「弱い者イジメなんて、いい歳して恥ずかしくないわけ?」
 両手を腰に当て、仁王立ちの少女はよく通る声で青年たちに言い放つ。青年たちは最初は呆気にとられていたものの、相手が小柄な少女だと我に返ったのか元の陰湿な笑みを次々に浮かべた。
「なんだよ、お前も正義の味方ごっこか?」
「ガキはこれだから嫌だよな」
 やはり反省の色は全く見えない彼ら。地面に転がされた青年は汚れを払いながら立ち上がると、ゆっくりと少女に近づいていった。
「いきがってんじゃねーぞ」
 身をかがめて少女の視線に合わせながら凄む青年。
 助けなきゃ、と思う月也だが、まだ身体は動いてくれない。どうしたらいいのかと彼女の後姿を見つめたが、しかし、少女は全く助けを必要としていなかった。
 低い声で脅すように言った青年だったが、少女は動じるどころかそれを鼻で笑った。
「弱い者にしか強がれない人に言われてもね」
「なっ」
 青年の顔が怒りでひきつる。拳をぎゅっと握ると、歪んだ笑みを浮かべた。
「口だけのガキが、偉そうに」
 言って、青年は少女の肩を思い切り突き飛ばした。少女はバランスを崩し、後ろに数歩よろめくと月也の前にペタンと尻もちをついた。
「大丈夫?」
 恐怖からの呪縛がとけ、そう声をかけるたが、少女は怯えた様子もなく、青年たちに見えないように笑みを浮かべた。まるで、月也の怯えを溶かそうとするかのように。
「あたしは平気。だから、あたしがあいつらの気をひいてる間にあの子連れて逃げて」
「え……」
 思わぬ申し入れに戸惑う月也。大丈夫と言われても、少女一人を善意の欠片も見えない彼らの元に置き去りに出来る訳がない。ましてや囮にして逃げるなんて……。
 月也の迷いが伝わったのか、少女は再び笑んだ。生命力が溢れ、自信に満ちた輝きを放つ少女の漆黒の瞳に月也は引き込まれそうになる。
「あたしはあんな奴らに負けない。それよりも、早くあの子を病院に連れて行かないと」
 後半は心配そうに ダンボールの中でキュンキュンと鳴いている子犬を気遣う少女。
 確かに、有害そうな物を吹きかけられた子犬は直ぐにでも病院で診てもらう方がいい。だからといって、彼女だけ置いて行っていい理由になるだろうか。青年たちは、今も濁った瞳で彼女を睨んでいるのに……。
「任せたからね」
 月也の返事を待たず、少女はランドセルを置くとゆっくりと立ち上がった。服についた汚れをパンパンと払い、青年たちの前に立ちはだかる。
「なんだよ。まだヤル気か?」
 青年たちは威圧するように少女を取り囲んだ。子犬にあんなひどいことを平気でやれる人間だ。彼女にも何をするかわからない。
 月也の背は冷や汗に濡れるが、彼女を助ける術が思い浮かばない。携帯電話も持っていないし、防犯ブザーもない。そもそも周りに人がいない。自分は高校生に勝てるほど強くもない。
 自分がちびをここで世話していたせいで、少女も危険に巻き込んでしまった。
 そんな自責の念に押しつぶされそうになった月也の目に、信じられないものが映った。
 少女に掴みかかろうとした青年の身体が、次の瞬間に地面に叩きつけられたのだ。
 叩きつけられた本人も、残された二人の青年も何が起こったのかわからずに目を見開いている。
「これってせーとーぼーえーってやつよね? そっちが先に手を出したんだから」
 意味が分かっているのか怪しい口調でニッと笑う少女。先ほど突き飛ばされたのはわざとだったらしい。月也の方によろめいてきたのも、月也に逃げるように指示するためだったのかもしれない。
 小柄で華奢に見えるのに、強い。身も、心も。
 それが彼女の凛とした背から伝わってくる。
 月也はきゅっと唇を噛み、意を決すると、もう少女にばかり意識を集中している青年に気づかれぬようにそろりそろりと子犬の方に移動していった。
 彼女は子犬も月也も守ろうとしている。いつまでもここにいたら、助力になるよりも足を引っ張る可能性が高い。青年達がいつ子犬や月也に狙いをかえるかわからないからだ。
 少女を囮に逃げるなんて、本当はしたくない。心配だし、情けない。
