放課後になると、校内にはたくさんの生徒が残っていても、イベントなどがない限り、教室に残っている生徒は少ない。星良のクラスも、教室に残っているのは三人の女生徒だけだった。
「まだ連絡ないのぉ?」
 鏡を見ながらリップを塗り直しつつ、そう尋ねたのは唯花。つまらなさそうに言ってはいるが、声には笑いが含まれている。
「ぜーんぜん。夢中になってるんじゃない?」
「清純派相手で愉しみって言ってたもんね」
 それぞれ携帯電話をいじりつつ、クスクスと笑っているのはいつも唯花とつるんでいる果菜と七絵だ。
「途中で写真撮って送ってって言ったのにぃ」
 艶のある唇を軽く尖らせる唯花だが、本気で拗ねている様子はない。むしろ、今の状況を愉しんでいるようだ。
「撮る方に気をとられて、送るっていう発想がなくなってるんじゃない?」
「ありそー。泣いて嫌がる姿とか、好きそうだもんねー」
「意外と三人相手に愉しんでるかもしれないわよ? 友達の男取るくらいだし?」 
 唯花の言葉で、三人は楽しげな笑い声を上げた。
 ただ教室の前を通り過ぎただけなら、楽しげな女子トークに花を咲かせているだけのように思えるだろう。だが、話の内容は腐りきっていた。
「写真も楽しみだけど、明日からどうするのかも楽しみよねぇ」
 つけまつげを付けながら、唯花はクスクスと笑う。
「普通に登校してくるかな?」
「さすがにそこまで図太かったら笑うよね」
「そしたらヤられてる写真、クラスメイトにばらまいて反応見るのも楽しいんじゃなーい」
「うわー、それやばーい」
 言葉とは裏腹に、クスクスと笑う果菜。唯花も鏡を見ながら小さく笑っている。
「いい気味よね。ちょっと可愛いからって調子に乗ってるから悪いのよ」
「……でもさぁ、久遠さん、親とかに言ったりしないよね?」
 ほんの少しだけ眉をひそめ、七絵は呟く。視線の先には、星良の机があった。だが、唯花の笑みは崩れない。
「言わないわよ、久遠さんは」
 やけに核心に満ちた声。だが、星良の存在を思いだした七絵の表情は少し怯えていた。
「それと、神崎とかも大丈夫だよね?」
「それも大丈夫よぉ。そもそも、神崎と久遠さんは仲違いしているし。それに、先輩たちが襲ったってバレても、私たちが関わったって証拠はなにもないもの」
 フフっと唯花は微笑んだ。
「彼女を襲ってっていう依頼も、口で言っただけだからメールみたいに証拠は残ってない。呼び出しのメールは神崎の携帯からだし、それも誰にも見られずに職員室に忘れ物として届けたから、バレないわ」
「あの人たちが口割ったりしない?」
 七絵の問いに、両目につけまつげをつけ終えた唯花はにっこりと笑んだ。
「大丈夫よ。『私たちはそんなこと言ってません。先輩たちの勘違いですぅ』って涙でも浮かべたら、実行犯は責められても、証拠もない私たちは責められることはないわ。たとえ、久遠さんがどうなってもね」
「さすがにここまで最低とは思わなかったな」
 突如響いた声に、唯花たち三人はびくっと身を竦めた。そしてゆっくりと、声のした後ろのドアに視線を向けた。ゆっくりとドアが開くと、静かな目をした月也が現れた。
「た、高城くん……。いつからそこに?」
 一応、周りには気を配っていたつもりだった。窓際におり、会話の内容がわかるほどの大きな声も出していない。廊下に人の気配を感じれば、他の話題に切り替えてもいた。
 だが、月也の存在にはまったく気づけなかった。
「少し前から、かな」
 短く答え、月也はドアを閉める。果菜と七絵は緊張でゴクリとつばを飲み込んだ。
「幸いなことに、久遠は無事に救出されたよ、星良さんによってね。あぁ、あんたたちには残念ながら、かな?」
