太陽が遅れて道場に入ると、皆が稽古に励む中、道場の端でぐったりと倒れこんでいる月也と、その隣ですっきりとした顔でスポーツドリンクを飲んでいる星良がまず目に入った。星良はすぐに太陽に気づくと、笑顔を向ける。
「お疲れ様、太陽」
 傍に行った太陽に星良がそう声をかけると、月也がゆっくりと瞼を持ち上げた。
「いや、星良さん。僕の方がお疲れ……」
「月也のご希望通りでしょ?」
 ニッと笑う星良に、ぶつぶつ文句を呟きながら疲れ果てた様に再び目を閉じる月也。
 学校で見かけた時よりも、いつも通りに近い二人の関係。星良から妙なぎこちなさが消えている。二人で帰った時に、何かあったのだろう。月也のペースで翻弄されていたお返しとばかりに、激しい稽古に付き合わされた月也の姿が目に浮かび、太陽はふっと小さく笑う。
「お疲れ、月也」
 月也は右手を軽く上げて応えるが、ぐったりと横になったまま。疲労回復に専念しているようだ。
 太陽はその傍で、ストレッチをはじめる。星良も太陽に付き合う様にストレッチをし始めた。
「ねー、太陽」
「ん?」
 座って開脚し、上半身をぺたりと畳につけていた太陽は、名を呼ばれて顔をあげる。
 目の前で同じような姿勢をとっていた星良は、漆黒の瞳に僅かな緊張と恥じらいを含んだ眼差しで太陽を見つめている。
「今度の休み、また、デー……いや、あ、遊びに行かない? ふ、二人で」
 僅かに赤く染まった頬は、月也との稽古のせいではないだろう。
 勇気を出してデートに誘ってくれているのだ。
 星良の後ろで倒れている月也をちらりと見ると、全く動じた風もなく、僅かに開けた瞳で自分がどう出るのか観察している。
 目の前で好きな子が他の男をデートに誘ったら、自分だったら動揺を隠せない。
 自分の幸せよりも星良の幸せを願う月也を凄いな、と思いつつ、太陽は微苦笑を浮かべた。
 土曜日は一日休みだが、日曜日は道場で子供たちの稽古に付き合う約束が互いにある。
 星良の誘いは、土曜日のことだろう。
 そして、その日はすでに予定が入ってしまった。
「ごめん、星良。先約があるんだ」
 星良の顔に、わかりやすく落胆の色が浮かぶ。
 ちくりと胸が痛む太陽だが、逃げてはいけないとしっかりと星良を見つめる。
「久遠さんとでかける約束したんだ」
「え……」
 動揺したように、漆黒の瞳が揺れる。
 不安な気持ちにさせたのは、間違いない。
 星良と向き合うと言ったのに、その途中で他の人と二人きりで会うのは不誠実と思われるかもしれない。
 だが、嘘はつきたくなかった。
「そ、そっか」
 少して、星良は僅かに掠れた声でそう言った。そして、傍に置いてあったスポーツドリンクをごくりと飲む。
 ペットボトルを置いた星良は不安な気持ちごと飲み込んだのか、次に浮かべたのは満面の笑みだった。
「ひかりと楽しんできてね」
 膝の上に置かれた手は、道着をぎゅっと握っている。
 この笑顔は、自分に後ろめたさを感じさせないようにと、星良が精一杯の気持ちで浮かべてくれているのだろう。
 月也がそんな星良を愛おしそうに見つめているが、星良はそれに気づく余裕はなさそうだ。
「うん。ありがと」
 太陽は微笑むと、再び畳の上にぺたりと上半身をつけた星良の頭に、ぽんっと優しく手を置いた。
「日曜日、稽古の後にご飯でも食べに行こうか」
 くしゃりと髪を撫でながらそう提案すると、ゆっくりと上半身を持ち上げた星良は嬉しそうに微笑んだ。
「うん。行ってみたいお店あるから、そこ行こ!」
「いいよ」
 柔軟と見せかけて滲みかけた涙を隠していた星良に自然な笑みが戻り、太陽がほっとしていると、動く元気が出てきたのか、月也がのろりと起き上がった。
 胡坐をかくように座りながら、不服そうに唇を尖らせる。が、目は笑っている。
「違う女の子と連日デートなんて、いいご身分だなー、太陽」
 嫌味な言い方に、否定できない太陽は微苦笑を浮かべただけだが、月也の表情が見えていなかった星良がキッと目を吊り上げて振り返る。
「ちょっと、月也。その言い草はないんじゃない?」
 月也の気持ちを知っても、自分の為に怒ってくれる星良に喜んでいいのか、月也に申し訳なく思っていいのか複雑な心境の太陽だが、月也は気にした様子は全くない。
 むしろ、怒る星良を楽しんでいるようだ。
「でも、事実じゃない? 星良さん」
「あたしとご飯食べに行くのは、いつものことでしょ」
「でも、星良さんはデート気分でしょ?」
「そ、それはっ……」
 かぁっと頬を赤らめる星良を、月也は目を三日月型に細めて見つめる。
「太陽だけ前日もデートとか、ずるいと思わない?」
「べ、別に……」
「思うでしょ?」
「そ、それは……」
 月也のペースに乗せられてる星良を見守りつつ、月也がどんな話にもっていきたいのかと首をかしげる太陽。
 深い理由もなく自分を貶める人間ではないし、星良をわざわざ落ち込ませることもあり得ない。
 不思議に思っていると、月也はニコリと笑みを浮かべた。
「そんなわけで、星良さんも土曜日は僕とデートね」
「……は?」
 一瞬固まった星良は、裏返った声を上げる。
 月也はそんな星良を楽しげに見つめる。
「だってほら、太陽だけ遊びに行ってるのずるいでしょ。だから、星良さんも違う男とデートしてしまえと」
「な、なんでそうなるのよ! っていうか!! で、デートって言い方しなくてもいいでしょ。普通に遊びに行こうでいいじゃない!」
 デートという単語は周りに聞こえないように小声になりながらも抗議する星良。
 月也と遊びに行くことはいいようだが、『デート』という言い方が意識してしまうのか嫌らしい。頬が赤く染まっている。
「遊びに行くのはいいんだ。んじゃ、決定ね。僕とのデート」
「だから、言い方っ!!」
 二人のやりとりに、太陽はくすくすと笑う。いいコンビだ。
 だが、暖かな気持ちの中に、嫉妬心のようなものもやはり混じる。

 俺は我が儘だ。

 自分に少し嫌気がさしつつも、夫婦漫才のような星良と月也のやりとりに和みながら、太陽はストレッチを終えると星良と稽古に励んだのだった。

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