「犯人は、複数犯ですか?」
 星良が口を開く前に、太陽が水樹に尋ねた。星良は話すタイミングを失い、パーカーの裾をぎゅっと握ったまま水樹の返事を待つ。
「そうみたいだね。月也が倒れていた現場には複数の足跡があったようだから」
「……月也が逃げたり、助けを呼ぼうとした形跡はあったんですか?」
「どうだろうね。その時間帯、携帯電話を使った形跡はないから助けは呼べなかったのかもしれない。朝宮くんは、何か心当たりがあるの?」
 水樹と星良に見つめられながら、眉間に浅い皺を刻んだ太陽がその問いに答える。
「数日前に、共通の友人にトラブルがありました。相手を警察に突き出さない代わりに、月也は彼らの弱みを掴んで押さえつけようとしていたようなので、もしかしたらと思ったんですが……」
 ひかりを襲った彼らのことを言っているのだと星良は気づく。確かに、ありえない話ではない。
「ふーん、月也らしいね。でも、彼らじゃないと、朝宮くんは思うわけだ」
 僅かな表情の変化もなく、水樹は淡々とした口調で太陽に続きを促した。
 太陽は静かに頷く。
「武器を使った不意打ちならばありえるかもしれませんが、初撃で何もできなくなるほどの攻撃を月也がくらうのかなという疑問はあります。月也は普段から警戒心強いし、攻撃をかわすのも、逃げるのも上手い。彼らが相手なら、月也は何か助かるための手段を講じたはずです」
「確かにね。用意周到な月也が、自分が脅している相手に隙を見せるわけがないとボクも思う。しかも、君たちにとって表沙汰にしたくない相手なんだろう?」
 見透かしたように述べた水樹に、太陽は苦しげな表情で答える。
「彼らが犯人であれば、もちろん捕まえてもらいます。でも、確実な証拠がでるまでは、警察には……」
 警察に彼らを調べてもらうということは、ひかりが襲われたことも話さなければいけなくなる。他の人間が犯人の可能性があるならば、できれば伏せていたいことだ。
 月也を襲った犯人は捕まえて欲しい。だが、ひかりの心の傷を再び抉るようなことはしたくない。
 そんな葛藤が太陽から伝わってくる。
 水樹が何と答えるのか待っていると、眼鏡の奥の瞳が不意に星良を捉えた。
「君にも別の心当たりがあるように見えたけど?」
「え、あ、あの……。あ、あたしのせいかもって……」
 星良は震える声でそう言った。
 水樹は不思議そうに星良を見つめる。
「それは、具体的にどういう?」
 責める様子は微塵もなく、淡々とした口調で尋ねる水樹。
 星良はカラカラに乾いた口を開く。
「あたし、よく争いごとに首を突っ込むので、報復したいと思ってる人間は、きっと沢山います。月也がいる時にも、そういうことしてたから、巻き込まれたのかもって……」
 とぎれとぎれになりながら、月也が暴行を受けたと聞いた時から不安に思っていたことを口にした。月也自身が恨みを買っていなければ、警戒もできないだろう。
 太陽は何か言いたげに星良を見つめながら、身も心も支えるようにそっと星良の背中に腕を回した。
 水樹は星良を上から下までじっと見つめた後、何か思い出したような顔をする。
「あぁ、神崎って、神崎道場のお嬢さんなんだね。お噂はかねがね。もっといかにもな人かと思ったら、意外と華奢なんだ」
「えーと……はい」
 どんな噂なんだとか、いかにもな人ってどんなだと思ってたのかとか、心の中で疑問に思いつつ、曖昧な返事をする星良。何を考えているかよくわからない水樹に戸惑う。
 水樹はメガネの奥からじっと星良を見つめ、そして不可思議そうに尋ねた。
「君が狙われるのは分かる気がするけど、月也は君の報復になるほど君にとって大切な存在なの?」
「……ふぇ?」
 思わぬ問いに変な声が漏れる星良。
 そんな星良の動揺に気づいているのか気づいていないのか、水樹は冷静な口調で話を進める。
「だって、朝宮くんとの方がつきあいが長いんだろう? 月也を狙うより、朝宮くんを狙った方がいい見せしめになると思うんだけど」
「そ、それは……太陽の方が、強いし……」
「強い弱いで選ぶなら、君の女友達が襲われたんじゃないかな。仲のいい子、1人くらいはいるだろう?」
 ひかりの事件を知らないとはいえ、水樹の発言に星良は思わず嫌悪感を顔に出してしまう。そんな発想ができることが嫌だった。だが同時に、自分がしてきたことが、そんな危険性をはらんでいることに気づかされ、ゾッとする。
