太陽とひかりを玄関で見送ってから、星良と月也はリビングに移動した。純和風な神崎家とは違い、大きな窓のある白を基調とした広々としたリビングは、まるで高級住宅のモデルルームのようにオシャレだ。道場が併設され、常に誰かの気配を感じる神崎家と違い、月也の家は静かで、星良はこの広い家に二人きりだと改めて意識した。そのとたん、何故か鼓動が早まった。
「えっと、キ、キッチン借りてもいいかな?」
差し入れの夕飯は幾つかの惣菜を買って来たので、温めたり皿に盛り付けるだけでいいものだけだ。うるさく感じる心臓の音を早くなんとかしたくて、とりあえず作業にとりかかろうとする星良。だが、月也は松葉杖をつきながら、大きな窓へと向かう。
「いいけど、星良さん、もう腹ペコ?」
「え? いや、別にそれほどは……」
「じゃあ、先に一つお願いしてもいいかな?」
 微笑みながらそう言って、閉じられていた厚いカーテンを開ける月也。日が落ちて暗くなった庭がぼんやりと見える手前に、待ってましたと言わんばかりに目を輝かせて座っている柴犬の姿があった。
「凛ちゃん!」
 すっかり頭から抜け落ちていた月也の飼い犬の存在に、星良はホッとしながら窓際に向かう。凜がいると思っただけで、二人きりという緊張が解かれた。
「あんまり遊んでやれなくてゴメンな、凜」
 窓を開けた月也がそう言いながらしゃがもうとしたので、星良は片足が不自由な月也に手を貸してその場に座らせた。凜は嬉しそうに尻尾を振りながら、前足を月也の膝の上に乗せる。月也は愛おしそうに目を細めると、凜の顔を両手で撫でた。
 おそらく、自宅に帰って真っ先に声をかけてはいたのだろうが、星良たち三人とゆっくり話すために、凜とのふれあいは遠慮していたのだろう。可愛くてしょうがないというように、月也は凜の顔に頬をよせている。
「凜ちゃんも心配したよ、きっと」
 ぺろぺろと月也の傷のない頬をなめている凜を見つめながらそう言うと、月也は苦笑を浮かべた。
「そうだね。凜の元気がなかったって、兄さんも言ってた」
 ゴメンなーと言いながら、凜の首を抱く月也。凜はすりすりと自分の顔を月也の髪にこすりつけている。
「月也って、凜ちゃん大好きだよね」
 なんだか微笑ましくてふふっと笑った星良を、凜からゆっくり顔をはなした月也は目を細めて見つめた。
「うん、大好きだよ。いつも癒やしてくれるし……大好きな人が救ってくれた命だからね」
「?」
 星良が小首を傾げると、月也の手を離れた凜が、今度は星良の膝の上に足を乗せた。嬉しそうに尻尾を振る凜の頭を、星良は満面の笑みで撫でた。
「凜ちゃん、危ない目にあったことがあるの?」
 今は元気いっぱいに見える凜を見つめながら尋ねると、月也は小さく頷いた。
「子犬の時、心ない奴らに虐められたんだ。助けが入らなかったら、凜の命は危なかったと思う」
「そうなんだ……」
 どうしてそんなことをする人間がいるのか悔しいような哀しいような思いで目の前の凜を見つめる星良。澄んだ黒い瞳は相手を信じ切った優しい目をしている。愛されて育ったとわかる、穏やかな表情。月也が大事にしている証拠だ。
「よかったね、凜ちゃん。いい人に助けられて、月也に育ててもらって」
 ぺろりと凜に頬をなめられてくすぐったがっていると、隣に座る月也がクスっと笑う。星良は少しだけ唇を尖らせた。
「慣れてないから、しょうがないでしょ」
「そうじゃなくて」
 くすぐったがった表情を笑われたのかと思ったが、そうではないらしい。月也は凜をよんで自分の方に来させると、凜の頭を撫でながら三日月型に目を細めた。
「星良さんが、自分のことをいい人って言うから」
「? そんなこと、言った覚えないけど」
 困惑して眉間にしわをよせた星良から視線を外し、月也は凜を見つめた。くしゃくしゃと両手で凜を撫でながら、口を開く。
「言ったよな−、凜。いい人に助けられてよかったって」
「? それは言ったけど……ん?」
 微妙にひっかかったが答えに至らない星良を、月也は横目で見る。そして再び凜を見つめながら嘆息してた。
「星良さんって、ほんと鈍いよね。僕の大好きな人って、星良さんしかいないって言ってるのに」
「なっ……って、え? 何? どういうこと?」
 月也の言葉に頬を赤く染めつつ、混乱に陥る星良。ちょっと整理しようと、さっきからの会話をふりかえる。
 大好きな人が救ったと言った月也。いい人に助けられたと言った星良。
