翌日、月也が登校すると教室は少しざわめいた。風邪をこじらせていたと聞かされていたのに、全身に怪我を負っていたのだから無理もない。星良を恨む者にやられたのではとか、かおるファンに逆恨みされたのではと憶測が噂されたが、うっかり階段を踏み外して落ちたのだと言い張る月也に、生徒たちはすぐに噂話を収束させていった。怪我をしただけの月也よりも、世間的にニュースになった事件のほうが皆の興味をひいていたからだった。


「みんな、人の心配するより好奇心の方が勝ってたよね−」
 放課後、自転車にまたがり、片足で器用にペダルを漕いでいる月也は、たいして怒っていない口調で隣を歩く星良に話しかける。星良は小さく溜息を吐いた。
「まぁ、月也は学校にこられるくらいには元気なわけだしね。あんなにマスコミにうろうろされてたら、そっちが気になるのはしょうがないとは思う」
 月也への暴行事件は伏せられているが、詐欺グループの逮捕は放送各局のニュースなどでとりあげられていた。事件に関わっていた女子高生の存在も報道されている。さすがに学校のすぐ傍にはいないが、どこで嗅ぎつけたのか、唯花の同級生にインタビューをしようとするマスコミの人間が朝から学校付近にたくさんいた。実際にインタビューに答えたクラスメイトもいて、その興奮の方が大きかったのだろう。月也の怪我を心配するよりも、唯花が関わった事件に盛り上がる人間の方が多かった。
「すごい大事になっちゃったね」
「だねぇ」
 自分への暴行事件がきっかけだというのに、月也は相変わらず飄々としている。傷害や恐喝事件などを止めて犯人を警察につきだしたこともある星良だが、こんなニュースになるようなことはなかった。
「ま、その方が水多も反省するんじゃない?」
「……月也って、優しいんだかドライなんだか時々わからないよね」
 確かに、犯罪に手を貸した唯花が悪いが、クラスメイトとして止められなかった悔恨や唯花の今後に心配などが少しも見受けられない月也が少し意外でもある。口では怒らせるような事を言っても、本当はすごく優しいのに、昨日も唯花をフォローする言葉はなかった。
 意外そうに見つめる星良に、月也は唇の片端をあげる。
「月って色んな顔があるんだよ。いつも同じように昇ってきてくれる太陽と違って」
「あのねぇ」
 自分と太陽を天体に例えた月也を半顔で見ると、月也は少し自嘲するような苦い笑みを浮かべた。
「僕が優しいのは、自分の大切な人に対してだけだよ。星良さんと違って、他人には優しくない」
「私も別に優しくないよ。誰にでも優しかったら、破壊神とか言われない」
 星良の返しに、月也はブッと吹いた。自ら好まぬあだ名を口にしたのが変なツボに入ったらしい。
 星良はそんな月也を横目でちらっと見てから、小さく嘆息した。
「きっと、本当に優しかったら悪さしてる奴らを力尽くで止めないで、相手の話をちゃんと聞こうとするよ、太陽みたいに。あたしは、ダメ。カッとしたらそこまで考えられない。悪さしてる奴らにも、そうなる事情があったとか、考える余裕ない」
 そういう考えを常にしていたら、唯花も止められたのかな、と、思う。
 星良が力で叩きのめしてきた彼らも、そんなやり方なら同じ過ちを繰り返さないかもしれない。
 でも、そんな事が自分にできるとは思えない。
「そう思えるだけでもすごいんじゃないかな? そんなの、誰にでもできることじゃないし」
「でも……さ」
 今までは何とも思わなかったが、近しい人が捕まったとなると考えざるをえない。
 もっと、何かできたんじゃないか。犯罪に手を染める前に止める事ができれば、被害者も被害者の周りの人も、加害者の関係者も、苦しむことはなかったのではないかと……。
「……どうしよう、自転車に乗ってるから星良さんをぎゅっとしたいのにできない」
「なんでそうなるのよっ!」
 真面目な声でふざけたことを言われ、星良は反射的に突っ込む。軽く睨んだにも関わらず、月也は真顔で口を開いた。
「だって、真面目に悩んじゃう星良さんが愛おしいなーって」
「あのねー」
 星良の眉間のシワが深くなったのを見て、月也は柔らかに目を細めた。
「真剣にそう思ってるんだけどな。僕には真似できないそんな所に、僕は惹かれたんだから」
「…………」
 本気のトーンでそう言われ、星良はどう反応していいのかわからず、頬を赤らめて視線をそらせた。最近の月也は、開き直ったようにストレートに好意を伝えてくるのでちょっと困る。軽口を叩き合ってる方が良かったような気がする。
 照れて無言になった星良の横顔を見て、月也はふふっと小さく笑った。
「照れる星良さんも可愛い」
「あーのーねーー」
 いい加減にしろと言わんばかりに赤い顔のまま睨みつけると、月也は逃げるように夕空を見上げた。
 いつもかけているメガネが事件の際に壊れてしまってないので、少し雰囲気が違って見える月也。穏やかな横顔は、幸せそうに微笑んでいる。思わず綺麗だと見とれていると、月也はゆっくりと口を開いた。
「思ってることは素直に伝えないとって、今回のことで学習したんだよ。いつかとか、明日とか、当たり前にくるわけじゃないって思った。やれらながら、大切な人に会えなくなるかもって怖かった」
