状況が把握し切れていない星良と、半ばあきれ顔の太陽の前まで歩いてきた樹は、笑顔を消し、まだ幼さの残る顔に苦渋の表情を浮かべた。
「って、笑ってる場合じゃないっすよね。月也先輩が目を覚ますまでに犯人突き止めないと、合わせる顔がないっす」
「犯人突き止めるって……あの変なメールを送ったの、樹くんってこと?」
 困惑の表情で尋ねた星良を、樹は半眼で見返す。
「この状況で、他の可能性があるっすか?」
「……ないよね」
 何を当り前のことをと言いたげな樹に苦笑いを浮かべ、星良は小さく息をついた。月也のことで頭がいっぱいで、全然頭が回っていないようだ。
 俯きかけた星良の頭に、そっと大きな手が乗せられた。
「で、月也からどんな教えを受けて、どう動いてるんだ、橘?」
 落ち着かせるように星良の髪をクシャっと撫でながら尋ねた太陽に、樹はくりっとした瞳をまっすぐに向けながら、唇に人差し指を当てた。
「それは秘密っす」
「……へぇ」
 にこりと笑んだように見える太陽から何か感じたのか、樹は同じポーズのまま一歩後退る。
「あ、あれ? 朝宮先輩、笑顔が怖いっすよ?」
「月也が襲われて、犯人もわからなくて、オレの機嫌がいいと思う?」
「同じく、機嫌がいいと思う?」
 月也に追随するように星良に黒い笑みを浮かべられ、三歩四歩と後退っていく樹。たらたらと冷や汗を流している。
「いや、これはぼくの意思じゃないっす。月也先輩が、余計なことは言うなって……」
「じゃあ、なんでオレらの前に顔出した? 気づかれたくなきゃ、姿現す必要ないだろ?」
 穏やかな太陽しかしらない樹は、追及の手をやめない太陽にびくびくしながら後退るのをやめる。困ったような上目遣いで、おずおずと口を開く。
「調査っす。あのメール見て神崎先輩に無実を訴えてくるような小心者は、犯人から除外して大丈夫なんで確認確認しにきたっす。そしたら、たまたまお二人が屋上にきただけっす」
「なんで?」
 樹の発言がさっぱりわからない星良が問うと、樹は小さく息をつく。
「月也先輩に手を出したら神崎先輩に報復されるのは目に見えてるっす。メール見て、神崎先輩を思い浮かべてビビるくらいなら、最初からやらないっすよ」
「それは言えてるな」
 納得した太陽の声に、樹はこくりと頷く。
「朝宮先輩にビビるのも同じことっす。なので、メール送ってお二人に言い訳しに来た人間を確認してたっす」
 つまり、朝から星良を尾行していたということだろう。そのまま、周囲の様子を観察するために、屋上に潜んでいたというわけだ。
 樹が月也に言われた通り、容疑者にメールを送り、その反応を確認しているのはわかった。だが、襲われる前からそんな指示をするようなどんなことを月也がしていたのか、星良には想像がつかない。やはり、自分に対する報復のために月也が狙われて、月也はいつかそんなことが起こることを予測しながらも、自分の傍にいたのだろうか……。
 そんな暗い顔をしていると、樹はポリポリと頭をかいた。
「ちなみに、神崎先輩への報復じゃないと思うっす。バレたら倍返しされるだけって思うようなやつしか、神崎先輩成敗してないでしょ?」
「うーん……」
 星良自身は、誰かを傷つけたり、脅したりしていた人間にしか、報復される思い当たりはない。それにもう二度と関わりたくないと思われるくらいの恐怖は与えている。確かに、友達を傷つけられた星良がどうなるか想像したら、そんなバカなことはしないかもしれない。
 だが……。
「じゃあ、なんで月也は襲われる心当たりがあるの? それも、容疑者絞らないといけないくらい……」
 星良の問いに、くりっとした樹の目が泳ぐ。
「それはっすねぇ……」
 秘密といいたい所だが、星良の怖いほど真剣な眼差しにそうは言いにくいらしい。後ろで組んだ手を、どうしたものかともぞもぞ動かしている。
「樹くん、理由、知ってるんでしょ?」
 月也は悪ふざけはするが、誰かに襲われるほどのことをするような人間ではない。本当はすごく優しいと星良は知っている。納得がいかない。ぐしゃぐしゃとした感情が、怒りに火をつけそうになる。
 だが、再び太陽にぽんっと頭に手を置かれ、昂りかけた気持ちが少し落ち着いた。
「月也が隠したかったことは、月也が目が覚めてから聞こう」
 太陽の言葉に、星良ははっとなる。確かに、気にはなるが、他人の口から聞いてしまうのは月也に失礼かもしれない。
