「久遠さんが来たかった場所って、ここ?」
 ランチを終え、少し歩いてたどり着いた場所を、太陽はきょとんと見つめた。

『育愛園』

 入り口に掲げられた看板にはそう書いてある。身体を動かして遊ぶような場所というよりは、何かの施設のようだ。
「うん。えーと、一緒に遊ぼうって誘ったけど……正確には、一緒に遊んであげて欲しいだったかも」
 微苦笑を浮かべて答えるひかり。次にひかりが視線を向けた先には、三階建ての建物の隣にある、校庭のような広場で遊んでいる子供たちの姿。その優しい眼差しに、太陽は心がほっこりと温まると同時に、自分をそっと恥じる。
 ひかりに誘われ、内心緊張していたのだ。
 避けていたくせに、いざひかりと二人で遊ぶとなると楽しみだと思う自分がいたし、もし告白されてしまったらどう答えたらいいのかと悩む自分もいた。おかげで、今朝は予定よりだいぶ早く起きてしまった。そわそわする自分を落ち着けるために、早朝から走りに行ったくらいだ。
 だが、自分が考えていたようなお誘いではなかったらしい。星良のことといい、今日の事といい、自分は最近自惚れすぎだと、太陽は気づかれないように小さく溜息をついた。
「あの、ごめんね。ちゃんと言わなくて」
 太陽の戸惑いに気づいたのか謝るひかりに、太陽は慌ててぶんぶんと首をふった。
「いや、謝る必要なんてないよ。俺、子供好きだし」
 実際、神崎道場でも子供たちの指導を手伝っている。自分としては慣れているつもりだ。
 笑顔を浮かべた太陽に、ひかりはホッとしたように微笑んだ。
「ありがと……」
「あーーーー!!」
 お礼を言いかけたひかりの声は、元気な声にかき消された。叫び声と共に、複数の足音が近づいてくる。
「ひかりが男つれてるぞ!!」
「え? 彼氏? 彼氏??」
「わー、イケメンだ〜」
 賑やかにやってきたのは、小学生くらいの子供たちだった。興味深げに太陽を見上げている。
「ひかり、それ彼氏か?」
 一番背の高い少年が、半眼で太陽を見ながらそう尋ねる。澄んだ瞳の中にある仄かな敵意に太陽は気づいたが、ひかりはそれどころではないようで、頬をバラ色に染めながら胸の前で必死に手を振っている。
「違う、違うから! 朝宮くんはお友達!! 颯太くんが私じゃ教え方ヘタだっていうから、来てもらったの!」
「へー」
「本当だってば!」
 疑わしそうな声をあげた颯太に、ひかりは真顔で念を押すが、颯太の表情は変わらない。不機嫌そうな顔でふいっと顔を背けると、一人で先に広場に戻っていってしまう。ひかりは困ったようにその後ろ姿を見つめたが、他の子供たちの質問攻めにあい、追いかけることができずにいた。 
 一人でサッカーボールを蹴り始めた颯太だったが、太陽はそんなに心配していなかった。ようは、ヤキモチを焼いているのだ。好意を抱いているひかりが、同年代の異性と共に来たことに。
 初々しくて可愛いなと、ようやく初恋をした自分を棚に上げて太陽は微笑ましく思う。
 子供たちの質問攻めに丁寧に答えながら広場に移動していくひかりの隣を歩きながら、太陽は徐々に状況を理解した。
 どうやらひかりは、数年前から時折ここに来ているらしい。勉強を教えたり、楽器の演奏等を指導しているようだ。はじめて見る太陽には好奇心と共に警戒心を向けている子供たちだが、ひかりには心を許しているように見える。きっと、子供たちとちゃんと向き合って時間を過ごしたのだろう。
 そんなひかりの横顔を優しく見つめた太陽だったが、ひゅっと風を切る音が聞こえて視線を移した。顔にあたる寸前で、片手でサッカーボールを受け止める。
「あ、悪ぃ。足がすべった」
 しれっとした顔で口だけ謝ったのは颯太。「わざとです」と、表情が語っている。太陽はクスッと笑ったが、ひかりは眉根を寄せる。
「もう、颯太くん!」
 ひかりの注意するような声に颯太はベっと舌を出すと、広場の隅に走っていった。
 ひかりは小さく溜息をつくと、太陽を見上げる。
「ごめんね、朝宮くん。今日は颯太くんにサッカー教えてあげて欲しいと思ってたんだけど……」
 ひかりは数人の女の子に手を掴まれている。どうやら、リコーダーやピアニカなど、楽器を教える約束をしているようだ。他の男の子たちは他の遊びをはじめており、不機嫌そうな颯太一人を任せるのは申し訳ないと思っているのだろう。
「中高生は部活とかバイトで忙しくて時間ないみたいだし、職員さんも若い人がいないから、颯太くんにサッカー教えてくれる人がいなくて。朝宮くんなら運動何でもできるし、子供にも慣れてそうだからお願いできるかなと思って来てもらったのに。本当、ごめんね」
 まさかいきなり攻撃してくるほど反発するとは思わなかったのだろう。颯太が懐きそうにないからといってすぐに帰るわけにはいかない状況なので、困っているようだ。
