星良のいない教室からすごすごと帰ってきた太陽は、教科書を出すことも忘れるほど上の空で授業を受けていた。教壇から数学の教師が注意したのも聞こえていない。普段の太陽が優等生な為、反抗的とは思われずに心配そうな眼差しを向けられただけで終わったことも全く気づいていない。太陽の頭の中は、星良のことだけでいっぱいだった。
 物心がついた時には既に一緒にいるのが当たり前だった幼馴染みにして親友。太陽にとって誰よりも大事な存在。
 星良は心身ともに強いが、全く泣かないわけでもない。自分の為には泣かないが、誰かの為には涙を流す。己が傷つくのを恐れず、誰かの為なら平気で傷をつくってくる。そんな星良を守りたいと、太陽はずっと思ってきた。だからこそ、神崎道場で心身ともに鍛錬をつんできた。
 それなのに、自分自身が星良を誰よりも深く傷つけた。今、どうするのが一番いいのかもわからない。
 鬱々とそんなことを考えていた太陽は、一限目の授業が終わり休み時間になったことも気づいていなかった。誰もが近づき難い雰囲気を漂わせていることも自覚できぬまま、次の授業がはじまる。
 太陽が我に返ったのは、月也に連絡をしようか悩んだまま握りしめていた携帯電話が震えた時だった。
 はっと息をのみ、誰からの連絡か確認する。送信者が星良だとわかると、太陽は緊張しながらそのメールを開いた。