  しゅんとなった星良がこれ以上の追求を諦めたと見てホッとしかけた樹だったが、太陽の微笑みに顔がひくっとひきつる。
「でも、捜査は一緒にできるよな? 橘の言う『余計な事』を話さなくても、オレらにできることはあるだろ?」
「えーとっすねぇ……」
「あるよな?」
「……あれ? 朝宮先輩ってこんなキャラだったっすか?」
 太陽の静かな怒りに狼狽えている樹だが、太陽は別に樹に対して怒っているわけではない。月也を襲った犯人に対して、何もできない自分に対してだ。ただ、押さえきれないものが滲みでているだけ。
 太陽と星良にじっと見つめられ、樹は仕方ないというように深々と溜息をついた。
「わかったっす。二人にご協力願うっす」
「何すればいい?」
 急くように尋ねる太陽。一刻も早く犯人を捕らえたいのは、星良と同じだ。
 すぐにでも行動したい星良と太陽だったが、樹の出した答えは思ったようなものではなかった。
「放課後、ボクの指示したルートを通っていただきたいっす。その反応で犯人を判断するっす」
「容疑者は教えてくれないの?」
 不満そうに眉根を寄せた星良に、樹は深く頷いた。
「神崎先輩に教えたら、全員に殴り込みしそうだからダメっす。無実の人間も怖がらせてたら、神崎先輩には正義の味方でいてほしい月也先輩の意に沿わないっす」
「正義の味方って……」
 バカにされたようで半眼になった星良だが、樹は真面目な顔で星良を見つめていた。ちらりと見れば、太陽は優しい顔で星良を見つめている。
「神崎先輩は自分からは手を出さない。誰かを助ける時だけ、その力をふるう。それが、月也先輩の神崎先輩に対するイメージっす。月也先輩、自分の為を思ってだとしても、神崎先輩が疑わしきだけで無実の人間を脅したりとかは望んでないっすよ」
「別に、あたしはそんな善人じゃない……」
 脅すことが前提か……という突っ込みは飲み込んで、星良は呟いた。自分自身、深く考えて行動しているわけじゃない。目に入ってしまったら、ほっとけなくて間に割って入っているだけ。自分の行動が正義だとは思っていないし、絶対に自分からケンカを売らないとは言い切れない。
 でも、月也のことで、月也の期待を裏切るのも嫌だった。
「それで、犯人は絞れるんだな?」
 星良の背中をぽんっとっ叩きながら、太陽が樹に尋ねる。星良を支えなければと思いが、熱くなりかける太陽を冷静にさせていた。
「正直、あまり行動を起こされない方が助かるっす。犯人探してる体で歩いてもらうだけで十分っす」
 樹の真っ直ぐな瞳に揺らぎはなかった。月也にどう頼まれているのかわからないが、信頼と自信に満ちている。無理矢理に手伝わせてもらっても、計画が台無しになるだけかもしれない。
 それでも月也のために何かしたいと唇を噛んだ星良の気持ちを悟ったのか、樹はにこっと笑んだ。
「神崎先輩は頭脳派じゃないっすから、捜査よりも月也先輩の傍にいてあげるほうがいいと思うっす。その方が、月也先輩も早く目を覚ますはずっす」
 最初の一言は余計だと思いつつも、そうだったらいいと願う星良。こんな自分を好きだと言ってくれた月也の為に何かがしたい。でも、犯人がつかまるよりも何よりも、早く月也に目覚めて欲しい。いつものように、軽口をたたき合いたい。三日月のような目で微笑んで欲しい。ただ、隣にいて欲しい……。
 機械につながれて無機質な音が響く部屋にいた月也を思いだし、じわりと涙がにじむ。
「わかった。樹くんの言うとおりにする。詳しい捜査は、樹くんにまかせる。でも、無理はしないで。樹くんも同じ目にあったら、月也が悲しむ」
 樹は僅かに微笑み、こくりと頷いた。
「大丈夫っす。ボクは影に徹するので、表にはでないっすから」
 そう言ってから、樹は一歩横にずれると、太陽と星良に背後のドアを手で示した。
「そんなわけで、お二人は授業に戻った方がいいっす。ボクはもう少しここで観察したいことがあるっすけど」
「……わかった」
 要は、邪魔だから出ていって欲しいのだなと察し、太陽は小さな溜息と共に承諾した。
 星良の背中を優しく押しながら、屋上のドアに向かう太陽。犯人を見つけたいのは同じ気持ちだが、お前受験生なのに大丈夫なのかと内心心配しながら……。
 
 

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