「俺は大丈夫だよ。これ、預かってもらっててもいい?」
 太陽はボディーバッグを外すと、ひかりに手渡した。そして、軽くストレッチする。
「んじゃ、颯太と遊んでくる」
 ニッと笑った太陽に、ひかりは嬉しそうに笑みがこぼれた。
「ありがとう」
 女の子たちと手をつないだひかりに軽く手をあげてから、太陽は踵を返すと颯太のもとに走っていった。
 太陽が傍に来たことに気づいていないわけがないのに、颯太は振り返りもせずにボールを壁に当てていた。壁に当てたボールは大きくそれることなく、颯太の足下付近に戻ってきている。太陽はしばらくそんな颯太を見つめたあと、ゆっくりと口を開く。
「なんだ。久遠さんに教えてもらわなくても、十分上手いじゃん」
 ひかりの名前に反応してか、颯太はちらりと太陽を横目で見た。
「そーだよ。だから、お前に教わる気なんてねーから」
 ぶっきらぼうな口調。だが、太陽は可愛いなーとほんわかと思う。ひかりにかまってもらいたくてサッカーを教えてもらうフリをしていたと、隠しもしない潔さも好きだ。
 だが……。
「あっ……」
 太陽は颯太の足下からわずかにそれたボールを、ひょいっと足で奪い取った。颯太が怒ったような声をあげたが、太陽はニッと笑い返した。
「何すんだよ。お前に習う気はねーって言ってんだろ」
「お前じゃなくて、太陽。朝宮 太陽ね」
「名前なんて聞いてねーし!」
 ふいっと顔を背け、その場を去ろうとする颯太。憧れの人が連れてきた男にかまってほしくないのだろう。
 それは太陽にもわかる。だが、引くわけにもいかない。
「あれ? 俺にボールとられたまま久遠さんの所に戻っていいの?」
 ひかりたちは広場の見える場所にいる。
 太陽の言葉に、颯太はキッと太陽を睨み付けた。
「逃げたと思われるかもよ?」
 そんなことを思うひかりではないのを知ってはいるがけしかけてみると、案の定颯太は噛みつくように太陽に向かってきた。
「誰がお前なんかから逃げるかよ!」
「だから、お前じゃなくて太陽ね」
 言いながら、太陽は颯太の攻撃を軽やかにかわす。
 悔しそうな顔をしながらも、何度も何度も向かってくる颯太。
 負けず嫌いないい子だと思いつつ、太陽は颯太を交わし続ける。
 ひかりはきっと、一人でサッカーをしていた颯太が放っておけなかったのだ。見たところ、男の子は颯太より年下の子ばかり。それなりに上手な颯太の相手にはならないのだろう。孤高な雰囲気も漂っているし、他の子と一緒に遊ぶことも少ないのかもしれない。だからひかりは、サッカーを教えて欲しい以上に、颯太と仲良くなってもらえたらと考えているのではと太陽は思ったのだ。まさか颯太が自分に好意を抱いていて、他の男を連れてくるのは逆効果かもしれないとはさすがに気づかなかったのだろう。
「あー、惜しいなー」
 ボールに足が届きかけた颯太をぎりぎりで交わした太陽の言葉に、颯太は負けん気の強い顔で太陽を睨み付ける。
「バカにすんな! ぜってーとってやる!!」
「ふふふ。やれるものならやってみな」
「お前! 大人げねーぞ!」
「だから、お前じゃなくて太陽ね。そんでもって、高校生はまだ大人じゃありません」
「小学生よりは大人だろー!」
 軽口をたたき合いながら、ボールを奪い合う太陽と颯太。だんだんと、颯太が余計な事を考えずにただ夢中になっていっているのがわかる。ボールと太陽を見つめる負けず嫌いな瞳が、真剣な光をおびてキラキラと輝いている。
 そんな颯太の変化に周囲が気づいたのか、他の遊びをしていた子供たちが徐々に注目し始めた。ひかりたち女子も、手を止めて颯太を見ている。
「あー、チッキショー!」
 惜しいところでかわされてその場にしゃがみ込んで悔しげな声を上げた颯太の背中に、声援が飛ぶ。
「頑張れー、颯太くん」
「もう少しだよー!」
 ひかりや子供たちの声に、驚いたように振り返った。夢中になっていて、みんなが見ていることに気づかなかったのだろう。
「どうする? もうやめる? まだやる?」
 太陽の問いに、颯太は額の汗を拳で拭うとすっくと立ち上がった。
「勝つまでやる!!」
「うーん、それは体力いるなぁ」
「お前の方が年だからな!!」
「高校生の体力なめたらだめだよ?」
 再び向かってくる颯太を楽しげにかわしつつ、太陽は微笑んだ。
 一人の練習も大事だが、サッカーはみんなでやるスポーツだ。難しい顔で一人で壁サッカーをしているより、誰かと楽しんでやってほしい。一生懸命やれば応援してくれる人がでてくるということも、知ってほしい。
 そんな願いを込めながら、颯太の相手をする太陽。
 最終的に、颯太の応援ばかりするひかりがちょっと気になった隙にボールを奪われ、颯太の勝ち誇ったガッツポーズと大声援のうちに、その戦いは終了したのだった。


