もし冷静だったならば、何かがおかしいと気づけたはずだった。
 たとえば、メールの文面が今までの星良と少し違ったこと。
 たとえば、学校見学の案内役だと知っているはずなのにその日に呼び出したこと。
 たとえば、体育館の裏という呼び出し場所。
 落ち着いて考えていたなら、いくら星良のアドレスから連絡が来たとしても、何も確認せずに呼び出された場所には行かなかっただろう。本人に会いに教室に行くくらいはしたはずだ。
 なんの疑問も持てなかったのは、星良が連絡をくれたということを疑いたくなかったから。話し合える=仲直りできるとは思っていないが、それでも何もない状態よりは前進できたということを、否定したくなかった。違和感よりも、信じたい想いが強かった。
 だから、体育館の裏に星良の姿が見えなくても、自分の方が早くついたのだと疑いもしなかった。旧体育倉庫の扉が誘うように開いていたのも疑問に思わず、ひょっとしたら星良が中にいるのかもしれないと、薄暗い室内を不用心にのぞき込んだ。
 その瞬間、ひかりは細い腕を掴まれた。その勢いで、ゆるく止められていたシュシュがその場に落ちたのも気づく余裕などなかった。
 強引に腕を引っ張られたひかりはバランスを崩して中で膝をついた。驚きのあまり、声も出なかった。状況が把握できる前に、ガラガラと音を立てて背後の重い扉が閉められる。
「いらっしゃーい、ひかりちゃん」
 薄暗い室内に響いた聞き慣れない声に、ひかりはゾッと鳥肌がたった。背後に複数の気配を感じ、反射的に振り返る。
 倉庫の中央に一本だけある蛍光灯が灯され見えたのは、同校の制服に身を包んだ男子生徒三人。二人はガタゴトとパイプを扉に立てかけて、扉が外から開かないようにしている。何もせず、膝をついたままのひかりをニヤニヤと見下ろしている人物だけ、ひかりは見覚えがあった。付き合って欲しいと告白されたことのある、一つ年上の先輩だ。
「な、何を……」
 人気のない密室に閉じ込められたという事実に、ひかりの声は震えた。本能的に恐怖を感じ、正常に思考が働かない。にじり寄る彼らから少しでも距離をとろうとして、扉から離れるように、立つこともできぬまま移動してしまう。
「何って、この状況でわからない?」
 怯えるひかりを楽しそうに見つめながら、ゆっくりと近づいていく男たち。狭い倉庫の中には様々な物が置かれており、ひかりはすぐに逃げ場を失って動きがとれなくなる。
 体育祭で使ったベニヤと木材で作った看板を背に、青ざめた顔で動きを止めたひかりの前で、ひかりに告白をした男がしゃがみこむ。
「小悪魔のひかりちゃんに、俺たちも愉しませてもらおうと思って」
 そう言って手を伸ばし、ひかりの髪に触れようとする。反射的に、ひかりはその手を払った。
「痛ったいなぁ」
 ひかりに払われた手を大げさに振りながら、男は嗤う。その左右に立つ男たちも、愉しげにひかりを見つめている。良心のかけらも見えない彼らに、ひかりは唇を噛んだ。
「なん……で、こんな、こと」
 途切れ途切れになりながらも、何とか言葉を発するひかり。中央の男は、可笑しそうに目を細めた。
「なんでって、誰に呼び出されたかでわかるでしょー?」
 ふざけた口調でひかりをさらに追い詰めようとする男。だが、その一言でひかりの中の恐怖が怒りに変わる。
「あなたが、星良ちゃんの携帯を盗んだの?」
 ひかりの強い口調に、男の眉がぴくりと動いた。
「なんでそうなるわけ? 自分の男を奪われた神崎が、腹いせのために俺たちに頼んだんだけど?」
「違うっ!」
 華奢な手をぎゅっと握りしめ、ひかりはハッキリと否定した。
「星良ちゃんを貶めるようなこと言わないで! 私のことをどんなに憎んだとしても、星良ちゃんはこんな卑怯なことは絶対にしない!」
 助けが来るとは思えない密室で、男三人に閉じ込められ、怖かった。
 でも、この状況を星良のせいにされるのは、たとえウソでも許せなかった。
「信じたいのかもしれないけど、傷つけられると人って変わるよ? ひかりちゃんにふられた、俺みたいに?」
 震えながらも睨み付けるひかりを、男たちは嗤う。
 それでも、ひかりの星良を信じる心は揺るがなかった。
 たとえ心の底から憎まれていても、世界で一番嫌いだと思われていても、星良がこんな形の復讐をするはずがない。自分の手を汚さず、こんな最低の手口を使うわけがない。
 星良とひかりは、高校に入ってから知り合ったので長いつきあいとは言えない。でも、太陽と月也が語る星良を以前から知っていた。あの二人が愛おしそうに話す星良と、ずっと友達になりたいと思っていた。知り合って、裏表のない真っ直ぐな星良を心から好きになっていた。
 ただ星良の携帯電話が使われたと言うだけで、彼らの口車を信じるほど、星良への想いは軽くない。
「星良ちゃんを、バカにしないで」
「ふーん。ま、いいけど」
