太陽と一度別れた後、星良は教室に戻り、お腹が痛かったからと言い訳しながら自分の席に着いた。授業に出られない月也のためにノートをちゃんととるべきだと思ったものの、内容が全く頭に入ってこない。樹に任せるとは言ったものの、今ものうのうと普通の生活をしているだろう犯人を思うと、怒りで全身の血が沸騰しそうで、いてもたってもいられない気分になる。自分がヘタに暴れても警察や樹の捜査を邪魔するだけになりそうだから我慢せねばと自制している間に、気づけば授業は終わっていた。
「星良ちゃん、大丈夫?」
 千歳に声をかけられ、星良はようやく我に返り、休み時間になっていることに気づく。
「朝から顔色悪かったもんね。保健室には行ったの?」
 机の前に立った千歳と笑美は、心配そうに星良の顔をのぞき込んでいた。
 星良はぱちぱちと数度まばたきをして、鬱々としていた脳内を切り替える。
「心配かけてごめんね。大丈夫だよ」
 笑えるような心情ではないが、千歳と笑美の優しさに自然と微笑が浮かんだ。
 ぎすぎすした気持ちの時に、自分を思いやってくれる人の存在の大切さが身にしみる。
「ほんと? 高城くんも熱出して休んでるし、星良ちゃんも無理しちゃだめだよ?」
「そうそう。我慢してひどくするより、軽い内に直しちゃった方がいいんだから」
「ありがとう。無理はしないよ」
 千歳と笑美と仲良くなれたことを嬉しく思いながら、今頃太陽から月也の報告を受けているだろうひかりのことを想う。月也とは一番つきあいが長く、初恋の相手でもあるひかりのことだ、さぞかし心配しているだろう。そしてきっと、落ち込んでいるであろう自分の事も、きっと気にしてくれている。
 顔を見せに行こうかな?
 二人と話しながらそんな事も考えていたとき、カタンと隣の席から音がした。
 反射的に視線を向けると、久しぶりに登校してきた唯花が隣の席の上に腰をおろしていた。
「お久しぶりー、神崎」
 風邪をこじらして数日間休んでいた唯花だが、病み上がりを感じさせない肌つやだ。いつも一緒にいる二人は見当たらないので、彼女たちはまだ治ってないのだろう。
「あー、久しぶり。もう大丈夫なの?」
 あまり仲良くもないが、クラスメイトの社交辞令として一応尋ねる。千歳と笑美も、興味がないという目をしながらも、一応返事を待っている。
「すっかりよくなったわ。でも、せっかく来たのに高城くんが休みなんて、残念。神崎、どんな具合か知ってる?」
 唯花の問いに、顔が強ばりそうになる。だが、事情を知らない相手に動揺を見せたくはない。
「熱出してるみたいだけど、ただの風邪じゃないかって。何日か休めばよくなるんじゃないかな」
 本当に良くなることを願いながら言うと、唯花は長い髪をいじりながら困ったように軽く眉根を寄せた。
「やだぁ、私のせいかな? 私の風邪うつったのかも。ごめんねぇ」
 いつもは男子に向けるような甘ったるいしゃべりかたに、笑美がいらっとしたようにぴくりと眉をあげる。千歳もうざいと言うように半眼だ。星良もなんと返したらいいのかわからず、引きつったような苦笑いを浮かべる。
 唯花はそれ以上話すこともなかったのか、返事も待たずにすぐに男子の方へ歩いて行ってしまった。
「うつすほど高城くんと一緒にいないだろっつーの」
「ホントだよね。星良ちゃんからうつされるならともかく」
 男子に対してワントーン高い声で、調子の悪かった自分をアピールすべく、甘ったるくしゃべる唯花の後ろ姿を見ながら、二人が毒づく。いつもなら星良も毒づくところだが、本当に風邪をうつされただけだったらどんなにマシだろうと思ってしまうと、言葉がでなかった。