「やっぱり朝宮くんに来てもらってよかった」
 颯太との戦いに続き、今度は子供たち全員がかりで太陽のボールを奪いにきたりと数時間遊んだ後、ひかりと太陽は帰路についていた。空は既に茜色に染まっている。
 育愛園から最寄り駅に続く道の途中にある公園を通り抜けながら嬉しそうにそう言ったひかりに、太陽はにこっと笑む。
「俺も行って良かったよ。また颯太との勝負の約束もできたし」
 仲良くなったとは言えないかもしれないが、ライバルとしては認められたらしい。次はもっと早い時間でボールを奪ってみせると宣言された。それが、太陽には嬉しい。
「颯太くんは、あそこに来てまだ日が浅いんだ。だから、みんなともなかなか打ち解けられなかったんだけど、今日がいいきっかけになりそう」
「そっか。少しでも力になれたなら嬉しいな」
「ありがとう」
 喜んだ太陽の顔を見つめお礼を言ったひかりは、ふと何か思い出したようにふふっと笑う。
「何? 久遠さん」
「朝宮くんが、颯太くんと子供みたいな言い合いしてるのが意外だったなって」
「あー」
 太陽は照れくさそうに頬をかく。
「俺、けっこうあんなだよ。変に大人な対応するより、その方が仲良くなれたりするし」
 もっと大人に見えているとしたら、それは子供のように純真な星良といるからかな、と思ったが、それは口に出さないでおいた。星良を守らなきゃという思いが、いつも自分を大人にさせようとするのだ。
 そんなことを考えていたからか、子供たちと遊ぶことに夢中になって二人きりで出かけたという意識を置き忘れていたからか、太陽はすっかり気を抜いていた。
 だから一瞬、何を言われたかわからなかった。

「今日みたいな朝宮くんも、私は好きだよ。今日一緒にすごせて、改めて実感した。朝宮くんのことが、大好きだって」

 ひかりの口から、あまりにも自然に語られた言葉。
 周囲に人はいないが、まるで歩きながらする普通の会話の続きのようで、太陽は我が耳を疑う。
 だが、驚いて見つめたひかりの大きな瞳は、今の言葉が嘘でないと告げていた。
 つい足が止まった太陽に合わせるように、ひかりも立ち止まる。そして、澄んだ瞳で太陽を見つめながら、ひかりは綺麗な微笑みを浮かべた。
「朝宮くん、大好きです」
 ひかりの真っ直ぐな言葉が、太陽の胸を打つ。
 自分の頬を染めているのは、自分の想いなのか、世界を朱色に染める夕日のせいなのか、太陽にはわからなかった。

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