昼休みが終わってから太陽の様子がいつもと違うことに、ひかりは気づいていた。
 黒板や教科書をきちんと見ているようで、その眼差しはぼーっとどこか遠くを見つめている。時おりノートをとる手が止まり、何か考え込んでいるようだった。
 どうしたのだろう?
 太陽のそんな様子を、じっと見つめるひかり。太陽のことを気にして、ひかりの手も止まっていることに本人は気づいていない。
 昼休みは月也といたようだが、何かあったのだろうか? 授業中に考え事をするほどのケンカを二人がしたところを今まで見たことはない。意見がぶつかったとしても、二人ともそれを引きずるような性格ではないからだ。
 それに、怒っているとか傷ついている様子ではない。何やら複雑な表情を浮かべ、時おり何かを振り払う様に小さく頭を振っている。
 本当に、どうしたのだろう?
 ノートを取り終わる前に黒板の文字が消されそうになり、ひかりはハッと我に返ると慌てて授業に集中した。

 次の6限目までの休み時間も、ひかりは窓際で友人たちと話しながら教室の入り口付近で談笑している太陽をさりげなく観察していた。授業中のような考え込むような仕草はなく、楽しげに話す太陽の表情につられるようにひかりはふわりと笑む。好きな人の表情一つで自分の気持ちがこんなにも左右されることに、自分の恋を実感するひかり。
 そんな時、ふとドアの外に視線を向けた太陽の瞳が動揺するように揺れた。すぐに視線を友人たちに戻したが、さっきと違って笑顔がぎこちない。
 立ち位置からひかりがドアの外に誰がいるのか気づいたのは、太陽より数秒後。
 ドアの前を、星良と月也が通り過ぎた。
 月也が星良に何かを言い、星良が少し怒ったように何かを言いかえす。いつも通りと言えば、いつも通りの光景。
 だが、ほんの数秒見えた二人のやり取りに、ひかりはいつもと違うものを見た。
 月也はいつもと変わりない。違うのは、星良の表情。
 ムッとしたような表情の中に入り混じる恥じらい。月也とのやり取りに何故だか照れている星良。
 ひかりはぱちぱちと目を瞬いた。
 もう見えなくなった二人のやりとりと、おそらくそれを見たのであろう太陽の反応。
 次の授業がはじまってからも、ひかりは太陽を気にしながらその事を考えていた。
 昨日までと少し違う三人の様子。
 その理由をひかりはなんとなくわかった気がしたが、それが確信に変わったのは清掃の時間。ゴミを捨てに行ったひかりが、月也とかおるが廊下ですれ違うのを見た時だ。
 いつもは花が咲くような可憐なかおるの笑みはぎこちなく、月也とすれ違い顔が見えなくなった途端に笑顔を消してうつむいた。ふっくらとした唇を、何かを堪えるようにきゅっと噛みながら歩き去る。
 かおるとある程度距離が離れるのを待っていたのか、少ししてから月也はゆっくりと振り向いてかおるを見つめた。眼鏡の奥の瞳は切なげで、申し訳なさそうに遠ざかる後姿を見つめている。
 その瞳がひかりに気づくと、切なげな光は瞬時に消えた。想いに蓋を閉じたかのように、いつも通りの月也に戻る。
「こんにちは、高城くん」
「どうも」
 月也もゴミを捨てに行く途中だったらしい。同じくゴミ箱を持ったひかりが追いつくのを待ってから、月也はひかりにあわせて歩き出した。
 小学校一年生で同じクラスになってからだから、月也とひかりのつきあいは10年になる。星良と太陽ほどの絆はないが、他の同級生と比べたら仲がいい方だ。だから、同じ方向に行くならなんとなく一緒に行くのは自然なことで、特に会話がなくても居心地が悪いことはない。
 だが、ひかりは黙って隣を歩いている月也に訊ねていいのか逡巡して、少し落ち着かなかった。月也はポーカーフェイスが上手い。どれだけ傷ついていてもそれを見せることはしないだろう。だからこそ、触れていいのか触れてはいけないのかの判断がつけにくい。
「何?」
 ひかりが気にしていることに気づいたのか、月也から訊ねてきた。ひかりは自分より背の高い月也を上目づかいで見つめながら、おずおずと口を開く。
「高城くん……ひょっとして先輩と……」
 そこまで言うと、月也は唇の端を僅かに上げて微笑んだ。
「うん。別れたよ」
 なんてことないと言うような、さらりとした口調。でも、先ほどのかおるを見つめる瞳を見ればわかる。別れるときに心を痛めなかったわけがない。それでも別れたのだ。おそらく、月也から。
 その理由は、星良の反応を思い出すとわかる気がした。
「そっか。高城くんも、ようやく素直になったんだ」
 ひかりの言葉に、月也は少し驚いたように目を瞠ったが、すぐに落ち着いた微笑を浮かべた。