 いっそう青ざめた星良を落ち着かせるように、背中にまわされていた太陽の温かな手が、星良の背中を優しく撫でた。
「星良の不安もわかりますが、星良へ何らかのアクションがなければ、可能性は低いと思います」
「そうだね。報復だとわかるようにしなければ、意味はない」
 星良をフォローするように言った太陽に、水樹はあっさりと同意した。
「ボクは月也自身に襲われる理由があると思っていたんだけど、その心当たりは朝宮くんが言ったこと以外に心当たりはない?」
「わかりません」
 この人は弟のことをどう思っているんだろうと疑問に思いながら答える星良。太陽は少し思案していたが、小さく首をふった。
 水樹は小さく息を吐く。
「ありがとう。警察から心当たりを尋ねられたから、一応聞いただけだ。知らないなら、かまわない。あとは警察の仕事だしね」
 あっさりとした口調。身内が襲われた、不安や怒りが一切見えない。
 星良は月也の家族に会ったことがなかったが、いつもこんな風に冷めているのかと疑問に思ったとき、両親の姿が見えないことにようやく気づく。
「あ、あの、お父さんやお母さんは……」
 息子が意識不明の重体なのにいないのは、警察に行っているのかと思ったが、水樹の答えは違った。
「あぁ、二人は仕事で今地方だよ。命に別状ないなら帰らないというから、仕方ないから代わりにボクが来たんだ。さすがに、誰も来ないのはまずいからね」
「っ……」
 水樹の言いぐさにカッとなり、思わず文句を言いそうになった星良を太陽がパーカーの背中を掴むことで止める。反射的に太陽を睨むように見上げたが、太陽は星良を見ずにぽんぽんと星良の背中をなだめるようにそっと叩き、水樹を見つめていた。
「もし、もうご家族でなくても大丈夫なら僕らが月也についてます。水樹さんはご実家で休まれてください。何かあったら、連絡しますので」
「それなら、お言葉に甘えようかな。実家に連絡くれればいいけど、一応携帯の番号も教えておこう」
 水樹はあっさりと太陽の提案にのり、太陽と連絡先を交換する。その様子を、星良はずっと唇を噛んで見ていた。
 水樹が去った後、二人は集中治療室の外に立ち、ガラスの向こうに僅かに見える月也を見つめた。包帯をまかれ、何本かのチューブが取り付けられているのがわかる。
 その痛々しさに胸が苦しくなり、星良は隣に立つ太陽の腕をぎゅっと掴んだ。
「なんで……あんな月也を見て、あの人は、あんなに平気でいられるの?」
 襲った人間への怒りもあるが、月也の家族の態度への哀しみが今は大きかった。
 家族がこんな目にあったら、自分なら平気でいられない。大事な人が傷つけられて、あんなに冷静でいられるはずがない。
 太陽は星良の手をそっとほどくと、星良を優しく抱きしめた。大きな手が、頭をぽんぽんとする。
「水樹さんも、平気なわけじゃないよ。もともと表に感情を出さない人なんだ。今は実家を出て都内で一人暮らしなのに、すぐに駆けつけてくれたし、俺にも連絡をくれた。月也のこと、ちゃんと大事に思ってるよ」
「そう……かな」
 釈然としない星良に、太陽は続ける。
「ご両親も、仕事がら急にキャンセルできないだけだよ。星良のお父さんだって、そういうことあるだろう?」
「それは……」
 確かに、星良の父も祖母が危篤の時も仕事に行っていた。さすがに葬儀には参加したが、臨終の際にはそばにいなかった。それでも、祖母を大事にしていたのは事実だ。
 月也の両親は共に弁護士だと言っていたし、裁判かなにかがあるのならば、仕事をキャンセルするのは難しいのかもしれない。
「それに、月也は家族がいてくれるより、星良が傍にいてくれる方がきっと喜ぶよ」
「そんなこと……」
「あるよ。星良が傍にいてあげれば、きっとすぐに目を覚ますさ。そうしたら、犯人もわかる。だから、今は月也が目を覚ますことだけ願っていよう」
 色んな感情でぐしゃぐしゃになっていた星良の心が、太陽の言葉で優しくほぐされていく。
「そう、だね」
 泣きそうな顔で僅かに笑みを浮かべ、星良は太陽の腕の中から離れた。そして、再びガラスの向こうの月也を見つめる。
 今はただ、月也の意識が早く戻ることだけを祈ろう。犯人捜しはそれからでも遅くはない。
 そう思いながら……。

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