「結構時間かかっちゃったね」
 既に2時限目開始を告げるチャイムが鳴っていたが、星良と月也は焦る様子もなく旧体育倉庫から校舎内へ戻ってきたところだった。上履きのまま出ていった星良は底についた砂を玄関で落とし、月也はその間に上履きに履き替える。
「月也が泣かせるから……」
 自分を待っていた月也の隣に並んだ星良は、八つ当たりだとわかりつつ拗ねたようにそう言った。
 月也の腕の中で大泣きしたのは、たぶん十数分。その前にも泣いていたこともあり、泣き止んだときにはすっかり目が腫れぼったくなっていた。このまま教室には帰れないと慌てて目を冷やし、赤みがとれるのを待っていた時間の方が長かっただろう。その間、月也がいつも通りでいてくれたのが星良は嬉しかった。月也が軽口を叩き、星良が言い返す、そんなやりとりがいつもの自分を取り戻させてくれた。
「いやー、冷やしながら泣けと自分で言っときながら、星良さんが抱きついてくれた嬉しさでそれも忘れちゃったしね」
「だ、抱きついたとか言わない!!」
「事実でしょ?」
「うっ……」
 言葉に詰まって赤くなる星良に、月也がニヤリと笑う。
「女子とは思えない筋肉質なさわり心地だったけどね」
「悪かったわね!!」
 くわっと目をむき怒鳴った星良に、クスクスと笑いながら唇の前で人差し指をたてる月也。自分で怒らせておきながら『静かに』と注意されるのはなんだか納得がいかない。
 だが、これが月也なりの慰め方だとわかっているので、本気で怒ることもない。
「それよりどうする、星良さん。途中でも授業戻る? それとも、屋上で時間つぶす?」
 いつまでもかび臭く薄暗い場所にいても気分は晴れないからと戻ってきたが、すでに授業が始まった中、教室に戻るのは何となく気まずい。1時間サボろうが2時間サボろうがもうどうでもいい気もする。
「次の時間から戻ろうかな。でも、鍵は?」
 さすがに、授業中のこの時間に職員室で屋上の鍵を貸してもらえるわけがない。だが、月也は余裕の笑みを口元に浮かべる。
「これ一本あれば、あれくらいの鍵は開けられます」
 すっと胸ポケットから短い針金を取り出す月也に、半眼になる星良。
「何、その犯罪者っぽい特殊技能」
「えー、便利だよ?」
「あのねー」
 呆れ顔で階段を上りはじめた星良たちは、上から足音が降りてくるのを耳にしてぎくりと身を固くした。教師に見つかったら怒られるのは間違いない。ダッシュで身を隠そうかと思った瞬間にひらりと制服のスカートが視界に入り、動きを止める二人。
 それが誰か気づき、星良は息をのんだ。
「星良ちゃん!!」
 名前の呼び方だけで、ひかりが自分をどれほど心配し、元気そうな姿を見つけてホッとしているのが伝わってくる。
 だが、階段を駆け下りてくるひかりを前に、星良は無意識のうちに震える手で頼るように月也のセーターの裾を握っていた。
「久遠、授業中だよ?」
 声が出ない星良の代わりに、月也がひかりに対応してくれる。ひかりは泣き出しそうなのを堪えるようにきゅっと唇を結んでから、ぎこちない微苦笑を月也に返す。
「それは、高城くんもでしょ」
「まぁ、そうなんだけどね」
 言いながら、月也は逃れるように自分の背後に立った星良の様子をうかがう。顔は見えないが、掴まれたセーターから伝わってくるのは星良の震え。声も出せずにいる。
 泣いて少しはすっきりしたとはいえ、本人を目の前にして平気でいられるほど浅い傷ではない。相手が嫌いな相手の方がきっとマシだった。大事な友人だからこそ、星良の傷は深い。
 だが、それはひかりも同じだ。大事な友人だからこそ、一刻も早く話したいと思っているのが伝わってくる。
「とりあえずここじゃなんだし、屋上あがる?」
「……うん」
 月也の陰に隠れて声一つあげない星良を悲しげに見つめ、ひかりは頷いた。そして、先に階段を上がりはじめる。
 一番上まで上がるとひかりが下がり、星良にセーターを掴まれたままの月也がドアの前に立つ。針金を鍵穴に差し込むこと数秒。かちりと音を立てて鍵が開く。その技能に普段なら星良からもひかりからも突っ込みがあるはずだが、両者とも口を開く様子はない。
 重苦しい空気のまま扉を開け、快晴の空の下に出る。温かな陽光が三人に降り注ぐが、心までは暖めてくれないらしい。星良もひかりも、沈痛な面持ちのままだ。
「星良さん、話できそう?」
 そっと星良の手をほどき向かい合った月也に、星良はこくりと頷いた。真面目なひかりが授業をサボってまで探してくれていたのに、逃げてはいけないと頭ではわかっているからだ。だが、心が竦んで言葉まで出てこない。
 そんな星良の頬に、月也の温かな手がそっと添えられる。驚いて目を上げた星良に、月也は眼鏡の奥の瞳を柔らかく細めた。
「素直な気持ちを言えばいいんだよ、星良さん。大丈夫。またいつでもこの胸貸してあげるから」
 優しい声に、頬から伝わる温もりに、強ばった心が少しほどける。喉が詰まったように出なかった声が、するりと出るようになる。
「もう、借りませんー」
「遠慮しないでいいのに」
 言い返せた星良に微笑みを残すと、月也はひかりの方に視線を移す。
「じゃ、僕は誰も来ないように外で見張ってるから。終わったら呼んで」
「ありがとう」
