星良と月也の関係がたった数日で修復されたのを見て、太陽はホッとしつつも複雑な心境だった。星良のことを一番わかっているのは自分だという自負は、本気を出した月也によって失われつつある。自分の前では無理に笑っている星良が自然な笑みを浮かべられるのは、月也がいるときだけだ。それが悔しいような、寂しいような、心の中心に穴が開いてしまったような空虚な感覚がある。だが、先に星良の心に深い傷を与えたのは自分。星良の気持ちに答えられぬうちにさらに追い打ちをかけてしまった自分が、星良の傷を癒やそうとしている月也に嫉妬する権利などない。
 それに……。
 太陽は思考の中心を星良から視線の先の人物に移す。友人と机を囲み、楽しげに話をしているひかり。少しぎくしゃくしていた時もあったが、彼女たちとはいつも通りの関係に戻ったようだった。少なくとも、太陽にはそう見える。だが、太陽とつきあい始めたという噂で、ひかりを敵視している女子の方が多いのは変わっていない。クラスにも部活にも、ひかりの味方になってくれる友人がいるのでひかり自身はそのことを気に病んではいないようだが、太陽が気にしなくていいというものではない。噂が流れる前から、文化祭の時に月也が気づいたように、ひかりに敵意を持っている人間がいることも確かだ。そもそも『親友のふりをして神崎星良を利用し、朝宮太陽を自分のものにした』という悪意のこもった噂がたちまち校内に広がったのも、その敵意をもつ人間のせいかもしれないと疑ったほうがいいのかもしれない。
 星良は、月也が守ってくれている。
 一人しか守れないとしたら、今、太陽が守るべきなのはひかりだ。
 もう、どっちつかずでどちらも傷つけるということはしたくない。してはいけない。
 廊下を通りかかった上級生の男子生徒たちがひかりに向けた視線を見て、太陽はその決意をさらに固くする。全校に広がったねじ曲げられた噂のせいで、男子生徒の間で『久遠ひかりは清純そうに見えて、実は小悪魔』という勝手な妄想が広がっているのだ。太陽がつい抱きしめてしまっただけだというのに、あの動画のせいで『色仕掛けで落とした』と噂にどんどん尾ひれがついていっているらしい。もとから男子生徒の注目の的になるほど容姿端麗なひかりだが、彼女を見る男子生徒の眼差しが以前よりも下卑たものが含まれていることが、太陽は何よりも嫌だった。
「久遠さん」
 友人との会話を邪魔するつもりはなかったが、嫌な視線をまだ向けている上級生への警告をかねてひかりに話しかけた。大きな瞳を自分に向けたひかりに微笑みつつ、その背後に見える上級生に一瞬視線を向ける。

 ひかりのそばには、自分がいる。

 そうわからせるための視線。
 上級生たちはひるんだように視線を泳がせると、足早に姿を消した。
 太陽は基本的に温和で知られているが、その気になれば星良と互角の強さを誇るのはそれなりに有名だ。自分の彼女に邪な視線を送る男を許すほど温和ではないと思ってもらわねば困る。
 ……実際には、まだ彼女と言い切れはしないのだけど。
「どうしたの? 朝宮くん」
「今日の案内の最終打ち合わせ、いつしようかって相談」
 嫌な視線を送る男がいなくなり、太陽はにこやかに用件を告げた。気をつかって席を立とうとする友人たちを止めつつ、太陽は昼休みはどうかとひかりに提案する。
 今日の放課後は、母校の受験生たちが学校見学にくることになっているのだ。卒業生の中から教師に選ばれた者が、後輩の案内をすることになっている。それを、ひかりと太陽が頼まれているのだ。どこをどう案内するのかも案内係に託されているので、その最終案を放課後までに担当教師に渡す必要があった。
 自然と昼休みに過ごす約束をとりつけた太陽とひかりはそれぞれの友人と昼食を食べ終えた後、久しぶりに二人きりになった。あの、告白以来。ひかりが星良に気を遣い、そうなることを避けていたからだ。
 とは言っても、次の移動教室の部屋に先に来ただけである。すぐにでも二人きりの空間が終わる可能性の方が高かった。
 ほぼできあがっている最終案を読みながら確認していくひかりを、太陽はじっと見つめた。視線が書類ではなく自分に向けられているのに気づいたのか、ひかりはおずおずと太陽を見る。
「あ、朝宮くん?」
 ほんのりと頬が朱色に染まっているひかり。
 その反応に、太陽はハッと我に返る。ひかりが辛い想いをどれくらい抱えているのか少しでもわかりたくて見つめていたのだが、二人きりの教室で机を挟んですぐ傍でじっと見つめているのだ。つい抱きしめてしまった前科もある。ひかりが戸惑ってもおかしくない。
「いやっ……」
 つられるように少し赤くなりながら、意味のない否定の言葉を発する太陽だが、ここで狼狽えてもしかたが無いと思い直す。
「大丈夫?」
「……うん」
 色んな意味を含めた一言に、ひかりは少し間を置いてから微笑みと共に答えた。ひかりは視線を書類に戻し、言葉を続ける。
「元から、全ての人に好かれるとは思ってない。朝宮くんに告白するって決めた時点で、色んな覚悟は決めてたよ。だから……大丈夫」
 ひかりの間は、星良のことを思っていたからだろう。そこだけは、覚悟していた以上に大きな棘となってひかりの心に突き刺さっているのかもしれない。その棘を抜くことは、太陽にはできない。できるのは、星良だけだ。
 でも、だからこそ、それ以外は自分が守りたい。
「久遠さんのこと、俺が守るから」
 心からこぼれ落ちた言葉に、ひかりは顔を上げた。言葉での返答はなかったが、ひかりに広がった嬉しそうな笑みが答えだ。
 思わずひかりに触れたくなる太陽だが、がらりというドアが開く音でなんとか止まった。
「うわぁ! ゴメン!!!」
 太陽とひかりが二人きりの現場を見て、焦りの声を上げたのはクラスメイトの高木。動画事件以来、すっかりトラウマになっているらしい。
「いや高木、大丈夫だから」
「遅れないように先に来て打ち合わせしてただけだよ」
 一緒にいた他の友人も引き連れて立ち去ろうとした彼らの背中に、二人がそろって声をかけると、少し気まずそうな顔をしつつ、教室に入ってくる高木たち。 
 二人きりでなくなったことで、二人はむしろ打ち合わせに集中することができた。
 太陽は、そっと高木に感謝する。
 きっと、星良との関係が修復されるまで、自分がひかりとこれ以上親しくなることは、ひかりの重荷になるだろう。自分が星良に申し訳ないと思うより、ずっと。
 だから、星良とひかりが友達に戻れるまで、太陽とひかりも友達のまま。友人以上、恋人未満のままがいいはずだ。
 どんなに時間がかかったとしても、待つのが最良の選択だ。