 そんな星良を、やはり調子が悪いのではと心配する千歳と笑美。大丈夫だと言い張る星良だったが、二人に強制連行され、寝不足だったこともあり、次の時間は保健室のベッドの上で仮眠をとる結果となったのだった。



 いつの間にか屋上から姿を消した樹は、太陽の下駄箱に帰るルートを書き込んだ地図とメモを残していた。メモには簡潔に、余計な事はせずにそのルートを通って病院まで行くようにと頼む文だった。
「あいつは、いったい何を考えてどう動いているんだか……」
 心配と呆れが混ざったような太陽の呟きに、部活に行く前に見送りに来てくれたひかりがさらりと髪をゆらし、小首を傾げる。
「橘くんのお父さん探偵さんだから、調べるノウハウ知ってるのかな?」
「そうなの!?」
 始めて知る事実に驚きの声をあげる星良。太陽も初耳という表情だ。
「自分も跡を継いで探偵になるって言ってたよ。でも、危ないことはして欲しくないよね……。星良ちゃんたちも、気をつけて」
 部活を休んで一緒に月也の見舞いに行きたがったひかりだったが、樹の指示に従って万が一犯人に襲われたら危ないので、今日は部活に出るよう説得してあった。
 心配そうなひかりに見送られ、二人は樹の指示通りに歩き始める。
 地図を片手に歩くのも不自然なので、ルートは太陽が覚えていた。通ったことのない道も含まれていたが、別段危なそうだったり不審な道はない。警戒はしているが、それを悟られないように表情にも仕草にも気をつけた。
 数組の男たちが朝現れた男たちと同じように無実を訴えて去って行ったが、あの青ざめ方を見る限り、犯人とは思えない。目つきの悪い数人の男たちともすれ違ったが、見覚えもなければ向こうも星良たちを気にとめる様子もなかったので関係ないだろう。それ以外、別段気になるような事はなかった。
「病院ついちゃったけど、これでよかったのかな?」
「橘がどこで様子を見ていたかも気づかなかったしな」
 二人とも疑問を残したままだったが、月也の容態が気になるのでそのまま病院内に入っていった。昨日とは違い、まず面会受付に行く。
「え? 一般病棟に移れたんですか!」
 まだ集中治療室にいると思っていた星良は、思わず大きな声で尋ねて太陽に口をふさがれる。苦笑いを浮かべた受付の人に太陽が頭を下げ、星良は手を引かれて教えてもらった病室に向かう。
「月也、意識戻ったのかな?」
「星良、嬉しいのはわかるけど、声大きい」
 微苦笑を浮かべた太陽に注意され、星良は今度は自分の手で口をふさぐ。集中治療室から一般病棟に移れたと言うことは順調に快方に向かっている証拠だ。嬉しくて、ついつい声が大きくなってしまう。
 太陽も一見落ち着いているように見えるが、安堵したのか、警戒しながらここまできた道すがらとは違っていつも以上に穏やかな目をしていた。
 教えられた病室までたどり着くと、太陽がドアをノックした。月也の返事を期待するが、返ってきたのは水樹の声だった。
 静かにドアを開く二人。中を見て、一瞬くる場所を間違えたのかと錯覚する。イメージしていた病室とは違い、まるでホテルのような部屋だったからだ。
 まず視界に入ったのはベッドでもそれを仕切るカーテンでもなく、立派な応接セットの一部。それも、入ってすぐあるわけではなく、開けられたドアの向こうにある部屋にある。
「どうぞ」
 遠慮していると勘違いしたのか、奥から声がかかった。太陽と顔を見合わせてから中に入る。すぐ右には簡易キッチンが備えられた部屋があり、左手には洗面台と、その隣にはさらに奥にある部屋に続く廊下が見えた。
「こっちだよ」
