秘めていた想いを二人に打ち明けて、心の靄が晴れたはずの星良は、授業中にもかかわらず、机の上に突っ伏していた。
 数式を書いていたはずのノートには、読解不能な文字とも数字ともとれない線がぐしゃぐしゃと描かれている。まるで、自分の頭の中のようだと、星良はぼんやりと思った。
 もう、ひかりに対する後ろめたさはない。太陽にも『好き』の違いをわかってもらい、あとは太陽に恋愛対象として好きになってもらう努力をするだけだ。
 だが、その方法がわからない。
 太陽には違った意味で十分愛されている。より深くわかりあうにしても、産まれた時から一緒にいて、互いに知らぬことの方が少ない。誰といるよりも、自然体でいられる関係。距離を縮めようにも、他の誰よりも親しい間柄なのだ。これ以上、何をどうすれば恋愛に発展してくれるというのか……。
 星良は人目もはばからず、盛大なため息をついた。
 恋も、数学のように決められた方程式を解いて答えにたどりつけるならいいのに……。
 数学の方程式すら解けぬのに、そんな愚にもつかないことを思う。
 どんな難しい数学の問題よりも、星良にとっては恋の方が難解だった。
「星良ちゃん、大丈夫?」
「まだ本調子じゃないの?」
 いつのまにか授業は終わっていたらしい。心配そうな声がすぐ傍で自分に向けられ、星良は顔をあげた。目の前にしゃがんで星良の顔を覗き込んでいる笑美、その後ろに心配そうに見つめる千歳の姿。星良は慌てて身体を起こし、苦笑を浮かべた。
「違う違う。ごめん、ただの考え事。もうすっかり元気だよ」
 顔色は悪くない星良の顔を見て、千歳はホッとしたように目を細めた。
「元気ならよかった」
「いや、よくはない」
 一方の笑美は、星良の瞳を真面目な顔でじっと見つめている。
「考え事ってより、悩みじゃないの? ぐったりするくらい悩んでるなら、それはそれで心配だよ」
 浮かない顔の星良を、本気で心配してくれているらしい。笑美の真剣な眼差しに、星良の心がほっこりと温まる。
 体育祭の練習から親しくなった笑美と千歳だが、裏表のなさそうなさっぱりとした性格の二人を星良は好きになっていた。太陽に対して特別な関心があるわけでもなさそうだし、こんな真摯な眼差しを向けてくれる二人なら信頼できる気がする。
「ありがと。……あのね」
 自分よりは確実に恋についてわかっていそうな二人に相談しようと思ったが、視界の端に唯花が映り、星良は言葉を飲み込んだ。一番聞かれたくない相手だ。星良には関心がないだろうが、恋愛話には耳ざとい。太陽にも気があるようだし、万が一にでも知られてしまったら何をされるかわかったものではない。
 星良の言葉の続きを待っている笑美と千歳に、星良は声を潜めて続ける。
「昼休みに、二人に相談にのってもらってもいい?」
「「もちろん」」
 声を揃えて答えた二人の表情には喜色が浮かんでいる。その理由がわからずキョトンと二人を見返すと、笑美と千歳は慌てたようにゴメンゴメンと声を揃えた。
「星良ちゃんに相談されるってのが嬉しくて、つい」
「??」
 笑美の説明もよくわからずぱちぱちと瞬くと、千歳が微笑みながら言葉を足した。
「相談って、信頼してくれてなければしないでしょ? それくらい仲良くなれて嬉しいなって」
「そうそう。星良ちゃんってあんまり女子と群れるの好きじゃなさそうだし、決まった人にしか心開いてくれないのかなーって思ってたから」
 建前ではなさそうな二人に、星良のほうが嬉しくなる。
 群れるのが好きではないのは確かだ。中心人物や多数の意見に流されて、黒をも白と言わざるを得ない雰囲気が苦手だ。それがまるで正しい友情とでも言うかのような態度が、星良には理解できない。だが、そこではっきりと意見を言うと敬遠されたりするのだ。
 だが、すべての人間がそうではないことは知っているし、そんな子たちとは仲良くなりたいと思う。笑美や千歳はそうだ。
 それでも今まで近づけなかったのは、二人がもともと仲がいいからだ。そこに自分が入って行っていいのか、邪魔じゃないか考えてしまい、そんな心配をするくらいならと、無理に近づくことをやめてしまう。
 だから、二人が受け入れてくれて素直に嬉しかった。
「ありがと」
 心からの笑みを浮かべたところで、教室にチャイムが鳴り響く。笑美と千歳は微笑を返し、自分の席へと戻っていった。


 昼食は中庭の片隅のベンチでとることになった。隣のベンチは離れているし、背後は樹木と壁のみ。見渡しがよく、人が近づいてきたらすぐにわかる。中庭に人は多いが、大声で話さなければ、ヒミツの話が漏れる場所ではなかった。
 笑美と千歳の間に座り、楽しく昼食を食べ終えてから、星良は相談を切り出した。
 二人は星良の横顔を見つめ、しどろもどろに語る悩みを親身に聞いてくれた。
「そっかぁ……」
 話を聞き終え、笑美と千歳は悩ましげに小さなため息をついた。
 星良が二人に話したのは、自分の気持ちの変化と、それを知った太陽の反応。
 ひかりの気持ちはもちろん伏せてある。ただ、ひかりには相談しにくいとは言ったので、もしかしたら勘付いているかもしれない。
「やっぱり、今更恋愛対象に見られるって難しいのかな……」
「いやいや、そんなことはないと思うよ!」