 静かに待っていたひかりがそう返答すると、月也はもう一度星良に微笑んでから屋上から姿を消した。
 二人きりになった星良とひかりの間を、冷たい風が吹き抜ける。
 少し離れた距離で見つめ合ったまま、どちらも動かない。伝えたいことはあるのに、何から言ったらいいのか互いにわからずにいる。
 長いのか短いのかわからない時間が過ぎ、最初に意を決したのはひかり。ごくりと息を飲み込むと、ゆっくりと口を開く。
「星良ちゃん、ごめんな……」
「謝らないで」
 頭を下げかけたひかりに、星良の声が遮るように飛んだ。
 驚いたように動きを止めて星良を見つめるひかりに、星良は言葉を重ねる。
「謝らないで、ひかり。悪いことしてないのに、謝る必要なんてない」
「でも……」
「わかってる。あの映像に映ってたこと、黙ってようって言ったのはひかりじゃなくて、太陽でしょ?」
 星良の指摘に、ひかりは黙り込む。
 それは、事実だからだろう。肯定すると太陽のせいにするようで気が引けるから何も言えないに違いない。
「本当は、太陽かひかりの口から聞きたかったよ。でも、二人だってあんな形で知られるなんて思わなかったでしょ。あたしの様子を見て、あたしが一番傷つかない形で伝えたかったんだよね」
「それは……」
 言いよどむのは、太陽の気持ちまで代弁するような形をとりたくないからだろう。困ったように見つめるひかりに、星良は強ばった微苦笑を浮かべた。
「それ以外に、謝ることある? ないよね?」
 ひかりはしばらく星良を見つめ、少し苦しげな表情で、でも凛とした声で告げる。
「朝宮くんに気持ちを伝えたことは、誰にも……星良ちゃんにも後ろめたくないよ」
「うん。そうだよ」
 誰かを想う気持ちを謝ることはない。それが、友達と同じ人を好きになってもだ。
 だから、ひかりが謝ることは何もない。
「謝るのは、あたしのほうだよ」
 唇を噛んだ星良に、ひかりは困惑した眼差しを向ける。
「どうして? 星良ちゃんだって謝ることなんて何もないでしょう」
 星良は首をふる。真っ直ぐに見つめるひかりの眼差しを受け止めながら、大きく息を吸うと口を開く。
「あたしから互いに頑張ろうって言ったのに、正々堂々と戦ったらどっちに転んでもすっきりすると思ったのに、ダメだった。自分の想いが届かなかったこと、全然受け止めきれない。ひかりと、今まで通りの友達に戻れる自信が、今は無いの」
 ひかりの目が大きく見開かれる。ショックを受けたことは間違いない。だが、ここで言葉を止めても意味がない。
「だから、ごめん。しばらく時間をちょうだい。どれだけかかるかわからないけど、またひかりと心から笑いあえる自信ができるまで、友達には戻れない。年末年始は遊ぼうって約束したけど、たぶん、無理だと思う。ごめんなさい」
「星良ちゃん……」
 ひかりはそれ以上言葉が出ないのか、ふっくらとした唇をきゅっと結んだ。
 傷ついた大きな瞳を見て、星良は自分のずるさを感じる。
 言ったのは正直な気持ち。
 だけど、そう言われてひかりと太陽が楽しくつきあえるわけがない。
 自分さえ我慢すれば、嘘でも笑顔で祝福すれば、最初から両想いだった二人は幸せな時間を過ごせるのに……。
 自分はずるい。でもこうすることしかできない。自分の気持ちに嘘をついたまま、二人の傍にいられる自信などないのだから。
「……待つよ」
 星良の心を罪悪感が支配しはじめる中、ひかりの澄んだ声が返ってきた。泣きそうな顔で、ひかりは微笑んでいる。
「星良ちゃんと友達に戻れるまで、私、待つから。いつまでも、待つから……」
 その先は声にならない。言葉にしたら、きっとにじんでいる涙がこぼれ落ちてしまうからだろう。星良の前で泣くべきではないと、必死に堪えているのが伝わってくる。
「ごめん、ひかり」
 謝る星良に、綺麗な髪を揺らして首をふるひかり。
「謝らないで、星良ちゃん。星良ちゃんも、何も悪いことしてないよ。だから、自分を責めないで。お願い」
「ひかり……」
 星良の心がちくりと痛む。やっぱりひかりが好きだと思うのに、傷つけて遠ざけようとしている自分が悲しい。乗り越えられない自分が悔しい。
「じゃあ、行く、ね。高城くんも、星良ちゃんを待ってるし」
 自分の存在が星良を苦しめるだけだと自覚し、これ以上負担にならないようにと考えているのがひかりから伝わってくる。
 きっと、ひかりから伝えたい言葉はもっと色々あるのだろう。だが、自分の気持ちよりも星良の気持ちを優先して、この場を去ろうとしている。
「ひかり!」
 屋上の扉に手をかけたひかりの寂しげな小さな背中に、星良は思わず声をかける。
 ひかりは驚いたように振り返ったが、顔を見たら星良は言葉を失った。
 そんな星良を少し見つめ、ひかりは優しく微笑んだ。
「またね、星良ちゃん」
 扉を開けて姿を消すひかり。代わりに、月也がゆったりとした足取りで星良の元にやってくる。
 うつむき、唇を噛みしめて立っている星良の前まで来ると、小さく息を吐く月也。
「前言撤回する?」
 言って腕を広げた月也のセータをぎゅっと掴む星良。頷くと、月也の肩に顔を埋める。
 堪えきれずにこぼれ落ちる涙が涸れるまで、月也の腕に包まれていた。

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