して迎えに来ちゃったみたいだな」
 にやりと笑った男たちの声で、太陽が顔をしかめた。叱るような眼差しを星良に向ける。
「彼女には手を出さないでもらえますか?」
「なんでー?」
 ケタケタと笑う男たち。ふつっと星良の中で何かが切れる。
「お前ら全員、有り金全部だしたら考えてやってもいいけど」
 言いながら、ナイフを太陽に向ける男。他の男はニヤニヤと星良を見ている。
 が、その目が驚きでぱっちりと見開かれる。
「お前、何して……」
 ブーツを脱ぎ、腕や足を軽くストレッチしている星良に訝しげな視線を送る男たち。だが、かけた声は最後まで発することができなかった。
 とんっと、地面を蹴った星良が一瞬で男たちと距離をつめたのだ。男たちは何が起こったかわからぬ表情のまま、手にしたナイフを鋭い蹴りで叩き落とされる。痛みがきてはじめて自分が蹴られたことに気づくほど素早い蹴りに、男たちはさすがにたじろいた。
「何だ、お前……」
「そんなもの人に向けて、ただですむと思ってんの?」
「な、何言って……」
 ひゅっと風を切る音とともに、一番近くにいた男の眼前に回し蹴りを放ち、寸止めする星良。その風圧で髪が揺れ、男は息をのんだ。
「傷つく痛み、知ってる? 教えてあげようか?」
 星良から発せられる怒りのオーラに、男たちはとうとう口をつぐんだ。本能で、この人間には勝てないと悟ったらしい。
 何やらごにょごにょと捨て台詞を言いながら、腰が抜け気味のふらふらした足取りで逃げ去っていく。太陽の背中に隠れていた少年たちも目を丸くして星良を見ていたが、危険が去ったと安心すると、太陽と星良に礼を言って、走って帰って行った。
 路地に残された星良と太陽。
 我に返った星良は慌ててブーツを履く。太陽の叱るような眼差しが背中に痛い。
「星良……」
「ごめん! 我慢できなかった!! あんな奴ら見過ごすなんて、無理!」
 怒られる前に頭を下げる。しばらくそのままでいたが、ふっと太陽が笑ったのを感じて頭をあげた。
 顔をあげて太陽を見ると、優しい笑み。どうリアクションしていいのかわからずじっと見つめると、太陽はそっと星良を引き寄せた。とんっと太陽の肩に顔をよせる形になった星良の頭を、くしゃっと撫でる。
「ごめん。実はホッとした」
「? ナイフ向けられて、困ってた?」
 太陽が近くてドキっとしつつも、浮かんだ疑問を口にする。太陽は、いや、と否定した。
「自分でもなんとかできたよ。危ないから、星良に来てほしくなかったのも本当。だけど、やっぱり来ちゃって、あっさり一蹴する星良を見たら、あー、星良だなーって、なんかホッとした」
 腕の中にいる星良を確認するようにぎゅっと抱きしめてから、身体を離す太陽。星良は頬を少し朱に染めたまま、目の前の太陽を見上げる。
「今日のあたしは、嫌だった?」
「そんなこと、あるわけないだろ」
 きっぱりと否定する太陽。そして、柔らかく笑む。
「今日みたいな星良も、可愛いよ。星良にも、こんな一面があるんだなって新鮮だった。でも俺には、いつもの星良が一番安心する。のびのびした星良が、俺は好きだよ」
「……無理してるように見えた?」
「少なくとも靴は無理してた」
「う……」
 言葉に詰まった星良を見て、太陽はくすっと笑う。
「今日の恰好も似合ってるけど、もっと星良らしい恰好でいいと思うよ。いつもの星良だって、十分可愛いと俺は思うし」
「……うん」
 複雑な心境で、星良はうなずいた。いつもの自分がいいと言ってくれるのは嬉しいが、それだとどうしたらいいのかわからなくなる。
 変わらない方がいいのか。変わったほうがいいのか……。
 
 恋って難しい。
 
 内心深いため息をつきつつ、太陽に手をひかれ、幸せな気持ちも残したまま帰路についたのだった。

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