 だけど、ここにいても自分は状況を好転させる術はないのだ。自分の男としてのプライドなど、何の役にもたちはしない。
 目立たぬよう、ゆっくりと移動する月也。少女は青年たちの攻撃を子ザルのようにひょいひょいと交わしている。投げ飛ばされた青年も立ち上がり、三人で彼女を捕えようとしているが、かすりもしない。
 一方、少女は時おり青年たちに気づかれぬようにちらりと月也と子犬を確認している。余裕がある証拠だ。苛立ち、だんだんとぶつける言葉も乱暴になっていく青年たちにまったく怯える様子もない。
 すごいな。と月也は感心する。
 今まで自分の周りにいた女子にはこんな子はいない。気の強い女子はたくさんいるが、達者なのは口だけだ。年上の男数人を相手に身を挺して誰かを守る強さなど、男子でさえ見たことがない。
 彼女の身のこなしに見とれつつ、月也はようやく子犬のもとにたどり着いた。もうキャンキャンとなく力もないのか、クーンと弱々しい声をあげるだけでぐったりしている。子供の月也でさえ、一刻も早く病院につれていかなくてはとわかる状態だ。
 月也は段ボールの中の子犬をそっと抱き上げ、その胸に抱いた。
 その時だった。
 背後で短い悲鳴があがる。声の高さから、少女のものだとわかる。
 はっとして振り返ると、少女は目を押さえ、咳き込みながらしゃがみ込んでいた。青年の手には先ほど見たスプレー缶。催涙スプレーを彼女に向かって吹きつけたのだ。
 月也はサッと青ざめた。信じられない思いで青年たちを呆然と見る。いくら彼女に攻撃が当たらないからといって、小学生の女の子にそんなものを吹きつけると想像すらできなかったのだ。だから、彼らがそれを持っていることを知っていながら、彼女に忠告することすら思いつかなかった。そのせいで、彼女は……。
 呆然とする月也の前で、青年たちはしゃがみ込んだ少女を取り囲み、代わる代わる蹴り始めた。全力の蹴りではない。だが、やんわりといたぶる様に、順番に彼女の肩を、背を、足を蹴る。彼女はぼろぼろと涙が零れる目から手を放し、頭を守る様に手を組んだ。咽るように咳き込んでいるのは蹴りのせいではなく、スプレーを吸い込んだせいだろう。反撃できる余裕はもはやない。
 子犬を抱く腕が、カタカタと震える。
 腕の中で弱っていく命。目の前で暴力を振るわれている少女。
 助けられるのは自分しかいないのに、その術が思い浮かばない。
 どうしたらいい? いったいどうしたら、救える?
 あまりの出来事に、月也の思考はまとまるどころか混乱する一方。もはやパニック状態の一歩手前だった。
 そんな中、少女の目が僅かに開いた。充血し、涙が浮かぶその目は、少し彷徨ったあとに月也を捉える。すると、彼女の口元がゆっくりと動いた。月也に伝えようと、一音一音わかるように、ゆっくりと大きく動く。

 に げ て

 そして、自分は大丈夫という様に最後は笑みを浮かべた。
 大丈夫なわけがない。笑える状況なわけがない。
 だけど、彼女は笑う。自分を逃がすために。子犬を助けるために。
 彼女の強さに、優しさに、月也の頭はすぅっと冷えて冷静さを取り戻した。
 少女を置いていけるわけがない。興奮状態にある青年たちは、冷静さを欠き、手加減なしにやりすぎる可能性がある。集団の興奮状態は、より一層歯止めが利かなくなるからだ。
 気を落ち着かせるように、月也はふぅっと息を吐いた。力じゃ敵わないとわかっていても、他に術がないなら少女を助けるべく彼らに体当たりするしかない。
 そう思った時、子犬の入っていた段ボールの横に置いてあった彼らのバッグが目に入った。学校指定なのだろう、校章が描かれている。月也にも見覚えがあった。確か、この辺りではそれなりに有名な進学校だ。
 月也は青年たちに視線を戻す。最低な人間だと思うが、学校に通っていない風ではない。どちらかといえば、表では問題を起こさず優等生ぶっているタイプにも見える。
 月也は再びふぅっと息を吐いた。
 力とは腕力のことだけではない。
 父がよく言っている言葉を思い出す。
