ゆっくりと瞼を持ち上げた星良は、目に映った見慣れない部屋がどこか、ぼんやりとした頭ではすぐに思い出せなかった。数度まばたきし、ようやくここが病院だと思い出す。知らぬうちに自分がベッドで寝ていたということは、太陽がベッドまで運んでくれたのだろう。明るさからしてすでに朝なので、太陽はずっと月也に付き添っていたことになる。
「太陽、ごめん!」
 飛び起きた勢いで月也の病室までかけていき、扉を開けるなり謝る星良。月也のベッドのそばに置いた椅子に腰かけ、腕を組んだまま眠っていたらしい太陽が、その声にびくっと肩を揺らす。
「ん……星良、おはよう」
 まだ眠たげな眼差しで、あくび交じりに挨拶をする太陽に、星良はかけよった。
「おはよう。ごめんね、ベッドまで運ばせちゃっ……」
  星良の言葉がそこで止まる。視線は太陽からその向こうにいる月也へと移っていた。今まで動かなかった月也の瞼がゆっくりと上がって行くのを、星良は息をするのを忘れて呆然と見つめていた。太陽の肩に置いた手が、無意識のうちにぎゅっと握られる。
「た、たいよ……」
自分の見間違いじゃないと確かめたくて、太陽にも月也の変化に気づいてもらうべく、星良は視線で太陽を促した。太陽はまだ眠たげな眼差しを、星良の視線につられるように月也に向ける。そして、ハッと息をのんだ。
「つ、月也?」
 目を開けぼんやりと天井を見つめている月也の名を、星良は震える声で呼んだ。月也の瞳がゆっくりと動き、星良たちを捉える。
太陽の肩の上にある手を、太陽がぎゅっと握ってくれたので、星良はこれが夢ではないと信じることができた。
「月也!」
今度はハッキリと名を呼び、星良は月也の頭のそばに移動した。
「月也、大丈夫? あたしのこと、わかる?」
 まだぼぅっとした眼差しで自分を見つめた月也に、星良は震える声で話しかける。月也の手に自分の手を重ねて答えを待つと、月也はその顔にゆっくりと笑みを広げた。
「大丈夫、わかるよ。僕の大好きな星良さんでしょ?」
「な……」
 思わぬ返答と共に重ねた手を握られ、言葉に詰まる星良。色んな感情が込み上げて、カァッと頬が染まると同時に涙が溢れてくる。
「なに……バカな……こと、言って……。人が、どれだけ……心配したと……思って……」
 真っ赤な顔でぽろぽろと涙をこぼす星良を優しく見つめる月也と、星良の頭の上にぽんっと優しく手を置く太陽。星良は安堵で涙が止まらなくなる。
「よかったな、星良。月也、いつも通りだ」
「いつも……通り、すぎて……、なんか、もう、むしろ、むかつく……」
 しゃくり上げながらの星良の不平に、月也と太陽が小さく笑う。星良は唇を尖らせたが、こんなやりとりができるのも、月也が無事に意識を取り戻したからだ。もしかしたら、もう二度とこんな時間はこないのではと不安に思う時もあったので、いつも通りが本当は嬉しくてたまらない。
「月也の、ばかぁ……」
 月也の手をぎゅっと握りしめ、逆の手で涙を拭きながらそう言うと、月也は嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ。今の、逆に好きって聞こえる」
「!?」
「よし、月也は通常運営っと。さ、看護師さんに連絡しようか」
 へらっとしている月也とさらに顔を赤らめた星良に落ち着いた笑みを向けた太陽によって、ナースコールが押された。やってきた看護師や医師による診察や検査のため、二人は病室をでることになり、名残惜しげにしていた星良は太陽に付き添われ、一度家に帰るとそのまま学校へと連れて行かれたのだった。



「犯人聞きそびれた……」
 昼休み、太陽とひかりと昼食をとりながら、星良はややふてくされ気味にそう呟いた。
 朝はまだ寝起きだったことと、月也が目覚めたことの安堵が大きく、それ以外に頭が回らなかったが、今頃になってようやくその事実に思い当ったのだ。
「しょうがないだろ、星良。まずは診てもらう必要があったんだし、家族でもないのにいつまでもいるわけにもいかないし」
「そうだけど……」
 おにぎりをほおばりながら、星良は眉間にしわを寄せる。
 朝は冷静な判断ができなかったが、今考えると少しおかしい。いくら月也とはいえ、誰かに襲われて数日ぶりに目覚めたというのに、あの口撃。自分を動揺させて、事件に意識を向けないようにさせられたと思えなくもない。
「それに、月也が犯人を見てるなら、警察が捕まえてくれる。星良が焦って聞く必要はないだろ?」
「……それも、そうだけど」
 頭ではわかっているが、でも納得はできない。月也を傷つけた犯人を、自分の手で捕まえたいと思ってしまう。
「でも、樹くんのことは止めなかったのに……」
 じとっと太陽を見ると、太陽はからあげを咀嚼しながら苦笑を浮かべた。お茶で流し込んでから、太陽は口を開く。
「あの時は、月也の意識が戻ってなかったからだよ。犯人の手がかりを見つけるのに必要ならと思って止めなかったけど、月也が犯人わかるならもういいだろ」
「……そう、だけど……」
 なんとなく太陽の態度にも釈然としないものを感じ、ふて腐れ顔の星良。自分を事件に触れさせないようにしている気がしてならない。警察の邪魔をしないようにと思っている可能性もあるが、やはり犯人が自分に関わる人間で、それに気づかせないように月也と結託している可能性も考えられる。
 それを見極めるべくじぃっと太陽を見つめていると、隣のひかりからふっと小さな声がもれた。ひかりを見ると、ひかりが目を細めて星良を見つめていた。
「星良ちゃんは、本当に誰かの為だと一生懸命になれるよね」
「?」
 きょとんとする星良に、ひかりは笑みを深めた。
「自分の痛みはできるだけ我慢するのに、誰かの痛みを感じたら止まっていたくないんでしょ。星良ちゃんらしい優しさだなって」
「そんな……優しいってわけじゃ……」
 星良は頬を少し赤らめ、照れを誤魔化すようにかぷりとおにぎりにかぶりついた。そんな善人じゃないと自分では思うが、ひかりの嘘のない笑顔と共に言われると、なんだかくすぐったいような気持ちになる。
 ひかりも月也の意識が戻ってホッとしたのだろう。ここ最近で一番可愛らしい笑みを前に、憎き犯人の推察をしようという気も失せ、とりあえず昼食を楽しむことにする星良。話がそれて太陽がホッとしたような表情を垣間見せたのが気にはなったが、事件のことは放課後、月也に会いに行くまでは置いておくことにした。




「ねぇ、たぶん意識戻ったっぽいけど、本当に大丈夫ぅ?」
 他には誰もいない教室の中、電話に向かって甘ったるい声を発している女生徒が一人。返ってきた返事に、艶のある唇に笑みを浮かべる。
「だよねぇ。それにぃ、あれだけされて、身の程わきまえないほど、バカじゃないかぁ」
 人を小馬鹿にしたような、楽しげな声。甘いしゃべり方とは裏腹に、冷たい響きが含まれている。
「今日? いいよぉ。また手伝ってあげる。あれ、意外と楽しかったしぃ」
 ゆるく巻いた長い髪をいじりながら、ふふっと笑う。
 美しい顔立ちで浮かべる笑みは、醜く歪んでいた。

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