夕飯を食べ終え、部屋でこのままごろごろするか道場で汗を流すか、少し悩んでいたところ、星良の携帯電話が鳴った。着信相手は太陽。電話をかけてくるのは珍しい。どうしたんだろうと思いながら、電話に出る。
「はいはーい」
『星良、今から出れる?』
 ベッドに横になりながら明るい声を出した星良に対し、太陽の声は硬かった。
 星良はがばりと起き上がる。
「ひかりに何かあった?」
 真っ先に浮かんだ不安を口にする。男たちに襲われた恐怖を思い出すような何かがあり、ひかりが怯えているのではと心配になる。
 が、返ってきたのは全く予想外の物だった。
『いや、久遠さんは大丈夫。月也が……』
 続きを言おうとした太陽の言葉がつまる。それが、星良に嫌な予感を増幅させる。
「月也が、何?」
『……病院に運び込まれた』
 絞り出すように言った太陽の声だけでその深刻さが伝わり、星良の頭は真っ白になった。
「……え?」
 何とか声を出せたものの、それ以上の言葉は出てこなかった。携帯電話を持つ手が、無意識のうちに震えている。
『俺、今からその病院に向かうから、星良もと思って』
 友人が駆けつけるほどの状態とはどんなものなのか……。
 考えると怖くなるが、事実を聞く勇気すら出てこない。
 ぎゅっと目を閉じれば、思い浮かぶのは数時間前まで一緒にいた月也の笑顔。いつも通り飄々として、あんなに元気だったのに……。
『星良、大丈夫か?』
「な……んで?」
 太陽の気遣う声に、なんとか声を絞り出す。電話の向こうの太陽が、短く息を飲んだのがわかった。
『詳しくは俺も聞いてないけど、知ってることは行く途中に話すよ。今からタクシーで向かうけど、それまでに準備できそう?』
「……うん」
 すぐに星良に話さないということは、太陽が自分が傍に居るときに伝えなければと思うような理由。嫌な予感しかない。
 だが、そこに拘っている時間がもったいなかった。すぐにでも、この目で月也の様子を確かめたい。
「すぐにでも出れる。門の前で待ってるね」
『わかった。すぐに向かう』
 電話を切ると、星良は上着とバッグを掴み、二階から駆け下りた。その勢いに、母が何事かと顔を覗かせる。
「何、どうしたの?」
「父さんは?」
 険しい顔の星良を、母はきょとんと見つめる。
「帰ってるわけないでしょ、こんな時間に」
 警察関係の仕事をしている父は、家に居ることの方が少ない。わかってはいるが、もし月也のことが事件性があるものならば、父に聞けないかと思ったのだ。
「連絡も、ないよね?」
「ないわよ。そんな顔して、何か用でもあるの?」
「ないならいい。ちょっと出かけてくる」
「……気をつけて」
 小首を傾げながら見送る母を背に玄関に向かう星良。太陽の家から車でも5分以上はかかるが、家の中でのんびり待っている気にもなれない。上着を羽織り母屋を出ると、道場の横を抜けて門の外に出た。
 ただ待つ時間は長い。たかが数分が数時間にも感じられる。
 タクシーのヘッドライトがようやく見えると、星良は停車するのを待ちきれずに駆け寄った。
「星良、危ないよ」
 慌ててブレーキを踏んだ運転手の手前、星良が乗り込むなり太陽は眉間に軽く皺を寄せて注意する。だが、星良は聞く耳を持たない。
「月也、どうしたの?」
 急くように聞いた星良に微苦笑を浮かべ、太陽は運転手に総合病院に向かってもらうように頼む。それから、落ち着かせるように星良の手をそっと握った。
「さっきお兄さんから追加の連絡が来たけど、命に別状はないらしい」
「命って……」
 わざわざそう言うということは、一歩間違えれば命に別状があった状態と言うことだ。
 さぁっと青ざめる星良。
「なんで……」
 星良の問いに、太陽は苦渋の表情を浮かべた。
「何者かに暴行を受け、倒れてたらしい。人通りの少ない所だったから、発見されるまでに時間が経ってたって」
「っ……」
 星良は思わず息をのんだ。もしかしたら自分がのほほんと母と夕飯を食べている間、月也は自分で助けを呼べない状態で放置されていたのかもしれないのだ。考えただけで吐き気がこみ上げる。だが、太陽が片腕で星良を抱き寄せてくれたので、何とか落ち着く事ができた。太陽の肩に顔を乗せた星良の頭をくしゃっと撫でながら、太陽は報告を続ける。
「治療は無事に終わって、後遺症が残るような怪我はないって。あとは、意識さえ戻れば心配ないらしい」
 その割に、沈んだ声の太陽。星良は太陽のパーカーをぎゅっと握りしめて、尋ねる。
「いつ、意識が戻るの? 麻酔がきれたら、月也は起きるの?」
「それは……わからないって。すぐに目が覚めるのか……」
 太陽は言葉を切って唇を噛みしめた。その反応で、もしかしたら長い間意識が戻らない可能性もあると星良は悟る。

 また明日って言ったのに、当たり前のように来ると思った明日は違うものとなった。
 もし、帰った後に出かける約束の電話をしたら何かかわったのだろうか?

 考えてもしかたの無いそんなことを考える。
 互いに無言で身を寄せ合うまま、タクシーは総合病院についた。支払いを終え、夜間救急受付を通って中へ急ぐ。受付で聞いた道順を足早に進むと、薄暗い廊下の椅子に座る青年が見えた。足音を聞き、その青年が星良たちに視線を向ける。
「水樹(みずき)さん」
 太陽がそう呼んだ相手は、月也より切れ長の目をし、でもよく似た面立ちの青年だった。立ち上がると、月也よりもすらりと背が高い。
「こんな時間に、わざわざありがとう」
 声質は月也によく似ているが、冷静よりもむしろ冷淡に聞こえる声はいつもふざけた口調の月也とは正反対に近かった。メガネの奥からのぞく瞳も、こんな時だというのに落ち着き払っている。
「星良、月也のお兄さんの水樹さん」
「どうも」
 紹介され、水樹は軽く頭を下げた。
「この子は、同級生の神崎星良です」
 何となく水樹を苦手に感じた星良が声を出せずにいると、代わりに太陽が紹介をしてくれた。背中をぽんっとされ、慌てて頭を下げる。
「月也に、会えますか?」
「せっかく来てもらって申し訳ないが、身内しか入れないそうだ」
 言って水樹が視線を向けたのは、集中治療室。星良はビクリと身を震わせ、青ざめる。
「数日経てば普通病棟に移れるそうだから、そんなに心配ないだろう」
 水樹が本当にあまり心配していないように見えて、星良は僅かに不快感を覚える。病状を詳しく聞いているからかもしれないと思っても、集中治療室にいる弟に対する態度としてどうなのだろうか?
 そう思っていると、水樹の眼鏡の奥の冷たい瞳が、太陽と星良を順に捉えた。
「それよりも、月也が襲われる心当たり、ある?」
 その問いに、星良はぎゅっと拳を握りしめ、嫌な予感を口にする勇気を振り絞ろうとしたのだった。

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