土曜日のデートを楽しく過ごした翌日、太陽と会うことに星良は少し緊張していた。
 ひかりは勇気を出して太陽を誘ったのだ。二人の間に何か進展があってもおかしくない。
 だが、心配は杞憂に終わった。
 道場の稽古が終わった後に二人で出かけたカフェレストランで、昨日はランチを食べた後、子供たちと遊んだことを教えてくれたのだ。今度は星良も月也も一緒に行こうと誘われた。それ以外のことは特に何もなかったと、そう聞かされた。
 だから、最初から二人きりなのは緊張するからかな、と星良はひかりのことを微笑ましく思える余裕すらあった。
 月曜日、学校に行くまでは――。


「おはよー、星良さん」
 教室に入る少し前で、後ろから聞こえてきたのは聞きなれた声。振り向こうとしたところで、眠そうな目の月也が横に並んだ。
「おはよ、月也。寝不足?」
「んー、本読んでたら結構な時間になってた」
 言いながらもあくびをかみ殺している所を見ると、あまり眠っていないのかもしれない。何かに集中して時間を忘れるのは月也にとって珍しいことではないので、星良は苦笑を返しながら二人で教室に入る。
 と、妙な違和感を感じた。
 いつもと同じ時間に登校したので、既に教室にいるのはいつも通りの顔ぶれ。始業時間ギリギリに飛び込んでくる数名以外はだいたい揃っている。
「……おはよ」
 違和感は一斉に向けられた視線のせいだと直ぐに気づいたが、その理由がわからずにとりあえず挨拶を返す星良。皆、それぞれ挨拶を返してくれたが、浮かぶ表情が少しずつ違う。が、何か聞きたそうな眼差しは皆に共通していた。
「星良さん、昨日また盛大に暴れたりしたの?」
「してないからっ」
 同じく心当たりがないらしい月也の問いにつっこみながら自分の席に着くと、すぐに笑美と千歳が近づいてきた。
「おはよー」
 笑顔の星良に対し、困惑した表情を浮かべながら挨拶を返す二人。
 星良はいよいよおかしいと思う。
 だが、全く心当たりがない。
 笑美と千歳は言いだしづらいのか、互いにちらちらと視線を合わせているだけだ。
「どうしたの?」
 他のクラスメイトもそれぞれ色んな感情を秘めたまま星良をちらちらと見ているので、たまりかねた星良は二人に訊ねる。二人はもう一度視線を合わせると、意を決したように笑美が口を開いた。
「星良ちゃん……、ひょっとして、知らないの?」
「?? 何を?」
 きょとんと答えた星良に、二人の表情が曇った。
 自分の知らぬところで何かよくない事が起こったらしいとさすがに気づく。
 まさか、クラスメイトの誰かがヒドイ怪我や重い病気にでもかかったのかと考えたが、他のクラスメイトの表情を見ると何だか違う気もする。ニヤニヤと浮ついた表情の者もいるからだ。
 月也も気になるのか、すぐ近くで耳をそばだてている。
 情報ツウの月也も知らぬこととは一体なんだろうと思いながら笑美と千歳の返答を待つが、二人は口を開くのをためらっているようだった。
 本当に何だろうと小首を傾げた時、隣からスッと腕が伸びてきた。その手には携帯電話。画面には映像が映し出されている。
 笑美と千歳のハッと息をのむ音が聞こえた。
 だが星良はその音に反応することも、その電話の持ち主が誰かを確認することも出来なかった。
 画面に流れる映像から、目が離せなくなる。
 映し出されていたのは、見慣れたシルエット。
 顔が映っていなくてもわかる、太陽の背中。
 その腕の中に、女の子がいる。
 太陽の肩のあたりからのぞく、綺麗な黒髪。
 女の子らしい華奢な手が、太陽の服をキュッと掴んでいる。
 遠くから隠し撮りしたのだろうその映像は、綺麗に撮れているとは言い難かったが、それでもそれが太陽とひかりだということはよくわかった。
 ややして、二人は身体を離す。太陽の表情は見えないが、ひかりが微笑んだのはなんとなくわかる。少し会話した後歩き出した二人に、幸せそうな笑顔が浮かんでいることも伝わってきた。
 星良の思考が停止する。
「だから忠告してあげたのに、やっぱり横取りされちゃったのね。かわいそー」
「ちょっと!!」
 不機嫌そうに、だが嘲りもこめた唯花の言葉に、笑美が噛みつくように声をあげる。小さく笑った唯花に反省の色はなく、千歳も月也も静かに怒っているのを感じはしたが、星良は何も反応することができない。頭の中が真っ白なのだ。
「その反応からすると、知らせてももらえなかったのね。これ土曜日の映像みたいだし、昨日一日あったのに何も言わないとか、やっぱり朝宮くんに近づく目的で友達のフリしてたんじゃなーい?」
「水多さん、いい加減にして!!」
 笑みを含んだ唯花の発言に、珍しく千歳までも声を荒げる。
 唯花をとりまく友人と、笑美と千歳が一触即発の雰囲気を漂わせる中、星良の瞳から一滴の涙がつぅっと零れ落ちる。
 痛みを痛みとも感じ取れないほど心はマヒしている星良は、自分が涙を流したことも気づいていない。ただ呆然と、先ほどまで携帯電話の画面があったところを見つめている。
「星良さん……」
 珍しく狼狽えた様子の月也が声をかけると、星良は正気に返ったのかびくりと肩を揺らした。そして自分を見つめる瞳を順に目で追った後、ギュッと唇を噛むと席を立って教室を飛び出していった。
「星良ちゃんっ」
 笑美は名を呼んだが、追うのはためらって沈痛な面持ちでその場に立ちすくむ。千歳も唇を噛みながら立ちつくし、唯花を睨んだ。
 しかし、唯花は気にした風もなく微笑を浮かべる。
「事実を教えてあげただけなんだけど?」
「余計な憶測も付け加えたでしょ」
「そーお? 客観的事実だと思うけど?」
 唯花の言動に血管が切れそうなほど怒りを浮かべる二人を押さえるように、月也が唯花との間に割って入った。
「な、なーに? 高城くん」
 眼鏡の奥の月也の瞳の冷たさにはさすがにうろたえる唯花。月也は感情のない瞳で唯花を見る。
「その映像、どうしたの?」
 冷めた月也の声に、唯花は視線を逸らしながら答える。
「別に、私が隠し撮りしたんじゃないわよ。朝宮くんと同じクラスの男子がたまたま見かけて撮ったのを送ってきただけ」
「それを、色んな奴らに広めたってわけ?」
「だ、だって、ファンが多い二人だもの。二人が付き合い始めたなら知りたい人いると思って……」
 気圧された唯花を静かに睨んだ後、月也は廊下に向かって歩き出した。始業のベルが鳴ったが、足を止める様子はない。
 クラスメイトがざわめきながら見つめる中、教室に入ってきた担任教師とすれ違うがそのまま去っていく。何か言いかけた担任だったが、月也のあまりの雰囲気に言葉がでなかったらしい。星良と月也の予想外の反応に動揺が広がる教室内を静めながら、担任は困惑の表情を浮かべて朝のホームルームをはじめたのだった。

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