 月也は星良が自分をいい人と言ったといい、大好きな人は星良だけだという。
 つまり……。
「え? あたしが凜ちゃんを助けたの?」
 自分の出した答えに驚いて月也を見ると、月也は凜をぎゅうっと抱きしめた。
「凜、星良さんやっとわかったみたいだよ。忘れられちゃってて、哀しいね。凜は星良さんのことちゃんと覚えてるのにね−」
「え? え? いつ? どこで!?」
「ほらー、すっかり忘れてるよー。ひどいよねー」
 文句を言っているようで、口調は嬉しそうな月也。凛とともに、星良を見つめる。
「でもそれだけ、誰かを助けるのが当たり前だったってことだよね、記憶に残らないくらい」
 月也の眼差しの優しさに、星良の鼓動は再び早まった。
「そ、そんなことないよ。月也は、あたしのこと買いかぶりすぎ」
 ドキドキするのを隠すように、星良は月也から目を反らす。窓の外の外気は冷たいはずなのに、体温があがるのがわかる。とくに、月也の座る左側が熱い。
「いや、買いかぶってはないよ。ちゃんと、色気が足りないとか、ちょっとおばかさんとか思ってるし」
「悪かったわねぇ!」
 ちょっとけなされて、反射的に言い返すと、凜はびくっとし、月也は楽しげにククッと笑った。
「でも、そこも含めて好きだから、いいんだよ」
「っ……」
 けなされたと思ったら再び持ち上げられ、星良は真っ赤になって言葉を失う。月也は再び凜を撫でながら、ふわりと優しく微笑んだ。
「六年も経っちゃったけど、凜を助けてくれてありがとう、星良さん」
「……本当に、あたし? それなら、なんで言ってくれなかったの?」
 星良は六年前のことは覚えていない。月也と出会ったのは、中一の春で、もうすぐ四年目になると思っていた。それ以前に会っていたなら、中一の春に言ってくれてもよかったはずだ。
「だって……」
 めずらしく、少しすねたような表情をする月也。凜の肉球を触りながら、横目で星良をちらりと見る。
「せっかく会えたと思った好きな人は、自分のことを全く覚えてない上に、どう見たって太陽のことが一番好きだったからさ。忘れられた上に失恋確定じゃ、初対面の振りする方がダメージ少なかったんだよ、ナイーブな少年としては」
「私の記憶では、ナイーブな少年なんていなかったけど?」
 初対面から今の月也と変わらないイメージしかない星良は思わずつっこんだが、ふと最初のフレーズを思い出す。
 『せっかく会えた好きな人』ということは、月也は六年も前から自分を好きだったということか……。
 その間、他の人と付き合っていた事実は知っているが、かおるクラスの美女と付き合って尚、ずっと想っていてくれた。星良が覚えていない六年前の出来事からずっと。
「星良さんの傍にいたかったから、演技したんだよ。ケンカ友達の方が、自然と一緒にいられそうだったから」
 なんでそこまで、と思う。ただ子犬を助けたくらいで、なんでこんな自分を想い続けられるのかわからない。そんな魅力が自分にあるとは、到底思えない。
「だから、嬉しいね、凜。星良さんとこうやって一緒にいれて。素直な気持ち、口に出せて」
 ワゥッ! っと返事をする凜。いつもの悪戯な笑みではなく、優しい素直な笑みの月也。
 どうしていいのかわからなくて、星良は俯いた。
 ひかりを傷つけてしまうほどに太陽が好きだったはずなのに、どうして今、月也にこんなにもドキドキするのか……。月也の想いに申し訳ない気持ちが強かったはずなのに、どうして今は嬉しいと思ってしまうのか……。
 自分は思ったよりも浮気者なのかと疑ってしまう。
「生きてるって、大事なことだねぇ」
「……一応、反省はしてるのね」
「そりゃあね。生きてるからこそ伝えられるし、守れるからね」
 凜を撫でつつ、月也は星良を見つめていた。その視線が、なんだか眩しい。
「そうだよ。だから、もう無茶したらダメなんだからね。凜ちゃんだって、寂しがるよ」
 太陽とは違う温かな場所を、失いたくないと思う自分がいた。それが友情なのか、友情以上なのか、わからない。
「うん。でも、星良さんも無茶したらダメだよ。僕が寂しがるから」
「あのねー……」
 いつも通りにニヤッと笑った月也を、軽く睨む星良。でも、二人と一匹で過ごす時間は、すごく心地が良かった。
 

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