 そう思っていたが、予想以上に時間はかからなかったらしい。

「朝宮くん!!」
 帰りのホームルームが終わるなり、ひかりが久しぶりに心からの笑顔で太陽に駆け寄ってきた。
「星良ちゃんから、メールが来たの!」
 ひかりの大きな瞳が潤んでいる。それほどに嬉しいのだろう。太陽の心も、光が差し込んだかのように明るくなった。
「星良は何て?」
「今から会って話したいって!!」
 嬉しそうに伝えてから、ひかりはハッとなる。喜びのあまり、学校案内のことを失念していたらしい。待ちに待った星良からの連絡。すぐにでも星良に会いたいのに、どうしよう!? という思考がダダ漏れの顔である。
「久遠さん、星良に会いに行ってきなよ。代わりに、月也に頼むから」
「いいの?」
 再び明るくなったひかりの顔に、太陽は微笑み返した。
「もちろん。星良と一緒にいないなら、月也は暇だろうし」
 星良がひかりと話す気になれたのは、きっと月也のおかげだろう。その決意が揺らぐ前に二人で話すためなら、ひかりの代理くらいつとめるはずだ。
「月也には俺が頼むから、久遠さんは行っていいよ」
「ありがとう! 先に終わったら、途中から合流するから!」
「こっちは気にしないで、ゆっくり話してきなよ」
 ひかりは満面の笑みで頷くと、教室にカバンを置いたまま急ぎ足で教室を去って行った。
 星良が話す気になったからといって、すぐに元通りに戻れるわけではないかもしれない。でも、偶然すれ違ったときに挨拶する以外、話もメールすらもしなかった二人には大きな前進だ。
 どうかうまく行くように願いながら、太陽は必要な物だけまとめると、月也のクラスに向かった。どうやら先にホームルームが終わったらしい月也のクラスは、もう残っている生徒はまばらだった。星良を待ってそこにいると思っていた月也の姿もない。荷物が置いてあるということは、校内にはいるらしい。
 太陽は携帯電話を持つと、メールを送った。しかし、すぐに返信は来ない。まだ母校の生徒たちが来るには時間があるので少し待ったものの、どこかで寝てたらずっと返事はこないかもと思い直し、電話をかけることにする。
『はいはーい』
 6度目のコールで、月也が出た。
「メール見た?」
『ん? 気づかなかったけど、何か急用?』
 電話の向こうから聞こえるのは、沢山の足音。足音からすると、階段付近にいるらしい。
 太陽は月也のいそうな方向に移動しつつ、話を続ける。
「今日の学校案内、手伝ってほしいんだけど」
『久遠とやるんじゃなかったか?』
「……え?」
 思わぬ反応に、太陽は悪寒が走った。
『え? って、何だよ太陽』
 答える月也の背後に聞こえる音と、自分の耳に入る音が重なる。
 階段の方向に向かっている太陽の前に、階段を下りてきて廊下に現れた月也の姿が映った。その隣には、星良が立っている。
 太陽は、思考と共に足が止まった。
「太陽?」
 自分に向けられた太陽の眼差しの違和感に、星良が困惑したような顔で駆け寄ってくる。月也も眉をひそめ、それに続いた。
 星良は、これからひかりのもとに向かうところだ。
 そう思いたいが、星良と月也の反応からとてもそうだと思えなかった。
「どうしたの? 顔色悪いよ?」
 心配そうに見上げる星良に、太陽はかすれる声で尋ねる。
「星良、久遠さんに、メールした?」
「え?」
 星良の顔に浮かんだのは、戸惑い。それが、メールを送ったのは星良ではないと肯定している。

 だったら、ひかりは誰に呼び出された?

 その答えにいい回答などありえないことだけは確かだった。
 
 

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