「あんたがついてて何やってんのよ、月也!」
 思わず声を荒げた星良に、月也は両腕を掴まれたまま軽く肩をすくめた。
「さすがに僕ひとりでこの人数を相手するのは無理だよ、星良さん。無駄な抵抗して怪我してもしょうがないし。っていうか、連れがいるのばらしたの、星良さんたちでしょ?」
 星良と太陽は顔を見合わせる。確かに、男たちの前で二人の話をした。その情報を、近くにいた仲間に知らせたのだろう。
「ごめん。そこまで考えてなかった」
 星良が苦い顔で謝ると、月也は小さく笑った。
「ま、星良さんも太陽も、基本いい人だからね。こんな卑怯なことする人間がいるとか思いつかないよねー」
「てめぇ、ごちゃごちゃ言ってんじゃねー」
 ぱぁんと月也の頬が鳴った。カラカラと音をたて、眼鏡が地面を転がる。
「月也!」
「動くんじゃねぇ、神崎。この子も同じ目にあうぞ」
 月也が殴られ一歩踏み出した星良は、ひかりの肩を強引に抱いた男の言葉で動きを止めた。上げかけた拳を悔しげに下ろす。
「……どうすればいいのよ」
 怒鳴りたいのを通り越し、星良は低く静かな声で尋ねる。男たちはニヤリと笑った。
「大人しくやられればいいんだよ。簡単だろ?」
 星良は男たちを睨みつけた後、ひかりを見つめた。本当は悲鳴をあげたいほど恐いはずなのに、ギュッと手を握り、唇を噛みしめ、必死に堪えている。星良はふぅっと息を吐いた。
「わかった。好きにすれば? ただし、その子に手を出したら、地獄を見せるから」
「物分かりいいじゃねーか」
 ひかりを捕らえているのがリーダーなのだろう。笑いながら、星良の背後にいる男たちに合図をする。最初に星良が止めにいった男四人が星良を取り囲もうとした。
「ちょっと待った。その役、オレが代わる」
「太陽?」
 隣にいた太陽が庇うように立ったのを見て、星良はその背中を見上げた。
「何言ってんだ、てめぇ」
「オレが星良の代わりに殴られるから、星良には手をださないで欲しいって事。これでも女の子だから、ボコボコにされるのはちょっとね」
 太陽の言葉に、男たちはどっと笑う。
「そんな提案のむとでも思ってんのか? それじゃ、神崎への制裁になんねーだろ。だいたい、お前みたいなカッコつけた男もムカつくんだよ。最初から、お前も一緒にやられること決定だ」
 大笑いする男たちに星良は唇を噛んだが、太陽は落ち着いた眼差しでリーダーの男を見つめた。
「そうかな? 星良への嫌がらせなら、オレだけを痛めつける方が効果的だと思うけど」
「はぁ?」
「星良は自分の痛みには強いよ。それよりも、自分のせいで誰かが傷つく事の方が辛い。ましてや自分が無傷で相手だけが傷つくなんて、耐えられないだろう。精神的ダメージは多大だよ」
「ちょっと太陽、何言ってんのよ!」
 上ずった声を出しながら、太陽の服の背中をぎゅっと掴む星良。だが、太陽は振り向かなかった。ただ、ふっと笑ったのが背中からでも伝わった。
「ほら。自分がやられそうな時は動揺しなかったのに、今はうろたえてる。星良は、オレだけがやられる方が嫌なんだよ」
「…………」
 男たちは太陽の言う事にだんだんと興味を示し始めたようだった。それを後押しするように、今度は月也が口を開く。
「僕もそう思う。星良さんは自分が痛めつけられても泣かないけど、太陽がやられたらきっと泣くよ。身体痛めつけても心が折れなかったらあんたたちも楽しくないでしょ。それよりも、破壊神の涙、見たくない?」
「ちょっと、月也まで何言ってんの!?」
 動揺を隠せない星良の声に、男たちは太陽の誘いに乗る事に決めたようだった。標的が太陽に変わったのが、彼らの視線でわかる。
「太陽、バカなこと言ってないで、そこどきなさいよ! あたしのせいなんだから、あたしがやられる!!」
 背中を押しのけようとしたが、星良は逆に壁際に押しのけられた。肩越しに振り返って星良を見つめ、太陽は小さく溜息をつく。
「バカな事言ってるのは星良だろ。無抵抗でやられるなんて、女の子のすることじゃない」
「でもっ」
「大人しく見てろよ、神崎」
 リーダー格の男の声がし、星良は太陽から男に視線を移した。男は、ひかりの頬をゆっくりと撫でている。
「お前の大事な仲間が無様にやられるのを、黙って見てるんだな。手をだしたり、自分が代わろうとしたら、この子も痛い目に……」
「合わせればいいじゃない!」
 男が最後まで言い終える前に、ぱぁんと男の手を払いのけ、高らかに言い放ったひかりに、その場にいた全員が呆気にとられ、一瞬動きを止めた。
