月也が傍にいてくれたおかげか、星良が落ち着くまでにそう時間はかからなかった。
 2時限目が終わるまで、屋上で明るい日差しを浴びながらまた腫れぼったくなった目を冷やす。ついでに頭も冷えた星良は、このまま行くと午前の授業は全部でれなくなりそうだと気づいた。ひかりが来て、太陽が来ないわけがない。涙腺崩壊気味の今、太陽がどんな言葉をくれ、優しい態度をとってくれたとしても泣かない自信が全く無い。勢い余って告白したときには熱を出したくらいなのだ。すぐに立ち直れるとも思えない。
 少し悩んだ結果、星良は太陽にメールを打った。
『放課後に道場で話をしたい』と。そして『学校ではひかりを気遣って欲しい』と。
「星良さんって、ホントお人好しだよねぇ」
 黙って隣に座っていた月也が、メールの内容をのぞき見たのか呆れたような感心したような声を漏らす。星良はムッと唇を尖らせた。
「勝手に見ないでよ」
「見たんじゃなくて、見えたの」
 悪びれた様子もなく、月也は微笑む。星良は小さく嘆息した。
「お人好しなんかじゃ、ないよ……」
 心にあるのは罪悪感。ひかりを傷つけておいてこんなことを書くのはただの偽善かもしれない。それはわかっているが、言っておかなければ太陽はひかりの変化に気づかない可能性が大きい。恋愛感情はなくとも、星良に対しては超がつくほどの過保護だからだ。傷つけた幼馴染みの事しか頭にないかもしれない。それは嬉しいようで、心苦しい。
「お人好しだよ。せっかく太陽が星良さんのことばっかり考えてるのに、わざわざライバルに気持ちを向けさせるんだから。僕だったら、チャンスとばかりに自分のことしか考えさせないようにするけど」
 言って、月也の長い指が星良の短い髪を一房すくう。妙に色気のある手つきと艶のある眼差しに、星良はずささっと横に一メートルほど移動する。
 驚いた表情のまま頬を赤く染めて固まっている星良を見て、月也は堪えきれないように吹き出した。
「星良さん、普通の攻撃には無敵なのに、こういう攻撃にはホント弱いよね」
「そ、そんな攻撃しなくていいからっ!」
「怒らせるよりこっちの方がお得だって気づいたもので」
「お、お得って、何!?」
 動揺を引きずっている星良を見つめながら、月也は楽しげにクスクスと笑う。屋上を吹き抜ける風が、月也の柔らかな髪をふわりと揺らす。
「照れる星良さんって可愛いから。好きな子のそんな姿見れるのはお得でしょ?」
「なっ……」
 当たり前の事のようにさらりと言われ、言葉につまる星良。
 優しい眼差しで見つめる月也に、なんと返していいのかわからない。心臓がバクバクと激しい音をたてているのを感じながら硬直していると、この微妙な空気を断ち切るように授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
 月也がにこっと笑む。
「さ、教室戻ろうか。さすがにこれ以上サボると先生にも探されちゃいそうだし」
「う、うん」
 何事もなかったかのように立ち上がって屋上の扉を開ける月也に、星良も慌ててついていく。
 授業をサボって傷ついた自分を慰めていたことも、甘い言葉や仕草を向けたことも感じさせないひょうひょうとした月也の背中。何が本気で何が冗談かわかりにくいが、自分を大事に思ってくれていることだけは最近実感しはじめた。そうなってはじめて、月也の心の強さを知った気がする。それと同時に、強いと思っていた自分の弱さも知った。
 星良は階段を下りながらふぅっと息を吐く。
 肉体的強さだけではなく、月也のように心の強さを自分も持たなければと心に誓う。
 ひかりと心から笑いあえる友達に戻るために……。
 そんな誓いを密かにしていた星良を、月也がひょいと振り返った。
「ところで星良さん、覚悟はできてる?」
「なんの?」