 揺るがないひかりをつまらなさそうに見ると、男はひかりの腕を掴み、強引に立ち上がらせた。
「嫌っ! 放して!」
 全力で抵抗するひかりだが、男の力には全くかなわない。引きずられるように数メートルの距離を移動させられ、いつもは折りたたんであるはずのマットが広げられている場所に突き飛ばされた。為す術もなくマットの上に倒れるひかり。カビの臭いがつんと鼻をつく。だが、それを嫌だと思う間もなく次の恐怖がひかりを襲う。
 一人が仰向けのひかりの両腕を押さえ、もう一人が両足を押さえる。身動きのとれなくなったひかりの腰の辺りに、ひかりに告白をした男がまたがった。
「さー、愉しませてもらうよ、ひかりちゃん」
 浮かべた笑みに、背筋が凍った。
 その時だった。
 ガタガタと扉を動かそうとする音がし、男たちの動きが止まる。
「ひかり! いるの!?」
 扉の外から聞こえた声に、ひかりの大きな瞳に涙が浮かんだ。
「っ……」
 星良の名を呼ぼうとしたひかりの口は、馬乗りになった男が手でふさがれた。くぐもった声は星良に届いたのかわからない。
 次いで、太陽の不安げな声も聞こえた。二人はひかりの名を呼びながら、扉を叩き続ける。
 男たちは最初じっと扉を見ていたが、立てかけられたパイプが動くことなく扉を押さえていることに安心したのか、笑い出した。
「ダッセェ。いくらケンカが強いって言ったって、鉄の扉ぶち破れるわけねーっての」
「熱血ご苦労様ー」
 二人をあざ笑う男たちに、ひかりは必死に抵抗しながら声を上げた。汗をかくほどに全力で抵抗し、声をあげ続けると、外が少し静かになる。
「あっれー? 諦めて帰っちゃったんじゃね?」
「ひかりちゃんかわいそー。見捨てられた?」
 嗤う男たちにも心を折られず、抵抗し続けるひかり。と……。
「ひかりを離せぇぇ!」
 星良の怒号と共に扉が大音声を奏で、さすがに男たちはびくっと身を竦めた。
 あり得ないとは思いつつも、まさか扉が破られたのではとおそるおそる振り返る三人。だが、びくともしなかった扉を確認すると、ホッとしたように笑い出した。
「やっぱ、大丈夫じゃん」
「ビビらせんなよなー」
 続いた太陽の怒声も気にせずに、気を取り直した彼らはひかりに視線を戻す。
「さーて、さっさとやっちゃおうぜ?」
「だなー。そうしたら、あいつらも俺らに手を出せないだろうし」
 ニヤニヤと笑いつつ、馬乗りになった男がひかりの制服に手を伸ばす。必死に抵抗するひかりだが、それを止める事はできない。
「ひかりちゃんの淫らな姿、ばらまかれたくないでしょ?」
 首元のリボンを笑いながら外していく男に、ひかりは恐怖で叫び声すら上げられなくなった。取り外したリボンを無造作に投げ捨て、男は次にブラウスのボタンに手をかける。
「身の安全の為に写真撮らせてもらうけど、黙ってれば公開しないからさー」
 一つずつボタンを外され、ひかりの身体はどんどん強ばっていく。扉を叩く音が聞こえなくなったのが、音がしなくなったからか、恐怖のために聴覚がおかしくなったのかわからない。
「終わったらお友達説得してよね? 訴えてもいいけど、色んな人に恥ずかしいこと聞かれたり、好奇の目で見られたり、もっと嫌な想いするのひかりちゃんだし?」
 ブラウスも、カーディガンのボタンも外され、ひかりの喉は干上がっていた。声を出したくても、出せない。涙で視界がにじむ。
「ここらで写真撮っとくか」
 キャミソール姿のひかりに、馬乗りの男が携帯電話のカメラを向けた。ひかりは身をよじって抵抗するが、どうすることもできない。
「そんなに嫌がるなよ。朝宮より俺の方が上手いと思うぜ?」
「そーそー、ただの爽やかイケメンくんより、俺らの方が愉しませ……」
 足を押さえている男に太ももを撫でられゾッとした瞬間、旧体育倉庫にガシャンと甲高い音が鳴り響いた。
 男たちが驚いて音のした方向を見る。
 高い位置にある明り取りの小窓が割れ、ガラスが中に落ちていた。
 男たちが息をのむと、次の瞬間には、小窓から足が見えた。
 それは小窓にまだガラスが残っているのを気にもせず中に入ってくる。女性の身体ぎりぎりの幅の小窓を誰かが通り抜け、薄暗い旧体育倉庫の中にふわりと着地した。
 足下に落ちたガラスをガシャリと鳴らし、ふくらはぎを流れる血を気にもせず、舞い降りた影は男たちを睨み付ける。
「ひかりから離れろぉぉ!!」
 倉庫の中の空気がびりびりと震えるほどの怒号に、男たちは身を竦めた。その下で、ひかりの目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。
「星良……ちゃん」
 絶望の中あらわれた誰よりも会いたかった人に、ひかりの凍り付いた心は温かさを取り戻していった。

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