 声は応接セットの方から聞こえるので、二人は奥の部屋に進む。水樹は、壁の影になっていた大きなソファに腰を下ろしていた。手にはタブレットを持っている。背後の壁にはクローゼットや大きなテレビが備え付けられ、大きな窓からは街を一望できてなかなか景色がいい。病院にお見舞いに来たはずなのに、いったいここはどこだと思う星良。星良の知っている病室とは全然違う。普通に住むにしてもなかなかいい部屋に分類されるような場所だ。
「月也はそっちだよ」
 水樹に視線で教えられ、星良と太陽は水樹がいる方向と逆側を向く。そこには、開けたままのドアの向こうにさらに広い部屋があり、テーブルセットの向こうに大きなベッドがあった。
 部屋の様子に驚いていた星良も我に返り、月也のいるベッドに駆け寄る。
 月也はまだ目を閉じたままだった。
「まだ意識は戻ってないけど、もう大丈夫だろうって。急所を守るのが上手かったみたいだね。たいした生命力だって医者が褒めていたよ。道場に通ってたかいがあるのかな」
 ソファに座ったまま、水樹がそう教えてくれる。星良は包帯を巻かれ、呼吸器をつけられた月也の顔をそっとのぞき込んでから、点滴を打たれていない方の手をそっと握った。
 温かい。
 ちゃんと生きていると感じて、それだけで涙が出そうになる。
 昨日は遠くから眺めているだけだったから、こうして触れることができるだけでホッとする。
「まぁ、意識は戻ってもしばらくは入院だろうからこの部屋に移させてもらったんだけど、君たちも気になるならここに泊まってもらってもかまわないから。ベッドは一つしかないけど」
「いや、さすがに大怪我してる人と一緒に寝るのは……」
 月也の眠るベッドは一人で横になるには大きいが、さすがにそれはと遠慮する星良をキョトンとみた水樹は、口元に手を当てた後、肩を震わせはじめる。
「星良……。さすがにそんなことは誰も勧めないよ。さっきの奥の部屋に、家族用に泊まるベッドがあるって事だと思う」
 太陽も月也の顔色を見て少し安心したのか、星良からやや視線をそらし、笑いを堪えている。
 恥ずかしさで、カァッと赤くなる星良。
「ちなみに、バス、トイレ、キッチンも完備だ。着替えさえ持ってくれば、いちいち帰る必要もない」
 そっけなく見えた水樹だが、意識が戻るまではなるべく月也一人にしないようにと思っているらしい。
 その気持ちにホッとしつつ嬉しく思うが、自分の知らない世界に少し驚愕する星良。
 応接セットの置いてある部屋だけでも、星良の部屋よりも広いのに、さらにバストイレキッチン完備とは、そんな病室が存在するとは知らなかった。この病室、いったい一日いくらするのか……。
「月也の家って、お金持ちなのね……」
 ぼそっと独白したつもりが、水樹の耳まで届いてしまったのか、再び水樹が笑う。
「まぁ、両親はだいぶ稼いでると思うよ。それに、ここの顧問弁護士でもあるからね。その子息である月也の扱いは丁重だよ」
「そ、そうですか……」
 再び羞恥で顔を赤らめながら、星良は静かに眠る月也の顔を見つめた。痛々しい姿に怒りがこみ上げないわけではないが、それでもただ傍にいたいという気持ちが勝る。
 犯人捜しよりも、ここにいて、月也が目覚めるのを待ちたい。
 素直にそう思う。
「本当に、ここに泊まってもいいんですか?」
「かまわないよ。ちゃんと親御さんの許可がもらえれば。そうしたらボクは家で休ませてもらうし」
 水樹の言葉に甘え、星良は今日は一晩この病室にいることに決める。学校にはここからでも通えるし、家で心配しているくらいなら、ここで月也の顔を見ている方がまだ落ち着くからだ。
 ソファでも眠れるからと、太陽も一緒に付き添うことにする。
 二人は一度家に戻って明日の準備をすると、再び病院に向かったのだった。

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