 メガネの奥の瞳を三日月型に細めて微笑んだように見える月也に、唯花たち三人はざわりと鳥肌がたった。
 月也は、ゆっくりと唯花たちに近づいていく。
「久遠を疎んで色々ちょっかい出してるのは気づいてたけど、まさかここまで醜悪だとはね。僕も見誤ったみたいだ」
「しゅ、醜悪って、何のこと?」
 少し青ざめながらも、唯花は微笑みを浮かべて月也に問いかけた。月也は、小さく息を吐く。
「久遠を襲うように依頼したんでしょ?」
「そんなこと言ってないわ。高城くんの聞き間違えじゃないの?」
 強気に言い返した唯花の横で、果菜も七絵も頷いている。
「証拠もないのに、人聞きの悪いこと言わないでくれる?」
「そうだよ。失礼ね」
「証拠、ねぇ……」
 月也は呆れたように呟くと、自分の携帯電話を取りだした。
 唯花たちはハッと息を飲む。先ほどの会話を録音されていたのだと思ったためだが、月也が提示したのはそれ以上の物だった。
「これ、証拠ね」
 月也が携帯電話を操作して彼女たちに示したのは、音声ではなくて映像だった。音も映像も鮮明で、はっきりと唯花たちだとわかる。携帯電話で撮ったとは思えない画質だ。しかも、唯花たちが予想したよりもかなり前から撮られていたようだった。
「な……どう、して……」
「久遠が危ないとわかった時点で、仕掛けてもらったんだよ」
 誰に、何をとは言わない。それがまた、唯花たちの不安を煽る。
「よくこんなひどい事ができたもんだよね。どれだけ傷つくか、同じ女ならわかるでしょ?」
 映像から流れる唯花たちの会話に、月也は顔をしかめた。
 唯花たちは、きゅっと唇を噛み、月也を見ている。どうすればこの場を切り抜けられるか、必死に考えているようだった。
「それ、どうするつもり?」
 尋ねた唯花に、月也はフッと笑う。
「どうすると思う?」
「……それを親や学校に見せたら、久遠さんは晒し者になるけど、いいの? 襲われたって噂がたったら、未遂だって言っても信じてもらえないかもしれないわよ」
「ふぅん。なかなかに悪党だね」
 唯花の言い分に、月也は半眼になる。だが、引く様子はない。
「でも、あんたらの罪をないことにすると思う?」
「……じゃあ、どうしたらなかったことにしてくれるの?」
 今度は甘ったるい声をだす唯花。ゆっくりと月也に近づいていき、細い指先で月也に触れようとする。
「高城くんなら、私、何されてもかまわな……」
「汚い手で触らないでくれる?」
「なっ……」
 今まで拒否されたことのない誘惑をあっさりと払いのけられ、唯花は言葉を失った。眼前の月也は、今まで唯花が向けられたことのないような軽蔑する眼差しを唯花に向けていた。
「男だったら誰でも身体目当てで言うこと聞くと思ってる考えが、反吐が出る。自分がそこまでいい女だって思ってるわけ?」
「っ……」
 怒りでカッと頬が赤くなった唯花だが、言い返す言葉がでてこなかった。他に、月也を言いくるめる策も思い浮かばない。
「やることも最低。反省の色もない。救いようがないね」
 月也は流し続けていた携帯電話の映像をとめる。月也の冷たい瞳と声に、三人はいっそう青ざめ、うつむいた。
「でも、確かに今この映像を公にするのは、久遠の意に反すると思う」
 月也の言葉に、三人は僅かな希望を見つけたように顔を上げた。だが、そこにあった月也の冷笑に、よりいっそう青くなる。
「だからこの映像は、この先、あんたたちの大切な人に見てもらうよ」
「……え?」
 意味がわからないというように、三人は困惑の表情を浮かべた。月也は、片方の唇をあげる。