 突然の告白に、星良は瞬きを忘れて月也の横顔を見つめた。
「やっぱり、怖かったよね……」
 目覚めてからずっと平然とした顔をしていたので、ずいぶんタフな精神だと思っていた。でも、それは皆に心配をかけない為の演技だったのかもしれない。ずっと付き添っていた、星良や太陽への気遣い。月也なら、あり得る気がした。
「まぁね。道場に通ってるおかげで急所の庇い方はわかってたけど、相手が加減をしらなければどうなるかわからなかったし。もし死んだらって考えるとね……。僕がいなくなっちゃったら、キレた星良さんが暴走するんじゃないかと心配で心配で」
「……結局、そこ?」
 真面目に心配したのにかわされて、星良は半眼で悪戯な笑みを浮かべる月也の横顔を見た。月也は、ククッと笑う。
「だって、本当にそうだったから。僕がこんな形で死んじゃったら、星良さんや太陽がうっかり手加減なしの復讐した結果、捕まっちゃうかもって。二人には正義の味方でいてほしい僕としては、自分のせいで二人の運命を変えちゃうことも怖かった」
「殴られながら、そんなこと考えてたの?」
「うん。まぁ、奴らにきっちりとやり返す事も考えてたけど」
 フッと浮かべた笑みは実に不敵で、やっぱり月也はタフな神経の持ち主だと思い直す星良。
 痛みや死の恐怖よりも、復讐と友人の心配をしているのだからたいしたものだ。
「もっと自分を大切にしてよね」
 目が覚めてから何度も言っている気がするが、再び念を押す星良に、月也は柔らかく目を細めた。
「うん。もっとずっと、星良さんの傍にいたいからね。これから先、星良さんがどう変わっていくのか、楽しみだし」
「ずっとって……」
 まるでプロポーズのようにも聞こえる言葉に、星良は月也から視線を逸らして自分の足下を見る。西日で長くのびた影が、二人仲良く並んでいる。
「ずっとだよ。もし星良さんが僕を選んでくれなくても、友達としてでもずっと見ていたい。きっと、おじさんと一緒で警察関係に進むんだろうな―とか、そこでも強すぎてすごいあだ名つけられるんだろうな―とか」
 後半は否定できないと思う星良。今回のことで、自分の無力さを感じた。どんなに強くなろうが、逮捕できる権限がなければ犯人を捕まえることができない。加害者になるまえに止めてあげられればベストだが、自分には難しい。それよりも、少しでも早く捕まえることで、より大きな罪につながらないようにすることが自分にできることだと思う。
 そこまで真面目に考えて、ふと、自分の思考に疑問を抱く。
 『後半は』ということは、前半の部分は否定できるということか。つまりは、選んでくれなくてもという言葉を、自分は否定する気持ちがあるということ……。
「でも一番は、こうやって僕の言葉に照れるようになってくれた星良さんが、僕を好きになってくれたらもっと可愛い顔を見せてくれるんじゃないかな―っていう期待かな」
「なっ……」
 自分の思考に、月也の艶のある笑みと言葉がダメ押しをし、星良は顔だけと言わず全身が赤く染まった気がした。 反射的につっこむことも否定の言葉も出ない自分にも動揺している。
「うん。もう一押しだな」
「勝手に決めるなっ!」
 満足げにニヤリと笑った月也に、ようやくつっこめる星良。だが、心臓の音がうるさく感じるほど鼓動が早い。本当にもう一押しだったらどうしょうと思っている辺り、なんだか自分がおかしくなっている気がする。
「失いかけて、大切な存在に気づくってあるよねー」
「もー、そこまでっ! やっぱりあたしが自転車こぐから、月也後ろに乗ってさっさと帰ろっ!!」
 これ以上月也に攻められたら思考回路がショートしそうで、思わず叫ぶ。
 片足を骨折している状態では歩くには遠いからと、片足で自転車をこいでいる月也だが、やはり少し大変そうだ。朝も迎えに行って、星良がこぐ自転車の後ろに乗るように提案したが断られた。
「いや、違反して注意受けると、親がめんどくさいから」
 そう言って苦笑を浮かべる月也。確かに二人乗りは違反だが、こんな時くらいはいいのではと星良は思うが、月也にその気はないようだった。両親の職業柄、法的なことは気をつけているのかもしれない。
「逆だったら、楽しそうだからちょっと考えちゃうけど。女の子が背中からぎゅってしてくれるの、憧れるよねって、星良さんはないか……」
「何がだぁっ!」
 月也が残念そうにちらりと向けた視線の先が、自分の膨らみの少ない胸だったことに声を荒げる星良。クスクスと笑う月也を、唇を尖らせて睨む。
「セクハラも問題ありでしょっ!!」
「そうだね。ごめんごめん。ゆっくり帰った方が、星良さんとたくさん話せるからってのが本音です」
「……それなら、いい……けど」
 素直に言われると、怒ることもできない。
 結局、自転車でゆっくりと進む月也のペースに合わせて歩く。
 星良がそろそろ許容量を突破したとわかってくれたのか、その後は甘い言葉の攻撃はやめ、太陽やひかりの将来なりそうな職業などに話を変えてくれた。
 月也の家に着くまで、二人は遠い未来を笑顔で見つめていた。
 
 

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