 そして自分は、腕力ではない力の方がどちらかといえば得意なことも……。
「いい加減にしろよ、あんたたち」
 自分でも驚くほど冷静な声が月也の口から発せられた。少年特有の高い声に、少女をいたぶっていた青年たちは一度動きを止め、忘れていたという様に月也を見た。
「何だ、まだいたのかよ」
「今度は犬じゃなくて、女の子を助ける王子様のつもりか?」
「いいねー、かっこいいねー」
 小ばかにする青年たちを、月也は静かに睨みつけた。
「刑法第261条、 他人の物を損壊し、又は傷害した者は、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料に処する。動物虐待もこれにあたる」
 小学生の口から発せられるとは思えない言葉に、青年たちの眉間に皺が刻まれる。
「刑法204条。人の身体を傷害した者は、10年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料に処する」
 冷静に続けられた月也の言葉に、青年たちの顔がさらに険しくなった。
 家に置いてある六法全書。両親の真似をしてそれを開いて読み始めたのはいつの頃だったか。もちろん最初は読めもしなければ意味など全く分からなかったし、今でも理解できないものの方がはるかに多いが、ニュースなどで聞くものは少しずつ理解し始めていた。父や母が子供の遊びと笑い飛ばさず、疑問に答えてくれるのも大きい。
 腕力よりも強い、法という力。
 それは何も、日本国憲法という大層なものだけではないことを、月也は知っている。彼らにとって身近な規則は学校にある。
「どこで知ったかしらねーけどさ、残念ながら俺らには関係ないんだよな」
「残念だったねー、クソガキ」
 黙って睨む月也を、冷静さを取り戻した青年たちはせせら笑った。
 未成年だからと言いたいのだろう。確かに、未成年は成人の刑事事件とは扱いが違う。だが、別にそれはどうでもいい。今のはただの前振りにすぎない。それに、少なくとも彼女への攻撃を止めるという最大の目的は果たせている。
 少女は青年たちの足元で、何が起きたのかというように痛む目をうっすらとあけてこちらの様子を見ているようだ。意識がちゃんとあるようで、月也はほっとした。
 月也は腕の中の子犬がまだちゃんと呼吸をしているのを確認してから、彼らを追いつめるべく再び睨む。
「残念なのはそっちだろ。彼女が暴行を受けた被害届を提出すれば、未成年でも捜査は開始されるよ」
 月也の落ち着いた物言いに、青年たちの肩がびくっと揺れた。それを眺めながら、己の知識をフル動員して月也は畳みかけるように続ける。
「動物虐待を止めようとした小学生の女の子に催涙スプレーを使っての集団暴行。悪質だよね。もしかしたら、身柄を拘束しての取り調べになるかもね。この子犬も虐待されていたことを証明できるし、僕も証人になる。嫌疑が立証されたら、あんたたちは家裁送りだよ。少年院送りにはならないだろうけど、どうだろうね? 動物虐待と子供への傷害罪で裁かれたあんたたちを、進学校である星蘭高校ははたして受け入れてくれるかな?」
 自分たちの校名を言われ、青年たちはさっと青ざめた。月也は、さらに追いうちをかける。
「頭のいいあんたたちだ。せっかくの進学校を退学したらどれだけ人生かわるかわかるよね。いくら少年法で実名報道されなくても、噂はすぐに広まる。どこまでも、汚名は付きまとうよ」
 ぐっと少年たちの喉から詰まったような音が聞こえた。瞳が小刻みに揺れ、動揺を隠しきれずにいる。それでも、中心となっていた青年はこの状況を逆転しようと月也を睨みつけた。
「お前らガキの言うことを、大人が信じると思ってんのか? 普段の俺らを知る人間は、信じやしないぜ?」
 青年の言葉に、仲間は力づけられたように頷いた。だが、ここまでくれば月也も言い負ける気などない。
「悪いけど、僕も大人から信頼度が高いんだ。くだらない嘘をつくとは思われないし、証言に信憑性がないと思われるほど幼くない」