「たとえば、未来の恋人。たとえば、婚約者やその家族。子供が生まれた後のママ友とか、同じくらいの歳になった子供に見せるっていうのもありかもね」
「なっ……」
 ぞわりと、三人の全身に鳥肌がたった。
「この最低な会話を見たあんたたちの大切な人間は、いったいどう思うだろうね? 昔の事だからって、笑って許してくれるかな?」
「何考えてるの? なんでそんな先まで、ただ先輩をけしかけただけの私たちが嫌がらせをうけなきゃいけないの!?」
 叫ぶ唯花に、月也は冷たく笑う。
「ただけしかけただけ? 教唆も立派な犯罪だよ。それに……」
 一度言葉を切り、月也は笑みを消す。
「人に一生残る傷をつけておいて、自分たちの罪だけ消えるわけないだろう」
「だ、だからって、高城くんにそこまでされる筋合いはないわ! それとも、高城くんも実は久遠さんが好きなわけ?」
 唯花の必死の抵抗に、月也は小さく溜息を吐いた。
「わかってないね。久遠を傷つけることによって、あんたたちは僕の最も大事な人たちをも傷つけたんだよ」
 メガネの奥の瞳が冷たく光り、唯花たちは恐怖で息を飲んだ。
「星良さんと太陽の心も深く傷つけた。僕は絶対に許さない」
 低く暗い声でそう言うと、月也は踵を返し、自分と星良の荷物を回収して教室の外に向かった。ドアの前で立ち止まり、カタカタと震える三人を振り返る。
「一生かけて後悔するといい。自分たちがどれだけ愚かな行為をしたのか、未来の大事な人たちが教えてくれるさ」
 不敵な笑みでそう言うと、ドアを開けて外に出る。扉を閉めかけ、ふと思いだしたというように涙目の彼女たちに言葉を向ける。
「そうそう。ちなみに僕を襲っても、代わりの人間が僕の意志を継いでくれるから意味ないからね。星良さんでも、太陽でもない人間が、ね。それじゃ」
 返す言葉が見つからない彼女たちを教室に残し、ゆっくりとした足取りのまま去って行く。その足が階段付近に近づくと、月也は携帯電話を取りだし、先ほどの映像を消した。
「元データも消しといてくれていいから」
 そう声をかけると、階段の影から小さな人影が現れる。学生服を着たくりっとした目の少年。学校見学に来ていた樹だ。見学のために用意していた小型カメラを月也の指示によって設置したのは樹だった。それを、月也の携帯電話に送ってもらったのだ。
「本当にいいっすか? あの人たちの教唆の証拠、なくなっちゃうっすよ?」
「いいよ。万が一星良さんたちの目に触れる方が嫌だから」
 星良も太陽も、女性への怒りのぶつけ方を知らない。基本的に守るべものだと思っている。だから、許せなくても、どうしたらいいのかわからないだろう。だったら、知らない方がいい。彼女たちへの報復は、自分が背負えばいい。それが月也の考えだった。
「月也先輩がいいならぼくはいいっすけど」
 念のために残したがっている樹に、月也は小さく笑う。
「本気であいつらの一生を追うほど僕も暇じゃないからね。役に立つ日はこないさ」
 最初から、彼女たちに言ったようなことをする気はない。ただ、自分たちがどれだけのことをしたのか自覚させたかっただけ。心に楔をうち、一生をかけて反省させたかったのだ。
「わかってるっすけどー」
 心配そうに自分を見上げる樹の頭を、月也はくしゃくしゃと撫でる。
「それより、協力サンキュー。お礼と口止めもかねて、今度何かおごってやるから」
「学校見学サボったことも、フォローよろしくっす」
 忠犬のような後輩に少し癒やされながら、月也はそろそろ落ち着いたであろう太陽たちの様子をうかがうべく、連絡をとったのだった。

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