「星良ちゃん、我慢する事ない! こんな勝手な事されて、黙って見てる事ない!」
「何だと、この女……」
 リーダー格の男が直ぐに我に返り、ひかりの手首を掴みあげた。が、ひかりは怯まずに男を睨みつけた。
「殴りたければ殴ればいいわ。それで友達が傷つくのを見ないで済むなら、私はかまわない。だいたい、恥ずかしくないんですか? いい年した男性が、女の子一人相手に集団で、人質までとって。そんな人たちの思い通りになるくらいなら、殴られた方がマシです!」
「言うねぇ、久遠」
 月也はニヤリと笑い、ひゅうっと口笛を吹いた。星良は目を見開いてひかりを見つめていた。いつも笑顔で、穏やかで、女の子らしいひかり。華奢で、男と戦う事なんて絶対にできそうもないのに、あんなに手は震えているのに、逃げずに男を睨んでいる。それは、友達を守ろうとしているからだ。
「だったら、望み通りにしてやるよっ」
 リーダー格の男はひかりの手首を掴んでいる手とは逆の腕を振り上げた。ひかりは、びくっと身をすくめ、目を閉じる。
「ひかりっ!」
 星良も思わず叫んだが、男の手は振り下ろされる事はなかった。その腕を、月也が掴んでいた。
「かよわい女子に手を上げるのは、いくらなんでも最低すぎるでしょ」
「お前、いつのまに……」
 月也を捕らえていた男たちは、どうやって抜け出されたのかもわからぬ様子で、目を見開いて月也の背中を見ている。リーダー格の男が驚いた顔で月也を見ると、月也は唇の片端をあげ、その手をひねった。男は膝から崩れ落ちる。
「逃げるのは上手いんだよ、僕。久遠が気をひいてくれたしね」
 言いながら、月也はひかりを背中で庇いながら、壁際によった。だが、すぐに男たちに取り囲まれる。
「てめぇ、どうなるかわかってんだろうな」
 ひねられた腕をさすりながら立ちあがった男が、月也の前に立って凄んだ。
「そんなんで女を守った気になってんのか? この人数に勝てるとでも思って……」
 ドサドサっという音が横から聞こえ、男は言葉をとぎらせた。ゆっくりと音のした方向を見る男たち。そして、動きを止める。
 月也はニヤリと笑った。
「どうなるかというと、僕を倒して久遠を人質にとる前に、あんたたち全員がやられると思うよ。久遠に手をあげようとした時点で、あんたたちに死亡フラグたったから」
 男たちは視線の先の光景を見てごくりと唾を飲み込んだ。地面には倒れている四人の男。その傍に立っているのは、下駄を脱ぎ、浴衣の裾を帯に挟んでスパッツ丸出しで仁王立ちになっている星良と、波のない湖面のような静かな瞳の奥に激しい炎を隠した太陽の姿。二人の背後には何もないはずなのに、地獄の業火と見紛うような烈火と、静かに全てを焼きつくす青白い炎が見える気がした。
「ご愁傷さま」
 軽い口調の月也の言葉が合図かのように、星良と太陽がトンっと地面を蹴った。男たちが迎撃の姿勢を見せる前に、前方にいた男たちが地面に倒れ込む。傍にいた男たちが身構えるが間に合わず、一撃で倒され、一分もたたないうちに立っているのはリーダー格の男だけになっていた。
「なっ……」
 目の前の光景が信じられないかのように、言葉を失って一歩後ずさる男。星良は男の前まで歩み寄ると、足を払った。男はどさっとその場に座り込む。その顔に向かって星良はひゅっと音をたてて蹴りを放った。全身に、悪寒が走る。男は息を止めたが、蹴りが顔に触れる寸前でピタリと止められたのを感じ、呼吸を再開する。だが、尋常ではない冷や汗が流れていた。殺気だけで、三途の川が見えた気がしていた。
「次にあたしの仲間に手をだそうとしたら、本当に地獄を見せるから」
 蛇に睨まれた蛙のようになりながら、男は震えながら小さく頷いた。
 星良は踵を返すと、月也の背後から出てきて辺りの惨状を見て驚いているひかりを見た。そして、勢いよく抱きつく。
「ひかりー! ごめんねー!!」
「大丈夫だよ。気にしないで」
 星良の背中を撫でながら、優しい声で答えるひかり。
「それよりも、星良ちゃんの強さにびっくりしちゃった。本当に強いんだねぇ」
「それよりも、じゃないよ。久遠さん」
 冷たい炎で男たちを焼きつくしそうだった姿は消え、いつもの穏やかな瞳で溜息混じりに太陽は言った。
「あんな無茶な事したらダメだよ」
「だって!」
 星良から身体を離し、太陽と向き合うひかり。星良はその隣で二人のやりとりを見つめる。