「久遠くらい察しがいいと楽なんだけどなぁ」
 ぼやくように言っているが、瞳には優しい色が浮かんでいる。察しが鈍い『誰か』は楽ではないらしいが、そこもまた愛おしいと言っているようだ。
「それは、高城くんが今まで素直じゃなかったからでしょ?」
「まあね。気づかれても困ったし」
 月也にとって星良が特別な存在なのは、星良に会う前からひかりは気づいていた。太陽と同じく、星良のことを話す月也は他の誰のことを話すよりも楽しげだったからだ。
 星良と会ってから、それはよりわかりやすくなった。他の女子にはもっと大人な対応をする月也が、星良に対してはまるで好きな女の子を苛める小学生の男の子のようだったからだ。
 ただ、彼女は彼女で大事にしていたので、星良に対しての愛情が恋情とは違うのか疑問には思っていた。
 その疑問が、今解けた。
 月也とかおると別れたこと。月也に対して照れている星良。月也に対して複雑な表情を浮かべる太陽。
 それらを考えると、月也は星良に自分の気持ちを伝え、その事を太陽にも報告したという答えが導き出される。
 月也が星良に恋をしているなら、何らおかしな行動ではないのだが、このタイミングはひかりにとっては少し意外だった。
 星良がひかりに正々堂々戦おうと宣言するのは、星良の性格上よくわかる。
 だが、月也はそんなタイプではないはずだ。
 太陽に想いを告げた星良のことを、自分の気持ちを完璧に隠して応援する。星良の恋が成就すれば、そのまま二人のことを温く傍で見守る。上手くいかなければ、星良の気持ちが落ち着くのを待ってから自分の気持ちを伝える。
 それがひかりの持つ、月也のイメージ。
 だから、太陽に宣戦布告するような月也は意外な気がした。
「わかってはいると思うけど、一応言っておく」
「何?」
 月也の言葉にさらりと髪を揺らして小首をかしげると、月也は唇の片端をあげた。
「久遠と共同戦線を張る気はないからね」
 太陽を好きなひかり。星良を好きな月也。
 星良と太陽が上手くいけば互いに失恋する二人は、目的が同じと言えなくもない。互いに協力して、お互い好きな人とうまくいくように頑張ろうと思ってもおかしくはない。
 だが……。
「わかってるよ。高城くんは、星良ちゃんの味方なんでしょ」
 ひかりの答えに、月也は満足げに微笑んだ。
「ほんと、久遠は察しがよくて助かる」
「それはどうも」
 ひかりは微苦笑を浮かべて答えた。察しがいいことは、いいことなのか悪いことなのかよくわからない。
 少なくとも、今自分の胸に広がるのは寂しさと少しの嫉妬だ。
 月也が星良に気持ちを伝えたのは、星良を太陽に奪われたくないからではないのだろう。
 あんなにも仲がいいのにすぐに太陽が答えを出せないのは、星良と付き合うことに迷いがあるから。星良への愛情が恋愛感情なのか、きっと悩んでいるから。
 月也は、自分が星良に恋をしているとはっきり二人に告げることで、太陽に揺さぶりをかけたのだ。星良をもっと意識させるために。太陽が星良を誰かに奪われるのは嫌だと、そう思わせるように。
 星良のために、星良が太陽と付き合えるようにするために、自分の恋を犠牲にする覚悟で想いを告げたに違いない。
 強いな、と穏やかな月也の横顔を見つめて思う。
 そして、羨ましいな、と星良に嫉妬してしまう。
 こんなにも想ってくれる人が、星良にはいる。太陽だって、同じくらい星良を想っているだろう。
 仲のよい友達はひかりにもいる。でも、こんなにも強く想ってくれる人はいるだろうか……。
 胸にあいた穴に、冷たい風が吹き抜ける。弱気な自分が、頭をもたげそうになる。
 と、ぽんっと背中を優しくたたかれ、俯きかけていたひかりははっと顔をあげた。
 隣を見ると、片手にゴミ箱を持った月也が眼鏡の奥の目を三日月型に細めている。
「久遠は久遠で、堂々と自分の想いを貫けよ。もし星良さんが泣くことになっても、誰も責めない。久遠が泣くことになったら、気晴らしにつきあうし。自分に負けて試合放棄するのだけは、やめたほうがいいよ。きっと後悔するから」
「……ありがとう」
 幼馴染の励ましに、ひかりは自然と微笑が浮かんだ。
 そう、自分も一人ではない。友達もいる。星良だって、ライバルだけど気にかけてくれている。
 それに、頑張ると決めたのだ。
 月也ほど強くなれなくてもいい。
 全く辛くない恋なんてきっとない。自分らしく、精一杯の努力をしよう。
 この大切な恋の為に……。
 

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