 きっぱりとした口調に、青年たちは苦虫を噛み潰したような顔になる。
 そんな彼らに月也はにこっと笑いながらとどめの一撃を放つ。
「それに僕の両親、弁護士だし」
 青年たちが動揺したように目を見開いた。別に両親が何の仕事だろうと子供の証言ということには変わりないが、法曹関係者が身内というのは、たぶん彼らにとっては恐怖だろう。
 狼狽える青年たちの後ろで、回復してきたのか、少女が目をこすりながらむくりと起き上がった。地面の上で胡坐をかくように座りながら、まさかの追い打ちを放つ。
「ちなみに、あたしの父親は刑事だけどね」
「なっ……」
 声をあげて、地面に座る少女を見つめる青年たち。呆然と立ち尽くしている。
 今がひき時だと月也は思う。
 追いつめすぎると、最悪の手段にでる人間もいる。追いつめたところで、逃げ道をつくるのが肝心だ。そうでなければ、あとあと逆恨みされる可能性も高い。
 母がそう言っていたのを思い出す。
「でも、もう二度としないと誓うなら、そしてその子が許すなら、両親にも警察にも訴えない。僕だって、警察の取り調べとかうけるの本当は嫌だしね」
 月也の言葉に、青年たちの少女に向ける瞳が救いを求めるものに変わる。少女はまだぽろぽろ零れる涙を拭いながら、顔をあげて少年たちを見上げた。
「その子犬にちゃんとゴメンなさいしたら許してあげる」
 あからさまにホッとする青年たち。上辺だけの謝罪で許されるなら安いものだと、瞳が物語っている。
 だが、目がまともにあけられない少女から突如発せられた怒気に、再び青ざめた。
「ただ、二度目はないからね」
「は、はい。わかりました」
 思わずといった感じで敬語で答える青年たち。尻尾を巻いた犬のようになっている。
 得体のしれない小学生から早く逃げたいという様に、次々と子犬に謝罪の言葉を述べるとそそくさとその場を去って行った。
 ひとまずの危機が去り、ほっとして崩れ落ちそうになる月也。だが、そんな場合ではない。子犬と少女の処置を急がなければならない。
「大丈夫?」
 川の水でバシャバシャと目を洗っている少女のもとまで駆け寄ると、少女は顔をあげてニッと笑みを浮かべた。差し出した月也のハンカチで濡れた顔を拭う。
「ありがとう。助かったよ」
 少女の言葉に、月也は素直に喜べずに俯いた。徐々に回復しているらしい少女は、何度も瞬きを繰り返しながら月也を見つめる。その真っ直ぐな漆黒の瞳が、月也には痛かった。
「ううん。ゴメン。僕が情けないばっかりに、ちびも君も怖くて痛い思いさせちゃって……。僕、男なのに、戦えなくて……」
 守るために、迷いなく青年たちに立ち向かった少女。彼女がこんな目に合うまで何もできなかった自分の弱さが、月也は情けなくてしょうがなかった。
 唇を噛んで俯く月也を、少女は不思議そうに見つめる。
「どうして? 君だってちゃんと戦ったじゃない。あたしと子犬、守ってくれたよ。だから、ありがとう」
 最後に彼女は星の煌めきのように眩い笑顔を月也に向けた。月也の胸が、トクンと脈打つ。
「人にはそれぞれ戦い方があるんだよ。あたしなんて、力勝負ばっかりだからそれじゃダメだって、ししょーやタイヨウに怒られるの。ちゃんと話し合いもしなきゃって。話し合いで解決する方が、難しいけどいいことだよって。だから、話し合いで勝てた君の方が強くてすごいよ」
 嘘のない純粋な瞳に、月也は嬉しさを覚えるとともに後ろめたさがのしかかる。
 今のは正しくは話し合いではない。正当な言い分ではあるが、力勝負よりも性質が悪いかもしれない脅迫行為と紙一重だ。
 だが、キラキラとした笑顔を向けられるのが嬉しくて、そんなことは言えなかった。
 強さと優しさを兼ね添えた少女に、褒められたことが素直に嬉しかったのだ。
「ううん。君が守ってくれなかったら、僕は何もできなかった。助けてくれて、ありがとう」
「それじゃ、お互いありがとうってことで!」
 にこっと無邪気な笑みを浮かべると、彼女は手を差し出した。彼らに蹴られたせいか、痣のある手。それを見て表情が曇ったのに気付いたのか、彼女は照れたように笑った。