 月也が歩いているルートは太陽たちのクラスの近くを通らなくてすむものだ。抜け目のない月也のこと、彼らが移動教室かも把握しているだろう。太陽からは休み時間に入ってすぐに了解のメールが返ってきたので、自分の教室に来ていることもない。
 それなのに、なんの覚悟が必要だというのか……。
「んー……、まぁいいか。教室入ればわかるから」
「は? なんの話??」
 星良の問いには答えず、微苦笑を返しただけの月也はスタスタと先を歩いて行く。星良は軽く眉根を寄せたが、月也が何を言いたかったのか考えること数十秒。答えが見つからないまま自分の教室にたどり着いた。
 先に月也が教室の扉をあけ、中に入る。なんの覚悟が必要なのか考えながら月也に続いた星良は、教室中の視線が自分に向けられたのを見てようやく気がついた。
 今まで星良が向けられたことのない、同情や哀れみの眼差し。バカにするような同情や哀れみの眼差しは経験があるが、優しさのこもったこんな視線は初体験だ。
 よく考えれば、あんな状況で教室を飛び出し数時間帰ってこなかったのだ。心配されて当然。普段はからかう男子たちも、見たこともない星良の反応を目の当たりにして気遣うようにそっと見守っている。
 優しいクラスメイトで嬉しい限りだが、正直いってリアクションに困る。今まで弱い部分を人前でさらすことなく生きてきた。どちらかと言えば、恐れられている方が多いくらいだ。太陽や月也くらい深いつきあいならともかく、クラスメイトの同情に対してどう対処したらいいのかさっぱりわからない。
 月也の言った覚悟とは、このクラスメイトからの哀れみの眼差しの事だったのだ。
「星良ちゃん!!」
 ホッとしたような、でもどこか泣きそうに震える声で名を呼んで駆け寄ってきたのは笑美と千歳。教室の入り口で立ち尽くしていた星良を、笑美がぎゅっと抱きしめる。
「よかった、戻ってきて」
「もう、大丈夫?」
 千歳は行き場に困った星良の手をぎゅっと握ってくれる。
 二人には恋の相談もしていただけあって、かなり心配してくれたのだろう。それなのに、この数時間メールのひとつも送らないどころか、二人の存在を思いだしもしなかった自分に心から反省する。
「ごめんね、心配かけて。もう大丈夫だよ」
 笑美が身体をはなしてからいつも通りの笑顔を浮かべると、笑美と千歳だけでなく、クラス中からホッとした空気が流れた。星良の涙は、クラスメイトにとって相当の衝撃だったようだ。
「久遠さんとは、会った?」
 眉を曇らせた千歳の問いに、星良は静かな声で肯定した。詳しい内容はまだ口に出せなかったが、二人は会って話したことだけでとりあえず納得したようだ。
 笑美と千歳はそれぞれ星良の手を握り、真剣な眼差しで星良を見つめる。
「星良ちゃん、私達は星良ちゃんの味方だからね!」
「力になれることがあったら、遠慮なく言ってね、神崎さん」
「あ、ありがとう」
 やたら力の入った二人にぎこちない微笑みを浮かべて礼を言うと、教室に姿の見えない唯花のグループ以外の女子たちが、次々に笑美たちに続いて味方宣言をしはじめる。
 気持ちは嬉しいが、戸惑いを隠しきれない星良。
 今まで、グループを組む女子たちの中で、どちらかと言えば一匹狼だった星良としては女子の連帯感になれていないのだ。
 それに、なんだか妙な雰囲気だ。
 自分を気遣って、味方だと言って励ましてくれるのは嬉しい。
 だが『星良の味方=ひかりは敵』という感情がちらちらと垣間見える。
 それは違う。
 そう思うが、はっきりとそう言われているわけでも無いのに、星良から言うこともできない。
 嬉しさや戸惑いや困惑が入り交じる中、授業を告げるチャイムが鳴る。
 それぞれの席に戻っていくクラスメイトの中、自分をじっと見つめる月也の視線に気づく星良。
 だから言ったでしょ? とでも言うような月也の眼差しに、星良はただ嘆息を返したのだった。

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