「朝宮くんが彼らのいいなりになったら、星良ちゃんがあまりにも可哀そうだと思ったから! 女の子だって、守られてるだけじゃ嫌なんだよ。大切な人が目の前で傷つけられるのを見たいわけないじゃない。自分だけ痛くないのなんて、私だって嫌だもの。男だからって全部自分だけでひきうけようなんて、勝手だよ!」
「……すみません」
 ひかりに怒られ、太陽は一瞬言葉に詰まり、それから目を細めて謝った。
「笑って謝っても説得力ない」
「いや、反省はしてるよ。ただ、女の子は強いなーって」
「そうよ。知らなかったの?」
 笑みを浮かべ、小首を傾げながら太陽を見上げたひかりに、太陽は笑みを深めた。
「わかったから、久遠さんも、もう無茶しないで」
「っていうか、もうこんなのに巻き込んじゃダメでしょ」
 男たちの間に転がっていた眼鏡を拾って戻ってきた月也の言葉に、太陽は苦笑いを浮かべる。
「確かに、それが一番だ」
「……ごめんなさい」
 シュンとして謝った星良の手を、ひかりはぎゅっと握った。星良が顔をあげると、笑顔のひかりと目があった。
「困ってる人を見過ごせない星良ちゃんはかっこいいと思うよ。そんなところ、私は大好き」
「ひかりー! あたしも大好きー!」
「ありがとー。で、星良ちゃん。その格好直そうか」
 抱きしめた星良を抱きしめ返した後、ひかりが冷静にそう言ったのを聞き、月也と太陽は顔を見合わせて笑いだす。ひかりは、足丸出しの星良の浴衣姿が我慢できないらしかった。ひかりがテキパキと直していくのを、星良が大人しく受け入れている姿が、何だか可笑しかった。
 ひかりが星良を清楚な浴衣姿に戻している間、太陽と月也は気を失った男たちの意識を回復させ、その場から追いやった。星良が再び動きづらいと感じる頃には、辺りには誰もいなくなっていた。
「じゃ、帰ろうか」
 女子二人の身支度が整ったのを見て、太陽がそう促した。何とはなしに、ひかりの隣に太陽が立ち、その後ろに星良と月也が並んで続いた。
「だいたい、月也がひかりを連れて逃げてれば話は早かったのに」
「いやだから、あの人数相手に、浴衣姿の久遠連れて無傷で逃げるとか、僕には無理だから」
「でもさー」
 そんな軽口を月也とたたきあっている最中、ひかりと太陽の会話がふと耳に入ってきた。
「――でも、星良ちゃんを守ろうとした朝宮くん、かっこよかったんだけどね」
「それはどうも」
 その前に何を話していたかは聞いていなかったが、そう言って笑いあう二人を見て、何故だかちくりと胸が痛んだ。それが何かよくわからないまま、月也と話しながら二人を見つめる。前をみながら楽しそうに笑うひかり。太陽も笑い、そしていつも自分にするように自然な仕草で手をあげてひかりの髪に触れかけ、そしてはっとしたように手を止めると、そのまま下ろした。ひかりが気付いていない事にほっとした様子で、はにかみながらひかりの横顔を見つめている。
「星良さん?」
 月也に声をかけられ、星良ははっと我に返った。
「何?」
「いや、いきなりぼーっとしてるからどうしたのかなーと」
「別になんでもない」
 口ではそう言ったが、心臓がドクドクとなっているのが隣にいる勘の鋭い月也に気付かれないか心配だった。
 太陽に頭を撫でられる事は、自分にとって当たり前で自然な事だった。他の人は――特に女子にはしない。幼馴染の自分の特権の様な気がしていた。
 だから、ひかりの頭に触れなかったのは普通の事のはずだった。自分と話している感覚で同じような事をしかけ、相手が幼馴染ではなかったと気付いて手を下ろした。
 ただ、それだけの事。
 そのはずなのに、何故だか胸がうずく。躊躇いがちにおろした太陽の手がもどかしげに握られたのが、頭から離れない。自分に向けるものとは違った優しい眼差しが、今日に限って何か気になる。もやもやする。
 どうして? ひかりを巻き込んだ事に、まだ自分が動揺しているから、いつもと違って感じるだけ? 太陽が守ってくれようとした事が嬉しかっただなんて、そんな自分らしくない事を思ったから、おかしくなってる?
 違う。
 心の奥底で否定する声がする。
 本当に気付いていないの?
 自分の中で誰かがそう言っている。
 だけど、その声を聞こうとしなかった。聞こえない振りをして、月也と軽口を聞きながら皆で神崎家に戻った。
 普段着に戻り、太陽と月也に送られて帰っていくひかりを笑顔で見送ってから、星良は虚ろな瞳でベッドに倒れ込んだのだった。

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