「違うの。これはけーこの時についたやつ。あんな奴らの攻撃なんて、ししょーに比べたらたいしたことないから心配しないで」
 ししょーは師匠。けーこは稽古だとしたら、何か武道を習っているのだろう。それならば、少しは彼女の強さが理解できる。
 月也は子犬を片腕で抱くと、擦りむいた手を出し、少女と握手をする。互いに微笑んでから、月也はその手で彼女を立ち上がらせた。
「それより、早くその子病院に連れて行かなきゃ!」
 少女は弱々しい声でクーンと鳴いた子犬を覗き込み、心配そうに言った。
「うん。でも、君も病院行かないと」
「あたしはもうへーき。っていうか、もう行かないとししょーに怒られちゃう!!」
 少女を心配した月也だが、少女は何かを思い出したのか、どんなに攻撃を受けても動じなかった顔を青ざめさせた。慌ててランドセルまでかけよって、片方の肩にそれをかける。
「ごめん。その子頼んでいい?」
「もちろん。でも、君は……」
「大丈夫。ししょーのよーじが終わったら、一応病院いくよ!」
「でも……」
 心配する月也に、彼女はちゃんと目を開けてから、顔中に広がるような笑みを浮かべた。
「子犬を守ってくれた君なら安心して任せられる。その子をよろしく! あと、守ってくれてありがと! 最後まで付き合えなくてごめんね! じゃあね!!」
 月也がかける声を見つける前に、彼女はぱたぱたと走り去っていった。あっという間の出来事に、月也は子犬を抱きしめたまま立ち尽くす。
 彼女の名前もどこの学校かも知らない。助けてくれたお礼を改めて言うことも、子犬の回復状況を知らせることもできない。
 だが、思い出したら慌てて立ち去らなくてはならないほどの用を忘れて、子犬と月也を助けに入ってくれた彼女の正義感と優しさに月也は微笑んだ。
 そして、急いで動物病院に向かう。この子犬を絶対に救わなくてはならなかったからだ。
 病院について事情を説明すると、すぐに治療をしてくれた。数日の入院が必要だと告げられ、月也は家に帰る。
 夜になり家に帰ってきた両親に、月也は頭を下げた。どうしても子犬を飼いたいと懇願するために。
 最初は、前回と同じく無下に却下された。それでも、月也は頭を下げ続けた。動物病院で飼い主を捜してくれるとは言われていたが、他の誰かに任せたくなかったからだ。
 だって、あの子に言われたのだ。彼女は病院に連れて行くことまでのつもりだったかもしれない。でも、子犬を任せると、そう言われた。子犬を手放してしまったら、もう二度と彼女に会えない気がした。子犬を守り育てていれば、いつか彼女に会える気がしていた。
 子犬と月也を守った凛とした背中。正義を貫く姿勢。強く優しい真っ直ぐな瞳。そして、輝くような笑顔。
 今まで、可愛らしい女の子を好きだと思っていた。でも、違った。
 あの子は、外見は誰もが認めるほど可愛いわけじゃない。女の子らしいとも言えない。
 だけど、眩いほどのあの子の持つ煌めきは、月也の心をしっかりととらえて離さなかった。もう、他の子を見てもこんなにも惹かれることはないと思うほどに。
 だから、絶対に譲れなかった。子犬を自分の手で守り抜くことを、諦めたくなかった。
 その想いは、母ではなく父に届いた。一生のお願いとして、聞き入れられた。命を預かることの重みを説かれ、これから何年先も、たとえ環境が変わってもきちんと面倒を見ることを約束させられ、一筆書かされもした。
 それから数日後、月也は退院した子犬を両親とともに引き取りにいった。
 病院で、子犬の名前を聞かれた。どうやらメスらしい。
 両親に、どうするのかと尋ねられ、月也は少女の凛とした背中を思い出す。

「この子の名前は、凛。高城 凛だよ」

 どうか、彼女のように強く真っ直ぐに育ちますように。優しい子になりますように。
 そう願いを込めて、凛を抱く月也。
 いつか彼女に会えた時、凛を可愛がってもらえることを夢見ながら……。

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