『心配かけてたらゴメン。もう大丈夫! 学校だと落ち着かないから、放課後に道場でゆっくり話そう。学校ではひかりのこと気遣ってあげてほしい。ゴメンね』

 星良からのメールを読み、太陽は少し肩の力が抜ける。メールが打てるくらいには星良が落ち着いた証だ。泣いている最中にこんなメールを打てるほど星良は器用ではない。
 ほんの少し気持ちが落ち着いた太陽は、何も見えていない状態からようやく抜け出す。
 気がつけば一限目ではない教科の授業がある程度進んでいることに衝撃を覚えつつ、星良のメールにも書いてあったひかりの姿を探す。
 が、ひかりがいるはずの席は空席だった。
 数度目を瞬いた太陽は、混乱しかけた脳内を整理するべく思考回路を動かしはじめる。
 この状況でひかりがいないのは、星良に会いに行ったからで間違いない。星良のメールからして、二人は会えたのだろう。会って話して、星良が気遣ってほしいと伝えてくるような結果になった。どちらかと言えば謝られる側の星良が、ゴメンと謝るような状況に……。
 太陽はきゅっと眉根を寄せると自分の不甲斐なさに頭を抱えた。
 この状況で、ひかりも星良と変わらぬほどに苦しんでいると何故すぐに気づいてあげられなかったのか……。
 悪いのははっきりと答えを出せない自分であって、星良もひかりも何の罪もない。それなのに、友達が故に傷つけ合うような状況に陥らせるなど不甲斐ないにもほどがある。
「オレのどこがいいんだろう……」
 自己嫌悪で思わずぼそりと呟いたとき、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
 すぐにひかりを探しに行こうと席を立ちかけたが、星良との話が終わっているなら教室に戻るひかりと行き違いになる可能性がある。ひかりが戻るのを待ち、二人で話せる場所に行った方がいいのではないか。それとも、電話かメールをしてどこかで落ち合うのがいいか……。
「たいよぉーーー」
 口に手を当てて考えていた太陽の背後から、今にも泣きそうな声が発せられた。
 振り返ると、動画を撮影した高木が涙目で立っている。その背後には高木を怒りの目や哀れみの眼差しで見つめている複数のクラスメイトたち。
「ごめんよぉー! 悪気はなかったんだよ、マジで!! 太陽がそんなに怒るなんて思ってなかったんだよぉー」
 土下座しそうな勢いで太陽の足下に跪いて訴える高木。そのテンションに太陽が驚いていると、周りのクラスメイトたちが次々と溜息をこぼす。
「やっぱ、盗撮はまずいよな、盗撮は」
「だよねー。しかもそれを何人かに転送するとか、ありえないよね」
「ひかりも可哀想だよ。さらし者にされてさ」
 主に女子がご立腹の様子で高木を責め立てる。男子は高木を哀れみつつも、女子の雰囲気に勝てずに流されているようだ。太陽たちの反応を見るまで皆で動画を見て盛り上がっていたはずだが、見事な変わり身だ。
 太陽が教師の注意も聞かずに難しい顔をしているのを怒っているのだと勘違いし、高木に責任を押しつけて意見を翻したらしい。
「久遠さんが授業サボるほど動揺するとか、思わなかったんだよー。神崎までぶち切れるとか、オレ、殺されるかな」
 青ざめてカタカタと震える高木。
 どうも、星良たちのクラスから太陽のクラスまで噂が流れる間に状況が変換されて伝わったようだ。傷ついて泣くイメージをもたれていない星良が教室を出ていったことが、怒って飛び出したことになったのだろう。
「神崎が通るとヤクザすら土下座するらしいじゃん。高木、短い人生だったな」
「会ったら瞬殺だろうな。逃げ切れるかね、あの神崎から」
「いやだー! オレはまだ死にたくないーー! あの動画は責任持って皆に削除してもらうから、許して、たいよぉーー」
「いや、星良はそんなことしないから大丈夫だよ。動画は消してもらいたいけど」
 周りのあまりの動揺っぷりに、逆に太陽は冷静さを取り戻す。
 足にすがりついて助けを求める高木に苦笑を返すと、いつもの太陽に戻ったと気づいたクラスメイトたちにほっとした空気が流れた。
「ホント? 本当に大丈夫??」
「星良は理不尽な暴力をふるわない人には手を出さないよ。オレも怒ってたわけじゃない、動揺しすぎただけ。心配かけてゴメンな」
 涙目の高木を立たせると、高木はすんっと鼻を鳴らす。
「オレの方こそマジごめん。よく考えたら嫌だよな、隠し撮りされるなんて」
「動画消して、もう同じことしなければオレはそれでいいよ」
「うん。ありがとう、ゴメンな、太陽」
 がしっと抱きついてきた高木の肩をなだめるようにぽんっと叩く太陽。星良は大丈夫でも月也はどうかな? とちらりと思うが、高木の為にそれは口に出さないでおく。
 心配をかけたクラスメイトには申し訳ないが、今はひかりが先決だ。まだ戻ってくる気配はない。
「つか、ひかりにもちゃんと謝りなさいよね、高木! 女の子の方が、こういうの傷つくんだから!」
「わかってるよー、戻ったら謝るってー」
「ホント、デリカシーのないことするんだから」
「悪かったってばー」
 お前らも動画みて楽しんでたじゃないかと口に出さない高木もいい奴なんだよな、と思いつつ、太陽はひかりを探しに出かけようと立ち上がる。
 と、教室がざわめいた。
「ひかり!!」
 教室の入り口に現れたひかりのもとに、友人の二人がかけよる。
「もー、心配したんだよ。どこ行ってたの?」
「ひかりがサボるとかありえないから、帰ってこなくて心配したんだから!」
 ごめんね、と二人に謝りながら太陽をちらりと見るひかり。心配そうに見つめる太陽に、大丈夫というように微笑みを返す。だが、悲しくなるほどに弱々しい笑みだ。
「まさか、神崎さんに何かされたとかないよね?」
「あの子、朝宮くんは自分の物とか思ってそうだし、大丈夫だった?」
「星良ちゃんはそんな子じゃないよ」
 不快そうな顔で言った二人に、ひかりはきっぱりと即答した。その答えに、二人は一瞬眉をひそめたがすぐにそれを隠す。
「星良ちゃん探してたら、うっかりチャイムが鳴っちゃって。途中で教室戻るのも邪魔かなって思って、日当たりのいい空き教室でちょっと気分転換してたの。心配かけてゴメンね」
 ひかりの性格からしてその行動はありえないとわかるが、友人二人はそれ以上追求することをやめたらしい。それならいいんだけど、と自分たちの机に戻っていく。
「久遠さん……」
 そばに行った太陽に、ひかりは再び微笑んだ。
「私は大丈夫だよ。朝宮くんは、星良ちゃんのこと考えてあげて」
 いつもと変わらぬ自分を演じているつもりだろう。だが、泣いていたとわかる目の赤さ。いつもはキラキラと輝くような笑顔も、今は儚くとける薄氷のような頼りなさだ。
 ひかりの華奢な肩を抱きしめたくなるが、ここでそんなことができるはずもない。
「オレ、久遠さんのことも大事だよ」
 周りには聞こえないくらいの声で伝えた太陽に、ひかりは大きな目を見開いた。それから少し嬉しそうで、少し哀しげに微笑む。
「ありがとう」
 ひかりが囁くような声でそう言ったとき、休み時間を終えるチャイムが教室に響く。
 二人を遠巻きに見つめていたクラスメイトが自分の席に戻るのに続き、太陽とひかりも自分の席に着席したのだった。

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