 二人の反応に弱気の発言をした星良に、くい気味に笑美が答える。千歳は穏やかに目を細めた。
「今更ってことはないと思うよ。神崎さんの気持ちだって、変わったのは最近なんでしょ?」
「うん」
「そうそう。何とも思ってなかった相手でも、ちょっとしたきっかけで好きになっちゃったりするもんだしね。理屈じゃないのが恋! だから弱気になる必要なんてない!」
 まるで自分の事のように熱くなる笑美をくすっと笑ってから、千歳は落ち着いた眼差しで星良を見つめる。
「笑美の言うとおりだよ。すでに近い存在なのも、難しくもあるけどやっぱり有利でもあるんじゃないかな」
「そう……かな?」
 不安げに見つめた星良に、千歳は笑みを深める。
「うん。だって、一緒にいられる時間はたくさんあるんでしょ? 気持ちを伝えたことで、朝宮くんは神崎さんを意識する。今まで通りに振る舞ったとしても、きっと違って見えるよ。だから、そんなに深く考えなくてもいいんじゃないかな? 神崎さんには、神崎さんの良さがあって、朝宮くんだってそれは十分わかってるんだし」
 こんがらがっていた心の糸が、千歳の言葉でゆるりと解きほぐされていく。気持ちがふわりと軽くなる。
「そうだよ。案ずるより産むがやすし! 朝宮くんがちゃんと考えてくれるっていうんだから、星良ちゃんはとりあえず自然体でぶつかる! ……ても、やっぱり変化球も欲しいよねぇ」
 ぽんっと星良の肩を叩きつつ励ました笑美は、後半部分でにぃっと笑う。
「変化球って?」
 何かいい案がありそうな笑美に期待しつつ真顔で聞くと、笑美はふふっと意味ありげに笑った。
「星良ちゃんって、普段ボーイッシュじゃない。ちなみに、普段の服装はどんな感じ?」
「えーと、Tシャツにハーフパンツにスニーカー」
 月也と散歩に行くのに、ランニングにいくのかと母に間違われるような恰好が、星良の普段着だ。どこか遊びに行くにしても、そんなに大差ない。色気のかけらもないのは確かだ。
「ちなみに、スカートとかワンピとかは?」
「制服以外、スカートはいたことない」
 スースーして落ち着かなく、制服の下にも必ずスパッツ着用している。幼いころには母が気張ってはかせようとしたらしいが、嫌がってすぐにズボンを履いてしまったと聞いている。
「メイクは?」
「自分でしたことない。こないだひかりの浴衣借りた時、ちょっとはしてもらったけど」
 ひかりの名を出した途端、あーっと残念そうにため息をこぼす笑美。千歳も苦笑いを浮かべている。ひかりのことを悪く思っていないはずの二人なのにこのリアクションはなんだろうと思っていると、ため息交じりに笑美が続けた。
「せっかくのギャップ萌えのチャンスに、女子の鏡が隣にいちゃ、威力半減かぁ」
「ぎゃ、ギャップ萌え?」
 ひかりの隣にいたら自分がかすむのはわかりきっているので特にはツッコまず、聞きなれぬ単語だけ聞き返すと、笑美はこくりと深く頷いた。
「そう。ギャップ萌え。普段冷たい人がふと優しくしてくれたり、いつもふざけてる人が急に真面目に相談に乗ってくれたり、そんなギャップにときめいちゃう必殺技!」
「必殺技って」
 千歳が苦笑を浮かべつつ突っ込むが、笑美はそのまま続ける。
「だから、普段はボーイッシュな星良ちゃんが、二人きりのデートの時だけ女の子っぽい姿を見せてどきっとさせるってのはなかなかいい作戦だと思うんだけど!」
 ひょっとして変化球というのはこのことなのかと思いつつ、星良はぼんやりとスカートをはいてメイクをした自分を想像する。そして、ぶんぶんと頭を振った。
「いや、無理! 似合わない! ドキッとさせるどころか、ひかれる気がする!」
「そんなことないよ。女の子はみんな、可愛くなれるんだから」
 微笑む千歳も、この作戦に賛成のようだ。狼狽える星良を見つめる眼差しは、からかっているようには見えない。
「そうそう。足きれいなんだし思い切って足出す可愛い服着て、メイクして、髪はゆるく巻いたら絶対普段と違って可愛さでるから! 任せて! よかったら服もかすし、メイクもしてあげる」
 キラキラと輝く笑美の眼差しを見たら、相談した手前、断る余地はなさそうだ。
「いや、でも……胸が」
 二人のふくよかな胸と比べ、丸みの足りない自分の胸を泣く泣く言い訳にしてみるが、笑美に両手で肩をがっしりと掴まれた。
「大丈夫。今は盛れるブラがいっぱい売ってるから!」
「……はい」
 逆に買わざるを得ない状況になり、墓穴を掘ったと心の中で嘆息する。だが、二人が自分の為に協力してくれるのは嬉しかった。
「いやぁ、それにしても星良ちゃんと恋バナできるのは嬉しいなー」
「そう?」
「そうだよ。体育祭の作戦ねるのもおもしろかったけど、やっぱり女子トークは楽しいもん」
 そう言って破顔してから、星良を挟み、笑美と千歳は真面目に相談し始める。互いに持っている服で星良にどんなコーディネートをするか、どんな髪型やメイクが似合いそうか、いつ頃なら予定を合わせられそうか。
 なんだか妙な方向に転がっていると思いつつも、ひとりで悩んでいるよりもずっと気持ちは軽くなっていた。
 星良は二人の意見にうんうんと頷きつつ、二人の為に自分にも何かできることがあればいいと願った。

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